【第百三十五話】奸雄の飛躍
201年晩冬
趙韙の乱を鎮め、劉瑁を救った曹操は、益州において「救国の英雄」として迎えられた。
劉瑁はその功に報いんがため、再度益州長史に任ずる旨を曹操に打診。
二度目の要請のため曹操は受諾、武陵太守職を郭嘉に代行させることを荊州の蔡瑁へ要請した。
蔡瑁は勢力拡大を喜び、疑いなく承認する。
こうして益州と荊州の両州に曹操の影が伸びた。
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益州では曹操が益州人士の取り込みを図る。
・荊州出身の董和らは龐統が説得。
・益州名士は、徐庶が尹黙との同門の誼で橋を架け、曹操自ら黄権らを訪ねて帰順させる。
・劉瑁に子がないことから、曹操は寇封が劉氏の流れを汲むことを示唆した。その武勇を気に入った劉瑁は寇封を養子に望み、曹操は容認。寇封は劉姓となり劉封と名乗る。東州兵は劉封旗下に再編。
軍政の実権は曹操に収斂することとなり、益州は音もなく曹操の掌中に落ちた。
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荊州では郭嘉と劉廙が暗躍し、益州同様取り込みを図る。
・郭嘉は襄陽で蒯越・蒯良と接触し、驕る蔡瑁への反感を見抜き懐に入り込む。
・張允もまた二人からの説得もあり蔡瑁から離反。
・劉廙は司馬徽を通じ龐徳公・黄承彦ら名士層を味方に付ける。
・曹仁は黄忠・霍峻と誼を通じ、荊州武官との結束を固める。
荊州の地盤は静かに入れ替わっていくこととなった。
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208年、劉表死去。
蔡瑁は劉琮擁立を図り、味方とすべく曹操を招聘。
だが蒯越・蒯良らは長幼の序を盾に劉琦を推挙し、張允も同調。
蔡瑁は曹操の後押しを期待するが、曹操は原則を掲げる。
「長子相続こそ大義に適う」
蔡瑁は憤死し劉琦が立つ。
最大派閥の蔡瑁の死により、実質益州を押さえている曹操に並び立つものは居なくなった。
その瞬間、荊州の実権もまた曹操の影の下に入った。
209年、劉琦死去。
210年、劉瑁死去。
二州の主が相次いで死去したことで、名実ともに曹操が二州の覇権を握ることとなった。
荊州と益州、二州は連なり、曹操にとって巨大な基盤となる。
奸雄は静かに飛躍するのだった。
――第十三章、ここに終幕。




