【第百三十三話】剣舞の夜
201年仲冬 成都
州府の大殿は灯火に照らされ、盛大な酒宴が催されていた。
趙韙の乱を鎮めた功により、曹操は「救国の英雄」として迎えられ、その隣には益州牧劉璋が並び座している。
堂内には益州の諸将、豪族、そして曹操麾下の将たちが列席していた。
青州兵が外で警戒に当たる中、殿内は杯と笑声で満ちていた。
劉璋は何度も杯を重ね、涙ぐみながら言った。
「此度の御恩、終生忘れませぬ」
曹操は穏やかに応じる。
「漢の臣として当然の務めにございます」
柔らかな声音。
だが、その眼は宴席の一人一人を見ていた。
誰が笑い、誰が沈黙し、誰が酒を飲まずにいるか。
やがて宴は最高潮に達する。
楽が鳴り、鼓が響き、司会役が声を張った。
「今宵の華――剣舞にございます!」
まず進み出たのは益州の猛将、雷銅。
長躯、鋭い目の漢。
剣を抜き軽く一礼、舞いが始まる。
剣は風を切り、衣は翻り、鋭さと美が交錯する。
席からは感嘆の声。
そのとき若い声が響いた。
「相手役を務めたく候」
立ち上がったのは曹真。
曹操軍の若き俊英。
「祝いの席、剣舞ならば一人より二人が華やかにございましょう」
劉璋は笑って頷き、曹操は静かに目を細めた。
二人の剣が交わり、火花と音が美しく響き渡る。
雷銅の動きは豪放であり、曹真は軽快に受け流す。
徐々に激しくなる二人の舞。
その緊張を察したのは、劉璋の股肱の臣である張任であった。
(これは……ただの舞ではない)
張任は杯を置き、一歩進み出る。
「某も加わらん」
三人目の剣が加わろうとしたその時、場の空気が変わった。
次の瞬間。
雷銅の足が僅かに踏み変わる。
舞の流れを外れた一歩。
その刃が――主座へ向いた、劉璋へ。
「っ!」
雷銅の気合いの声ともに閃光のごとき一閃が劉璋に迫る。
その瞬間、曹操が動いた。
躊躇なく、劉璋の前へ身を投げ出す。
剣先が肩を掠め血が滲む。
事の成り行きに堂内が凍りつく。
「殿!」
許褚が叫ぶ。
だが次の瞬間には決着がついていた。
曹真の剣が雷銅の手元を強打。
乾いた音とともに剣が宙に舞う。
さらに一歩踏み込み、喉元へ刃を突きつける。
張任も横から押さえ込み、雷銅は床へと組み伏せられた。
雷銅は押さえつけられながら叫ぶ。
「この乱世――仁だけでは治まらぬ!」
血走った目が劉璋を射抜く。
「優しさでは国は守れぬ!決断なき主に益州は託せぬのだ!」
場は騒然。
豪族たちは青ざめ、将たちは互いを見合う。
劉璋は顔を蒼白に染め震えていた。
沈黙を破ったのは曹操であった。
肩から血を滴らせながら静かに立つ。
「剣を収めよ」
低いが通る声。
「祝いの席で刃を向けるは大罪ぞ」
だがその視線は、雷銅だけではなく、堂内全体を射抜いていた。
「しかし――」
一拍。
「乱世において国を憂い言葉にする気概は認めよう」
その言葉に諸将の背筋が伸びる。
曹操は劉璋を振り返った。
「州牧殿。今宵の件、いかに処されるか」
穏やかであったが、その器量が試される鋭い問いであった。
堂内の視線が集まる中、劉璋は言葉を失いただ黙することしか出来なかった。
張松は息を詰め、龐統は目を細める。
成都の夜。
宴は剣舞を契機として一転し、政変の気配を帯びた。
救国の英雄はその身を挺して隣国の主を庇った。
だが同時に――
蜀の弱点を衆目の面前に晒したのであった。
静寂の中、誰もが悟る。
今宵を境に益州は元の姿ではいられぬと。




