【第百四十六話】215年天下の情勢
三世紀初頭に訪れた漢王朝最後の平和な時“小康の治”。
それぞれの群雄は様々な想いで天下に割拠していた。
○朝廷
献帝 支配領域:洛陽
焼け落ちた都は再建され、かつての威容を少しずつ取り戻していた。
宮城の奥深く、帝位にあるのは漢の天子・献帝であった。
若き日に董卓の暴虐の元で帝位につき、李傕・郭汜の争乱を経て、群雄の興亡を見届けてきた皇帝は、今や四十を越えていた。
その傍らには名門弘農楊氏の当主・楊彪。
そしてその子・楊修。
さらに西方より上洛した涼州最大の名門・馬騰が三万の精兵を率いて帝を守護していた。
実際に洛陽の政務を担当する者は別にいた。
司馬朗、衛覬、梁習、劉曄。
いずれも鄭公孫堅旗下の能吏たちである。
彼らは朝廷の名の下に法を整え、税を定め、各地との折衝を取り持っていた。
○鄭
孫堅 支配領域:司隸、予州、兗州 都:新鄭
齢六十を迎えようとした猛虎はなお衰えを知らなかった。
しかしその周囲は大きく変わっていた。
旗揚げ以来の宿将である程普、黄蓋はすでに亡く、残る韓当も老境に入り、今は護軍将軍として新鄭の守護の任についていた。
孫氏宗族もまた代替わりを迎えており、亡き孫静、呉景の跡を孫静の長子・孫暠が継ぎ宗族を束ねていた。
家臣団もまた、代替わりの時を迎えていた。
董卓討伐以降、洛陽の地で再起を図る孫堅を支えた三人の功臣・荀攸、陳羣、趙儼。
そのうち荀攸は先年に病没していた。
長きにわたり中原統治の根幹を支えた智者の死は多くの者に衝撃を与えた。
残る二人の漢、陳羣が政務を統べ、趙儼が軍政を担当し、戦略立案に関しては荀攸の元で学んだ俊才・周瑜、司馬懿、法正達がその類いまれなる頭脳をもって支えるのだった。
影働きを担った楊弘も世を去り、その席を継いだのは董昭。
老獪なる策士は静かに新たな時代の幕を引き継いでいた。
六営、敢死隊、影矢隊、騎兵隊。
数々の精鋭部隊もまた若い世代へ受け継がれていた。
勇将達は各々の任地に赴き、新たな将達がその任につくのだった。
そんな変化を迎える孫堅政権において、かつての戦友・朱儁の忘れ形見にして玄鴉の長・朱皓は、変わらず孫堅の影に控え、天下の趨勢に眼を光らせているのであった。
○斉
劉備 支配領域:青州、徐州、揚州、交州 都:臨菑
かつて斉の桓公が覇を唱えた都にもう一人の仁君がいた。
斉公・劉備。
青州、徐州、揚州、交州。
天下最多となる四州を支配する大勢力である。
さらに何より大きかったのはその血筋だった。
漢室の末裔、劉姓。
その存在は依然として朝廷において大きな意味を持ち、献帝もまた劉備を深く信頼していた。
臨菑の政務を担うのは荀彧、その補佐を魯粛と諸葛亮が務める。
軍務を担うは張飛と楽進、猛将と勇将が公都の平穏を支えていた。
各州にも優れた人材が配置されていた。
徐州には糜竺と趙雲。
揚州には張昭と関羽。
交州には諸葛瑾と高順。
文武の均衡が取れた統治体制は今や天下随一とも評されていた。
もし天下の民に次なる皇帝を選ばせるならば……。
ある者は孫堅を挙げ、曹操を挙げる者もいるかもしれない。
だが最も多くの者は劉備の名を口にしたかもしれない。
○趙
劉和 支配領域:冀州、并州、幽州 都:鄴
鄴、かつて袁紹が築いた河北の都。
そこには漢室宗親・劉和がいた。
父は名君として知られた劉虞。
その遺徳は今も北方に残っている。
冀州と并州は袁尚が統治し、幽州は鮮于輔と田豫がその政務を担っていた。
広大な三州を抱えていたがその支配権力は脆かった。
劉和自身も理解していた。
己が御輿に過ぎぬことを。
だが、誰かが鼎を支えねばならぬ。
そのためだけに生きていた。
そしてもう一人その均衡のためにその身を捧げる漢がいた。
沮授、袁紹以来の名臣。
若き袁尚の暴発を抑え、河北諸将をまとめ、その均衡を保ち続けた大賢人である。
河北が今日まで分裂しなかったのは、この男の存在があったからに他ならない。
○曹操政権 支配領域:益州、荊州 政庁:成都
益州盆地の要地・成都、そこに一度は滅びると思われた漢がいた。
曹操、かつて中原を追われた奸雄は西南の地で再び牙を研いでいた。
益州、荊州。
二州を掌握しさらに南方交易へ進出。
塩、鉄、蜀絹の生産に注力することで、莫大な利益が成都へ流れ込み、その勢力の源となっていた。
荊州統治は郭嘉、劉廙、曹仁の三人に委ねられ、曹操自身は成都に座し、夏侯惇、夏侯淵、龐統、徐庶、賈詡ら天下屈指の知勇を集めていた。
彼は待っていた。
己に訪れる老いにも焦ることなく、獲物を狙う狼のように北方に生じる綻びを。
静かに見つめ続けていた。
○涼州軍閥
西方、涼州。
そこにはなお荒々しい騎馬民族の風が吹いていた。
馬騰の長子・馬超、そして韓遂。
両雄は精強なる騎兵を擁し、西域交易によって力を蓄えていた。
洛陽の馬騰、涼州の馬超。
父子は漢室への忠誠を掲げながらも、馬超自身は独自の勢力として存在感を保っていた。
誰も彼らを軽視できない。
その鉄騎は今なお天下最強の一角であるがゆえに……。
○五斗米道
漢中、秦嶺の険路に囲まれた天然の要害。
そこでは張魯を教祖とする五斗米道が独自の秩序を築いていた。
長安と益州を結ぶ要地。
その地を押さえる彼らは一介の宗教集団ではない。
誰もが警戒し、誰もが利用しようとする存在であった。
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そして、天下は静かに呼吸していた。
誰もがこの十余年続いた均衡はこの先も続くと思っていた。
あと十年、いや二十年。
このまま時が流れるかもしれない、流れてほしいと願っていた。
だが運命は違った。
216年初夏。
北の地で二つの命の灯火が消えた。
一つは趙公・劉和。
もう一つは河北の柱石・沮授。
御輿と柱。
その双方を失った河北はたちまち激流へ呑み込まれていく。
後に史書は記す。
“劉和卒し、沮授没す。 河北の均衡ここに崩れ、 天下再び兵火に向かう”と。
漢王朝最後の小康の治は終わった。
新たな乱世の幕が今まさに上がろうとしていた。




