【第百三十七話】幕間 それぞれの嫁取り―諸葛亮
203年初夏 徐州下邳城
劉備政権の軍政の一端を担う諸葛亮は城内で出発の準備を整えていた。
青州にある兵器工廠――徐宣の管理する大規模工廠の視察である。
諸葛亮は書簡をまとめ、随行の役人へ指示を出していたが、ふと庭の方から金属の響きが聞こえてきた。
――シャッ。
鋭い風切り音。
諸葛亮は歩み出て庭を見やると、庭の中央で一人の女性が剣を振っていた。
呂玲姫、呂布の娘であり現在は高順のもとで保護されていた。
剣は流れるような動きで、振るうというより踊るような動きであった。
薄桃色の衣が翻り、長い髪が風に舞う。
諸葛亮は思わず立ち尽くした。
(美しい……)
武の鍛練でありながら、舞のようでもある。
剣が止まった。
呂玲姫は息を整え視線を上げると、諸葛亮が見ていることに気がついた。
「……あっ。こ、これは、し、失礼!」
諸葛亮は慌てて一礼する。
「諸葛亮にございます」
呂玲姫は小さく笑った。
「知っています」
剣を鞘に収める。
諸葛亮はそこで気づいた。
その剣はかなり使い込まれた代物であった。
刀身はよく手入れされているが、拵えが傷んでおり、特に深紅の鞘は色褪せ、細かな傷が目立った。
「その剣は……?」
呂玲姫は剣を諸葛亮に見せた。
「亡き父、呂布がくれたものです」
呂布。
その名を出す時、彼女の声はいつもより少し柔らかくなった。
「刀身はまだ大丈夫なのですが……」
鞘を撫でる。
「拵えがだいぶ傷んできてしまって」
諸葛亮は少し考えた。
「私はこれから青州の工廠へ向かいます。刀匠もおりますので、そこで修繕を頼んでみましょうか?」
呂玲姫の目が輝く。
「本当ですか?」
諸葛亮は頷いた。
すると彼女は諸葛亮にとって意外なことを言った。
「では、私も行きます」
諸葛亮は一瞬固まった。
「え?」
「剣の持ち主ですからね」
当然のように言う。
諸葛亮は戸惑いながらも答えた。
「それは……構いませんが……。ただ、高順殿の許可が必要なのでは?」
呂玲姫は頷き諸葛亮の手を取った。
「善は急げといいます。義父上に聞きに参りましょう」
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高順邸。
屋敷に呂玲姫が入り、諸葛亮は門前で待たされる。
予想だにしなかった展開に、回転が早いことが自慢の諸葛亮の思考も追い付けず、ただただ緊張し背筋を伸ばすことしか出来なかった。
数刻の後、高順が出てきた。
鋭い目、無骨な顔。
呂布の旧将として名高い猛将である。
諸葛亮は高順と面識はあったが、面と向かうのは初めてであった。
目の前にするその猛将の威圧感は凄まじいものであった。
事情を聞いた高順はいつもの不機嫌な顔をさらに険しいものにし、しばらく黙って諸葛亮を見つめていた。
長い沈黙に耐えかね、諸葛亮の額に汗がにじむ。
やがて高順は低く言った。
「軽はずみな行動をとるな」
一言のみだが、その迫力だけで十分であった。
諸葛亮は深く頭を下げた。
「は、はい!肝に銘じて!」
ただ震えるのみであった。
(こ、怖い……)
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青州への道。
旅は諸葛亮にとって意外なほど楽しいものであった。
諸葛亮は女性相手の話題を持ち合わせておらず、かといって沈黙も気まずいことから、己の得意な兵法や軍政の話をした。
しかし、呂玲姫はその話を興味津々に聞き、特に兵法の話では父や義父と共に見てきた戦場の話を語った。
「父はよく言っていました。強いだけでは勝てないのだ、と」
諸葛亮は興味深そうに聞く。
「ほう、かの飛将と名高い呂布殿が」
「でも」
呂玲姫は笑った。
「本人はだいたい力で解決していましたけど」
諸葛亮も思わず笑う。
