↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
122/172

【第百二十一話】左伝の友

203年盛夏 交州南海郡・龍川


河を挟んで対峙する関羽と士燮の軍。

そんな両軍の間に一艘の小舟が漕ぎ出してきた。


「揚州牧・関羽将軍とお見受けする。交趾郡太守を勤めております士燮と申します」

士燮がわずかな供回りとともに接岸、上陸してきた。

白髪交じりの温厚な顔だが、その眼差しは鋭く澄んでいた。


関羽も馬を進め、深く一礼する。

「漢左将軍・劉備が臣、関雲長。区景討伐のため、この地に参じた」


一瞬の沈黙。

そして――士燮は、微笑んだ。

「ならば、話が早い。私もまた張津の仇を討たんとしていた」


その言葉に、両軍の空気が一変する。

虞翻が静かに息を吐いた。

「……剣を抜かずに済みましたな」



---


その夜――

南海郡の陣営に静かな焚き火が灯り、湿った夜気の中、関羽と士燮は向かい合い、杯を手にしていた。


武具を解いた関羽の姿は戦場とは別人のように落ち着いており、士燮はその様子を見て微笑んだ。

「将軍……噂に違わぬ偉丈夫ですが、剣を置くとまるで書生のようですな」


関羽はわずかに口許に笑みを浮かべる。

「……恥ずかしながら、若き頃より春秋左氏伝を愛読し暗誦できるほど読み込みました」


士燮は関羽の言葉に目を見張った後、杯を揺らし、焚き火を見つめながら語り始めた。

「若き日、洛陽に遊学しておりました。その折――潁川にて劉陶(りゅうとう)という御仁に学びましてな」


その名に今度は関羽の目が見開かれる。

「劉陶……清流の士。党錮の難にあっても節を曲げなかった士と聞く」


士燮は深く頷いた。

「ええ。利で人を測るな、義で世を見よ――そう教えられました」


しばしの沈黙。

やがて士燮は探るように言った。

「将軍は……左伝をどう読まれますかな?」


関羽は焚き火から視線を逸らさず、静かに答えた。

「――『春秋左氏伝』は、儒のみの書ではない」


士燮の口元がわずかに緩む。

「ほう」


「人がなぜ剣を取るのか。なぜ国が滅び、なぜ残るのか――それを記した書、と」

関羽はふっと息を吐いた。


焚き火の火が二人の顔を赤く照らす。


士燮は深く息を吐き頭を下げた。

「……この南の地で将軍のような“義を読む剣”に会えるとは思わなかった」


「士燮殿、晋の名臣・叔向(しゅくこう)と鄭の名宰相・子産(しさん)は互いを深く理解し合う関係であったと左伝にあります。我らも二人の仲に習いたいと思うがどうかな?」

関羽が杯を掲げる。


士燮は微笑みながら頷き杯を掲げ、二つの杯が静かに触れ合った。

「正に、左伝の友として」


その音は交州の行く末を定める確かな契りの音であった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。