【第百二十四話】器と器
203年初秋 交州蒼梧郡・広信
包囲はわずかに三日ではあったが広信城内の空気は重かった。
先の見えぬ戦いに疑心と恐怖が満ちていた。
区景は城楼の上から闇を見下ろしていた。
かつて荊州で名を振るった男も今や背後に退路はない。
「……ここまで、なのか」
呟きに応える者はいない。
その時、足音がした。
振り返ると側近の一人――
いや、かつての側近だった男が刃を抜いて立っていた。
「何の真似だ」
区景は声を荒らげる。
男は視線を伏せたまま言った。
「殿……もう、城は保ちませぬ」
「だからといって、この私を――」
「殿が生きておられる限り、我らは皆、連座して死にます」
沈黙の後、区景は笑った。
乾いた、力のない笑いだった。
「……そうか。私の名はもはや“災い”か」
男の手が震える。
区景はゆっくりと背を向けた。
「よい。せめて――首は、価値ある者に渡せ」
刃が振り下ろされる。
夜明け前、広信城は内から崩れた。
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翌朝。
城門が開かれ、区景の首が白布に包まれて差し出された。
血に塗れた南方の戦が一つ、終わりを告げた瞬間だった。
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南海郡・番禺
数日後。
番禺の港に一隻の船が着いた。
風を受け白帆が揺れる。
船を降り立ったのは、粗衣に身を包んだ一人の漢。
劉備だった。
士燮は出迎えの列の中でその姿を見た瞬間、息を呑んだ。
「……あれが、劉玄徳……」
豪奢でもなく、威圧的でもない。
だが、周囲の空気が自然と彼を中心に整っていく。
劉備は士燮を見ると深く一礼した。
「交阯太守、士燮殿。遠路の労、感謝いたします」
士燮は慌てて応じる。
「い、いえ……むしろ、助力を頂いたのは我らの方で……」
劉備は豪快に笑った。
「士燮殿。俺は堅苦しいのが苦手で。貴殿も楽にしてくれ」
そう告げ、劉備は士燮の手を取り肩を叩く。
「力は必要なところに集まるもの。貴殿の軍の義心があればこそ、我らもそれに集ったということ。此度の戦、交州を守ったは貴殿達の力。それで十分ではないかな」
その言葉に士燮は胸を衝かれた。
(己の力を“認める”という言葉が、これ程我が心に歓喜をもたらすとは。これが英雄の器というものか……)
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番禺の政庁に場所を移し戦後処理について話が及ぶ。
劉備を正面に左に士燮、右に関羽、虞翻達が並んでいた。
士燮が静かに申し出た。
「交阯、南海、九真、合浦――この四郡は出来ますれば、これまで通り我が一族で治めたいと存じます」
周囲が息を呑む。
だが劉備は即座に頷いた。
「もちろん、貴殿に任せたい」
士燮は思わず言葉を失い、関羽は苦笑をその口許に浮かべる。
「……よ、よろしいのですか」
「何を驚いてる」
戯笑を浮かべた劉備は、顔を直し、まっすぐに士燮を見た。
「地を知る者が治める。それが最も民が安らぐ」
そして、こう続けた。
「俺は天下を“握りたい”のではない。この天下で民と共に“楽しみたい”。そんな場所を作りたいんだ」
士燮はその場で深く頭を下げた。
「……この士燮、生涯をもって劉公の望みにお応えしましょう」
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戦火に焦げた瓦を新しい光が照らしていた。
劉備はその光を見つめ、関羽に向かい呟く。
「南は、南のやり方で――それでいいな」
関羽は静かに微笑み頷くのだった。
剣ではなく、信で結ばれた地。
こうして交州は“奪われた地”ではなく、“委ねられた地”として、劉備の勢力に加わった。




