【第百十六話】火と誇りの果て
202年盛夏
焔が上がる、その前――
時は遡り、軍議の席。
陣幕の中、地図が広げられ、それを囲む孫策、周瑜、劉豹達。
「片側は我らで塞いでしまえばよいでしょう」
沈黙を破った周瑜に孫策が尋ねる。
「だが周瑜、土木工事が得意であった秦の始皇帝の真似事でもするのか?にしても時がかかりすぎる」
周瑜は微笑みながら地図の西側、丈高き草地を指でなぞった。
「草地を燃やします。火計で西を封じ、東は川。匈奴軍の機動力を、隘路を作ることで奪うのです」
朱治が頷く。
「川と火……確かに、それなら馬も走れん」
「彼らの退路を塞ぐなら拒馬槍も用意すべきです」
法正の言葉に一同が視線を向ける。
「木材を大量に要します。川を使い背後となる地に伏兵と木材を運び、退路を塞ぐ。拒馬槍で馬の突進を止めれば、匈奴は完全に袋の鼠となりましょう」
孫策は深く息を吐いた。
「……必要な物資は?」
法正は即座に答えた。
「油、木材、丈夫な縄。早馬を飛ばし、長安と洛陽に依頼をいたしましょう」
孫策は苦笑いを浮かべながら、遠征に付き従っていた玄鴉の部隊長に伝令を命じた。
「鍾繇や陳羣達にはまた小言を言われそうだ」
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伝令を受けた長安――
鍾繇は文机に書を広げながら、ため息をついた。
「まったく……今度は木材か」
愚痴をこぼしつつも頭の中で必要な資材の量をはじき出す。
「倉を開けよ。梁材、柱材、使えるものはすべて出す」
一方、洛陽と許昌では――
司馬朗と陳羣が油の算段に追われていた。
「民用の灯油まで使うわけにはいかん」
「兎に角、燃えるものなら何でもよい。急ぎ集めるのだ!」
こうして二週間が過ぎ、油と木材は夜を徹して運び込まれた。
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決戦前夜。
朱治は近衛二千を率い、木材、油を積んできた船団で川を北上していた。
「伏せよ。音を立てるな」
川岸の葦に紛れ、拒馬槍が静かに組み上げられていく。
すべては――決戦の時のために。
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時は去卑が劉豹を追撃中に戻る。
川近くまで進軍した去卑軍。
去卑は勝利を確信していた。
漢軍は退き、劉豹も追い詰めた。
「あとは裏切り者を狩るだけだ」
その瞬間――
孫策の号令が、草原を裂いた。
「放て!」
油を含んだ草地へ、張遼率いる騎馬隊が火矢を放つ。
轟音とともに、焔が走った。
「なっ……!?」
西側の草地が燃え上がり、焔の壁となった。
同時に川側より、影矢隊の斉射。
船上から放たれた矢が、南匈奴兵を射抜いていく。
去卑は火計の混乱から立ち直り一時撤退を試みた。が、それは叶わなかった。
「何故、後続の兵は下がらんのだ!?」
背後では朱治率いる近衛兵が川を渡り終え、拒馬槍を突き立てていた。
去卑軍の退路は完全に断たれたのだった。
「進めぇぇぇ!」
魏延の咆哮。
五千の重装騎兵が一万の去卑軍へと突撃する。
去卑軍は矢を射かけ重装騎兵を牽制しようとするが、矢は弾かれ、刀は通らなかった。
重装騎兵は鉄の塊となり、去卑軍を粉砕。
彼らは肉と骨と化すのであった。
「止めろぉぉぉ!」
去卑の叫びも虚しく、陣は蹂躙された。
去卑は逃げようと馬を走らせる。
だが――
その前に、劉豹が立ちはだかった。
「逃げるな、去卑!」
「貴様ぁぁぁ!」
去卑が先に動いた。
低く身を伏せ、馬腹を蹴る。疾風のごとき突進――その右手に閃くのは、厚く反った刀。
「――来い」
劉豹の声は低く揺るぎない。
彼もまた馬を進め、二つの影が一気に縮まった。
最初の一合。
刃と刃が激突し、火花が散る。
衝撃が腕を打ち、馬上で体が跳ねた。
二合、三合。
すれ違いざまに斬り結び、再び向き直る。
去卑の刀は荒々しく、力に任せて叩きつけてくる。
劉豹はそれを受け流し、わずかに角度を変えてかわす。
四合目。
去卑が吼え、馬を寄せて横薙ぎに振り抜いた。
劉豹は刃を合わせることなく、半身でそれをいなす。
その瞬間、去卑の体勢が僅かに崩れた。
刀を振り抜いた腕が、ほんの一瞬、前に出る。
劉豹は逃さなかった。
「終わりだ」
踏み込み、下から掬い上げるような一太刀。
刃は鎧の継ぎ目を裂き、去卑の腕を肩口から断ち切った。
血風が舞い、刀と共に腕が地に落ちた。
去卑は声も上げられず、馬上から崩れ落ちる。
その身体が地に叩きつけられる音だけが、草原に響いた。
そこへ誥升爰が駆け寄った。
「父上……!」
血にまみれ、助けを求める去卑。
「誥升爰……わしを……助けるのだ……」
誥升爰は、震える手で剣を握った。
涙が頬を伝う。
「……匈奴の誇りを、汚したのは――」
声が震える。
「あなたです」
一閃。
去卑の命は、そこで尽きた。
剣を落とし誥升爰は膝をつく。
「……劉豹様、我が軍はあなた様に降伏いたします」
戦は終わり、焔の向こう、草原に静寂が戻る。
孫策は遠くその光景を見つめていた。




