【第百四十話】西域の風
208年初春 洛陽
未だ冷気の残る朝、洛陽西門に一隊の騎馬が整然と並んでいた。
陸路西方特使団。
特使としてその先頭に立つのは、揚州阜陵国成徳県の人、劉曄。
皇室に連なる血を引き、かつて司空倉曹掾として孫堅に見出された俊才である。
静かな眼差しの奥に鋭い知性を宿した男であった。
その後ろには副使として四人の若き才が並ぶ。
楊彪の長子にして麒麟児と名高い楊修をはじめとして、周瑜、司馬懿達若き英才に加え、孫堅の次男である孫権も名を連ねていた。
さらにその周囲を囲むのは五百騎の精鋭。
衛尉・馬騰の推挙により選ばれた近衛騎兵であり、その指揮を執るは甥の馬岱。
西涼の血を引く騎将であり、鋭い眼光と無駄のない動きがその練度を物語っていた。
門前にて見送りの諸臣が並ぶ。
その中には孫堅、劉備の姿もあった。
孫堅が一歩進み出る。
「此度の行、漢の名を背負うものであること、重々心得よ」
短く、重い言葉。
劉曄は深く拝した。
「必ずや、西方に漢の威光を伝えて参ります」
その声音に迷いはなかった。
やがて、出発の号令。
五百の騎馬と荷車を連ねた一行が一斉に動き出す。
蹄の音が洛陽の石畳を打ちやがて西方へと消えていった。
その先に待つは未知の大地であった。
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漢の威を背負う一団は、関中を抜け、やがて河西回廊へと至る。
荒涼たる大地、だがその道は古来より西域と中原を繋ぐ命脈であった。
隊列は整然と進み風に翻るは漢の旗。
一年の年月をかけ一行は大宛国へと入る。
異国の風を感じる中、一行の眼を奪ったのは厩舎に並ぶ名馬たちであった。
「これが汗血馬か……。見事な体躯と文字通り紅い汗だな」
孫権が思わず息を呑む。
陽光を浴びて輝く毛並み、隆々たる筋肉。
その体躯は中原の馬とは明らかに異なっていた。
周瑜もまた、静かにその一頭へ歩み寄る。
「戦場でこれを得れば騎兵の質は一変するな」
大宛の商人は誇らしげに語る。
「この馬は風のように駆けることが出来ます。その際、血のように紅き汗を流すことから汗血馬と呼ばれます」
劉曄は冷静に価値を見極める。
「数は多くは求めぬ。だが精鋭に与えれば戦の形を変える」
交渉の末、百頭程が買い付けられた。
孫権と周瑜、馬岱は自ら選定に加わり、最良の個体を見極め、漢の地へ送ることとなった。
この時、すでに彼らの頭には“騎兵戦術の刷新”という構想が芽生えつつあった。
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さらに一年の年月が過ぎ一行は西へ。
使節団は大月氏国を経て、ついに安息国へと至る。
迎えは盛大であった。
異国の王侯は使節団の噂を耳にし、漢で作られた絹に深い関心を示していたのである。
滑らかで光を宿す布。
それは彼らの持ついかなる織物とも異なるものであった。
劉曄は礼をもってこれを献じた。
「これは我が漢の宝にございます」
安息の王は満足げに頷いた。
歓待の宴が開かれ、音楽と舞が場を満たす。
だが――
その後に続いたものが彼らの目を奪った。
広場に整列する騎兵。
合図とともに一斉に駆け出す。
やがて――
彼らは馬を走らせたまま、身体を反転させた。
「……!」
孫権が思わず声を漏らす。
騎兵は後ろ向きのまま弓を引き――
一斉に放つ。
矢は空を裂き、正確に標的へ突き刺さった。
さらに驚くべきはその統制であった。
個々の妙技ではない。
部隊として、整然と“後ろ向きの騎射”を行っていた。
「これが……」
周瑜の目が細くなる。
「噂に聞く安息の騎射の腕前か」
司馬懿は無言でその光景を見つめていた。
矢の軌道、馬の速度、兵の間隔。
すべてを記憶に刻むように。
演武が終わり歓声が上がる中、周瑜は静かに馬岱へと声をかけた。
「見たか」
「はっ」
馬岱の目には興奮が宿っていた。
「我らの騎兵とはまるで違います」
周瑜は頷く。
「中原の騎兵は突撃に重きを置く。だが彼らは違う」
視線は遠き戦場を見据えている。
「“離脱しながら攻める”……戦の理そのものが異なる」
馬岱は拳を握る。
「ですが、あの技、我らにも出来ましょうか」
周瑜はわずかに笑った。
「出来ぬ理由はない」
一拍。
「ただし、中原の戦と合わせるには工夫がいる」
その言葉に司馬懿が加わる。
「彼らは広野を前提としていますが、我らの戦場は地形が複雑ですからな」
冷静な分析であった。
「そのまま導入しても騎兵の理は生まれぬ」
周瑜は頷く。
「ゆえに、熟考と鍛練の上で我らの戦術に融合させる」
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その夜。
彼らは安息の外れの野で試射を始めた。
馬岱の指揮のもと騎兵隊が駆け、速度を上げ、合図とともに身体を捻り、背後に向かい騎射を行う。
だが矢は乱れ陣形も崩れる。
「まだ甘い!」
馬岱の叱声が飛ぶ。
周瑜は腕を組み、その様子を見ていた。
「体の軸がぶれている。馬と一体になれておらぬか」
挑戦を繰り返しすこと数刻。
やがて――
一部の兵が形を成し始めた。
後ろ向きのまま放たれた矢が、標的に突き立つようになる。
「……やれるな」
周瑜の口元に笑みが浮かぶ。
司馬懿は静かに呟く。
「遊牧民の戦と中原の戦……」
その目に宿るのは冷たい光。
「いずれ、これが戦の形を変えますかな」
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一月後。
騎射の訓練を終えた一行は西へと向かうため安息国を出発した。
新たな戦術を知る喜びを得た彼らは新たな未知の国への希望に胸を膨らます。
未知の戦術。
異なる戦争観。
それらを持ち帰ることも、この旅の真価であると――。
西の空は広く、果てしない。
そしてその彼方には、さらに異なる世界が待っているのであった。




