【第百二十二話】異形との戦
203年仲夏 交州蒼梧郡
交州の空は重かった。
南海郡を発った二万五千の軍勢、関羽・士燮連合軍は蒼梧郡へ向けて進軍を開始した。
先鋒には賀斉率いる山越兵。
その後ろに丹陽兵を主軸とする関羽軍、さらに士燮の交阯兵が続く。
川沿いの道は湿り、丘陵と森が交互に現れる。
北方の戦とは明らかに勝手が違った。
「……見通しが効かぬな」
関羽は馬上から周囲を見渡し低く呟いた。
道は狭く、視界は遮られ、伏兵を潜ませるには事欠かない。
「区景は守りに自信を持っているでしょうな」
士燮が隣で言う。
「蒼梧は山と水の国。孫子に曰く“険阻・池井・葭葦・山林・翳薈の地は必ず謹んでこれを覆索せよ”と言います。兵力は劣れど、時間を稼ぐことはできる地ですな」
関羽は頷いた。
「我らはこの地に不慣れ。時をかければ疲労で戦どころではなくなる……」
その言が終わらぬ内に賀斉よりの伝令が駆け戻ってきた。
「前方、敵襲!」
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先鋒として進んでいた賀斉の軍に対して木々の中より矢が飛んできた。
賀斉は不意の攻撃にも即応する。
「皆のもの落ち着け!無闇に追うな。敵の思うつぼだ!」
賀斉は兵に指示し、盾をもって円陣をとり、密集体形をとることで死角をなくす。
賀斉の対応に区景兵は敵わぬとみて即座に兵を退いた。
先鋒部隊の被害は軽微であったが、周囲を警戒するため、行軍速度を落とさざるを得なかった。
その後も伏兵による奇襲が繰り返された。
賀斉同様、虞翻や張允も守りに徹することで被害はでなかったが、思うように進まぬ進軍と南方の暑さに兵の苛立ちは募るのだった。
数日の遅々とした進軍で森を抜けると平野が広がっており、その向こうに「区」の旗が翻っていた。
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揚州軍軍議の席
「奴らも思いの外戦果が上がらず、焦れているのだろう。この機を逃さず一気に叩いてしまおう」
賀斉が数日の苛立ちをぶつけるように速戦を主張する。
「しかし、寡兵の側が地の利を捨てて、平地での戦を挑むは理に反する。何か策があるとみるのが妥当であろう」
虞翻が慎重策を提案する。
関羽が決を出そうとした時、兵が駆け込んできた。
「注進!一部の兵が敵の挑発にのり、敵陣に攻めかかりました!」
「なにっ!勝手な真似を」
怒鳴る賀斉を制して関羽が立ち上がる。
「仕方あるまい。勢いを削げば寡兵にも遅れをとるやもしれん。ゆくぞ」
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蒼梧郡の平野は湿った熱気に満ち、靄がかかっていた。
山と川に囲まれたこの地では中原の戦とは異なる――重く、濃い空気が戦場を支配していた。
関羽は馬上から攻めかかる自軍とその向こうの敵陣を見据えていた。
「……妙だな」
前面に布陣する区景軍は数こそ一万ほど。
だが、その中央が異様に盛り上がっている。
次の瞬間――
地が、震えた。
低く、鈍い振動。
まるで大地そのものが歩き出したかのような重圧。
「な……!」
攻めかかった前列の兵がどよめく。
靄の向こうから現れたのは巨大な影、象兵部隊であった。
その数、十、二十頭――いや、三十頭。
厚い皮膚、長く鋭い牙。
背には櫓が組まれ槍と弓を構えた兵が乗っていた。
「あの獣はなんだ!」
賀斉が叫ぶ。
敵陣の区景は勝ち誇ったように腕を振り下ろした。
「踏み潰せ!」
象兵が進む。
その一歩ごとに地が鳴る。
丹陽兵も山越兵も、この“動く城”を前に思わず足が止まった。
「くそっ……!」
賀斉は即座に命じる。
「矢を集中しろ!脚を狙え!」
大量の鋭矢が象兵部隊に集中する。
だが――矢は弾かれた。
象の皮膚は厚く、また怯える兵の矢は力無く、刺さらない。
逆に怒った象が鼻を振り兵を薙ぎ払う。
悲鳴が上がり隊列が崩れる。
「退くな!止めろ!」
賀斉は兵を叱咤するが、兵たちの目に浮かぶのは“恐怖”だった。
その様子を後陣から見ていた士燮が静かに口を開いた。
「……将軍」
関羽が振り向く。
「象兵部隊に御味方は恐慌状態ゆえ、一度退き態勢を立て直すがよいかと」
関羽も戦況をみて頷く
「退却の鐘を。一旦陣に退き立て直すぞ」
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木柵と土塁で囲んだ陣に兵が雪崩れ込む。
「門を閉じよ!」
だが、震動は止まらない。
象兵は止まることなく追ってきていた。
「火を持て!火を!」
誰かが叫ぶ。
準備は間に合わず、巨象が柵へ体当たりした。
――バキィッ。
太い丸太が砕け散る。
二頭、三頭と続く。
陣門は瞬く間に崩れた。
「防げ!」
関羽は再び馬を進めるが陣内は混乱しきっていた。
若き陸遜が本営近くで兵をまとめようとしていた。
「隊を立て直せ!散るな!」
その声に向かって一頭の象が突進した。
土塁を踏み越え一直線に。
「陸遜、下がれ!」
張允が叫ぶ。
張允は盾を構え、数名と共に前へ出た。
象の鼻が盾を弾き飛ばす。
張允は倒れながらも、象の脚へ槍を突き立てる。
「今だ、退け!」
陸遜が兵に引かれ、後方へ退く。
次の瞬間。
象の足が振り下ろされた。
鈍い音。
張允の身体は泥と血に沈んだ。
それでも象は止まらない。
関羽が駆けつけ、青龍偃月刀を振り上げる。
「退けいッ!」
渾身の一撃が象の首筋を裂く。
巨体が揺れ、崩れ落ちる。
だが、陣は既に形を失っていた。
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揚州軍は散り散りとなり、士燮の兵も森へと退いた。
関羽は陸遜を守りながら撤退路を確保する。
「陸遜、無事か。」
陸遜は血と泥に塗れながら呆然としていた。
「張允殿が……」
関羽はただ前を見据えるのみであった。
蒼梧の空に土煙が漂い、遠くで象の咆哮が響いていた。




