【第百三十九話】西方への使節
<第十三章> 小康の治
207年初春 洛陽
かつて董卓の暴挙で焦土と化し放置されていた洛陽は見事な復興を遂げ、戦乱の余燼はようやく鎮まりつつあった。
宮城の朝堂には静かな緊張とどこか満ち足りた空気が同居していた。
その朝堂も今や軍議ではなく政務と制度の整備、そして国家の将来を論ずる場へと変わりつつあった。
中心に立つのは三人の漢であった。
中原を掌握し漢室匡輔を掲げる孫堅。
東方を安んじ皇室に列する諸侯で最大勢力を有する劉備。
そして長安より長らく献帝を支えてきた忠臣楊彪。
三者は拮抗しそして均衡していた。
それこそがこの時代の安定の根幹であった。
やがて朝議が始まる
群臣が列し、玉座には献帝が静かに座していた。
その前へ孫堅が一歩進み出る。
「陛下」
低く、しかしよく通る声であった。
「近年、内乱は鎮まり、民は安んじ、財政もまた立ち直りつつございます」
堂内の諸臣が頷く。
それは誰もが認める現実であった。
「されば今こそ――」
孫堅は一拍置く。
「漢の威を、外に示すべき時にございます」
静寂。
その言葉の意味を誰もが理解していた。
内を治めた者が、次に為すべきは外への示威。
それは古来より変わらぬ国家の理である。
「武威を示すための外征は武帝の御代に確かに漢の最大版図を築きました。しかし、その犠牲は大きく、国が傾く遠因となったのは周知の事実。今また、この平和を享受する民に塗炭の苦しみを与えるのはいかがなものかと」
群臣に居並ぶ孔融が苦言を呈する。
孫堅が孔融に向かい礼を返す。
「孔融殿のおっしゃることはごもっともにございます。なれば、武ではなく、文の力、特使派遣により漢の威光と徳を示すことを提言いたします」
これは単なる外交ではなく、一度滅びかけた漢という国家が、再び“世界の中心”として立つ意思表示であった。
間を置かず、一人の漢が口を開く。
劉備である。
「異論はござらん。今の安定は内に閉じて守っているだけ。外と通じ、威と徳を示すことで、初めて盤石となりましょう」
劉備の言は孫堅の提案を補強するものであった。
威と徳、その両輪が揃ってこそ、国家は長く保たれる。
さらに老臣がゆっくりと口を開いた。
楊彪である。
白髪混じりの髭を撫でながら、静かに言う。
「漢の威光、久しく四夷に届かず」
その言葉には長年朝廷を支えてきた者の重みがあった。
「昔、和帝の御代に甘英が西方への特使となり向かったが、大秦国なる国にはたどり着けなかったと聞く。今、内が安んじたるは天の時。これをもって、大秦国への威を示すこと叶えば、陛下の偉業として千年の後にも語り継がれましょう」
一同の視線が自然と玉座へと向かう。
献帝はしばし沈黙した。
若き帝でありながら、その瞳には確かな光が宿っている。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「卿らの言、いずれももっともである」
静かだが揺るぎない声音。
「漢の威を四方に示すは朕の願いでもある」
その言葉に朝堂の空気が一つにまとまる。
「よって、西方への特使派遣を許す」
決断は下された。
その瞬間、洛陽の朝堂は静かに、しかし確かに歴史の一歩を踏み出した。
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朝議の後、廊下にて。
劉備が孫堅の隣に並ぶ。
「相変わらず機に敏なる見事な提言だな」
童のような無邪気な笑み。
孫堅も朝堂での緊張から開放され、和らいだ笑みを浮かべ答える。
「助言に感謝する。我らが漢王朝の更なる発展のためには必要なことゆえな」
二人は庭の向こうのまだ見ぬ西方の地を見据える。
はるか彼方、漢の名が届いていない地。
「いずれにせよ、ただ文を渡せばすむわけではない役だ」
孫堅がわずかに笑う。
「人選は慎重に。戦になっては元も子もない」
劉備の言葉に二人は顔を見合わせ笑い合うのだった。
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数日後。
洛陽の一角では早くも準備が始まっていた。
特使と護衛となる者達。
積み込まれる絹等の産物。
それらは単なる贈答品ではなく漢という国家の勢力の象徴であった。
やがて二つの使節団が編成される。
一つは陸路。
砂漠と山岳を越え西へ至る道。
もう一つは海路。
海を渡り南方諸国を経て西へ向かう道。
道は異なるが目指す先は同じ。
西方――大秦国。
まだ誰も知らぬその地へ、漢の名を携えた使節が向かおうとしていた。
洛陽の空は高く、澄み渡っているのだった。




