【第百三十八話】幕間 それぞれの嫁取り―曹真
204年初秋 荊州襄陽郡
荊州名士の黄承彦は屋敷の書斎で一人深くため息をついていた。
机の上には書物が積まれていたが彼の視線はそのどれにも向いていなかった。
「……困ったものだ」
呟きが漏れる。
そこへ訪問を告げる声が聞こえた。
家人が通した客は荊州南部・武陵郡の政務を担う劉廙であった。
「黄承彦様、お久しぶりにございます」
「おお、劉廙殿。久しいな」
二人は席につくと、劉廙は黄承彦の様子がおかしいことにすぐに気がついた。
「何やらご様子が優れぬようですが」
黄承彦は苦笑した。
「いや……家のことじゃ」
少し躊躇い、やがて言う。
「愚痴になるが、娘のことなのだよ」
劉廙は察したように頷く。
「御息女の縁談の件ですか?」
黄承彦は憂鬱な顔で頷いた。
「婿を迎えるとか、どうとかではなく……。毎日毎日、兵書や奇妙な機械の研究ばかり。嫁ぐ気配が微塵も感じられんのです」
娘の名は黄月英 。
荊州襄陽郡では知らぬ者のいない人物であった。
ただし理由は――あまり誉められたものではない。
劉廙は少し考え、やがて口を開いた。
「私にも婿探しをお手伝いさせてもらえないでしょうか?」
黄承彦は驚く。
「それは……」
劉廙は微笑んだ。
「黄承彦様には日頃よりお世話になっておりますので」
それは本心だったが打算が無いわけではなかった。
荊州名士との関係は曹操政権の今後にとって極めて重要であったからである。
「ぜひ任せてください」
黄承彦は深く頭を下げた。
「かたじけない」
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数日後。
劉廙は黄承彦と共に、婿候補へ声をかけて回った。
しかし――反応は皆、芳しくなかった。
理由は簡単である。
荊州ではある噂が広まっていた。
黄承彦の娘は金髪で小麦色の肌。
そして――奇妙な研究に没頭する変わり者。
その噂は誇張され、半ば怪人物のように語られていた。
「……」
肩を落とし屋敷へ入る黄承彦を見送り、劉廙は自らの宿舎に戻った。
黄承彦の苦悩を身をもって知った劉廙は解決の糸口を見付けるため、武陵に滞在している主に文を書くことにした。
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益州から武陵の視察に来ていた曹操の元に劉廙の文が届く。
曰く、
“殿、黄承彦殿の娘御によき士を探しております。御息女は金色の髪に褐色の肌とのことですが、とても賢き方。されど噂が噂を呼び、婿候補に恵まれませぬ。御知恵をお借りしたく”
文を見て曹操は最初こそ目を丸くしたが――
次の瞬間、大笑いした。
「面白い!」
その様子に共に護衛として随従していた曹真が驚く。
「殿、いかがいたしました?」
「曹真、この文を見て見ろ」
曹操が手紙を渡すと曹真も文に目を通した。
「その娘、会ってみるか?」
曹真は少し考え――頷いた。
「興味は……ありますな」
曹操は愉快そうに笑った。
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数日後、
黄承彦邸を訪れた曹真を黄承彦は丁重に迎えた。
「ようこそお越しくださいました」
二人で客間に入り談笑していたが待てど暮らせど黄月英は現れなかった。
「………」
やがて話題にも尽き、気まずい沈黙が部屋を満たす。
額に汗がにじむ黄承彦はやがて立ち上がった。
「少し失礼」
娘の部屋へ向かおうと扉を開けた、その時だった。
ドガシャーン!!
凄まじい音が響いた。
「何事です!」
曹真は反射的に立ち上がり音のした部屋へ駆け込む。
部屋に入った曹真が見たのは――大量の部品の山だった。
木材、歯車、布切れ。
その下から人の足が出ていた。
曹真が慌てて部品をどかすと――女性が倒れていた。
黄承彦が顔を赤くして怒鳴りつけた。
「月英!」
父の怒りの声に渋々と起き上がる女性。
埃と煤で顔は汚れ、衣服も作業着のように粗末なものだった。
だが――その顔立ちは驚くほど整っていた。
流れるような金色の髪は美しい光沢を帯びており、端正な顔にとても似合うものであった。
曹真はあまりの美しさにしばし見入ってしまった。
曹真に気づくと女性は目を細め、そして曹真の顔のすぐ前まで近づいてきた。
そしてじっと睨む。
黄承彦が慌ててとりなす。
「曹真殿、申し訳ない!娘の月英は目が悪い故、顔を近づけねばよく見えないのじゃ」
曹真は眼前に近づいた黄月英に、慌てて名乗った。
「曹真と申します」
「不躾に見つめてしまい失礼しました。黄承彦が娘、黄月英と申します」
黄月英は優雅に返した。
そんな黄月英を見て黄承彦は怒りを抑えながら言う。
「今日は客人が来ると言ったであろうが。あれほど早めに準備をせよと言ったはずだが」
父の苦言にそれでも黄月英はどこ吹く風だった。
黄承彦は曹真に向かい頭を下げる。
「娘の非礼、誠に申し訳ない」
だが曹真は首を振った。
「いえ、研究の最中にお邪魔してしまったのはこちらです」
その言葉に――黄月英の目がわずかに変わった。
それは興味の色であった。
彼女は首を傾げる。
「……不思議ですね。私は儒の教えに照らせば父に従わぬ不孝者であり、四徳も備えていない女ですが……」
そしてまっすぐ曹真を見つめる。
「なぜそんな私に不快な色一つなく礼をもって接してくださるのです?」
曹真は少し考え、答えた。
「あなたが持つ己を通す強さを感じたからです」
黄月英は黙る。
曹真は続けた。
「黄承彦殿の前で大声では言えませぬが、形式だけを守る儒など意味がありません。やりたいことを貫く、それは立派な志です」
そして言う。
「我が主、曹操は唯才主義を掲げており、才ある者を重んじます。私もそれが正しいと思っています」
沈黙。
やがて――黄月英は微笑んだ。
「……面白い方ですね」
そして目を輝かせる。
「では、私の研究を御覧になりますか?」
曹真は微笑んで了承した。
そこからの彼女は止まらなかった。
兵器の構造、その細部にある歯車の仕組みに到るまで事細かに説明し、それを曹真は真剣に聞いていた。
二人の会話は尽きない。
その後ろで――黄承彦は苦笑いを浮かべながら二人の姿を見ていた。
しかし同時に、安堵の表情でもあった。
(これは……ようやく善き縁が見つかったかもしれぬ)
秋の風が庭を渡る。
その中で、二人の議論はまだ続いていた。