この女性は不思議であった。
武人特有の凛としたたずまいの中に、どこか無邪気な雰囲気をまとっている。
(これまで会った女性とは全く違う)
諸葛亮は気づいていた。
自分が惹かれていることに……。
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青州斉国・臨菑県
巨大な工廠の中心で徐宣が迎えた。
「おお、諸葛亮殿」
諸葛亮は剣を見せる。
「徐宣殿、工廠の運営は滞り無いとのことで。ところで、この剣の修繕をお願いしたいのですが」
徐宣はひと目その剣を見て驚く。
「これは見事な剣ですな。よい仕事が出来そうです。お任せください」
徐宣の返事を聞き、諸葛亮は小声でもう一つ依頼した。
「徐宣殿、もうひとつ頼まれてくれぬか。同じ型の剣、色は――翠緑のものを」
諸葛亮の顔を見て、徐宣は訳ありな依頼であることを察し快く応じた。
数日後。
呂玲姫の剣は見事に修繕されていた。
拵えには新しい鱏の皮が巻かれ、深紅の鞘は新たな装飾で蘇っている。
「すごい……」
呂玲姫は嬉しそうだった。
徐宣に感謝する呂玲姫の姿に、諸葛亮は無粋な真似はできぬともう一振の剣を懐にしまい帰途につくこととした。
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203年初冬 徐州下邳
諸葛亮は呂玲姫を送り届けに高順邸に向かった。
屋敷が見えてくると何やら慌ただしい様子であった。
庭に入ると家人が荷をまとめている。
「何事です?」
呂玲姫が尋ねると家人の一人が二人に気づく。
「これは、呂玲姫様。御帰還早々ですが旅支度をお願いします。劉備様より命があり、高順様は交州の軍政統括として赴任されることとなりましたゆえ」
諸葛亮と呂玲姫はあまりの急展開に驚くが、呂玲姫は義父、高順を手伝うために屋敷に入ろうとする。
「諸葛亮様。今回の旅、とても楽しいものでした。ありがとうございます」
呂玲姫は礼をし、そして静かに告げる。
「これでお別れですね」
その言葉を聞いた瞬間――
諸葛亮は胸が締め付けられるような、今まで感じたことのない感情が込み上げてきた。
(離れたくない!)
気づいた時には動いていた。
懐から剣を取り出す。
徐宣に特別に依頼していた翠緑の剣を。
「これを」
呂玲姫は自分の剣と瓜二つの美しい剣を見て驚く。
「これは?」
諸葛亮は頭が真っ白になっていた。
「あなたのために作らせました」
そして――
思わず口にしていた。
「私の伴侶になってはいただけないでしょうか?」
「………」
沈黙。
呂玲姫は目を丸くしている。
諸葛亮は顔を真っ赤にしていた。
(言ってしまった……!)
「今回の旅はとても楽しかったです」
しばらくして、呂玲姫は微笑んだ。
「そして……不思議と心穏やかにいられる自分がいました」
呂玲姫が諸葛亮を見つめると、そこには慌てふためく諸葛亮の姿が。
常に冷静であることが売りの軍師とは思えない姿であった。
呂玲姫はくすりと笑う。
「お受けします」
諸葛亮は一瞬、時が止まったが如く固まったが、その顔に喜びが広がる。
その様子を見ていた家人たちが騒ぎ始めた。
「大変だ!」
「姫様が!」
「高順様をお呼びしろ!」
しばらくして――
高順が現れた。
家人から事情を聞くと、諸葛亮を睨みつける。
重い沈黙。
諸葛亮の背中に冷や汗が流れる。
そこに呂玲姫が前に出る。
「義父上、私は此度、諸葛亮様と過ごす時の中で、この方と共に生きたいと思いました」
高順は長く黙っていた。
やがて大きく息を吐いた。
「……そなたの思うとおりに。呂布将軍もそれを望まれておられるだろう」
渋々だが二人のことを認めたのだった。
冬の空気は冷たかった。
しかし諸葛亮の胸は温かかった。
冷や汗を流しながらも――
彼らは確かに明るい未来を感じていた。




