【第百十四話】縦横無尽
202年初夏 南匈奴
戦の数刻前――
孫策の本陣で対南匈奴の策を練っていた。
広げられた地図の上には、川と草原、そして広大な平野が描かれている。
そこには孫策軍の前に大きく展開する去卑率いる南匈奴軍が描かれていた。
劉豹曰く、
「我ら匈奴の民には細かい軍略はない。己の武威を敵に示すことで勝利を呼び込むのが我らの戦」
対策を思案する面々の中で、沈黙を破ったのは朱治であった。
「若殿。ひとつ、古いが確かな戦がある」
孫策は顔を上げる。
朱治は続けた。
「長安で段煨殿と共に戦った折に聞いた。涼州三明の一人、段熲の用いた戦法だ」
周囲の将がわずかに身を乗り出す。
「重装歩兵で敵の突撃を真正面から受け止める。崩れぬ陣で“牙”を折り、両翼から軽騎兵を回し――包囲して殲滅する」
「正面で耐え、側面より殺す、か」
孫策が低く呟いた。
「朱治殿の策、理にかなっています。しかし我らの軍には蒋欽殿の影矢隊や魏延殿の重装騎兵部隊がおります。」
周瑜は地図の中央に指を置く。
「重装歩兵の背後に影矢隊を置きましょう。敵が引けば矢で削り、詰めれば槍で止める。さらに主攻の両翼の軽騎兵に加え、正面からは重装騎兵が出ることで三方より圧をかける」
法正が頷く。
「敵は数で勝るが兵種の妙を駆使すれば我らに利がありますな」
孫策は三人を見渡し満足そうな笑みを浮かべた。
「――よし。二人の策を合わせる。この平野で、匈奴に“戦術”の恐ろしさを教えてやる」
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角笛が鳴った。
戦場は、どこまでも広かった。
草を踏みしめ、南匈奴の三万が動く。
去卑は全軍の前に立ち、怒りを隠そうともせず、剣を振り上げた。
「踏み潰せ!漢の犬どもを!」
一斉に、騎馬が駆け出す。
孫策は静かに手を上げた。
「――構え」
近衛部隊の重装歩兵が、地に長矛を突き立てる。
盾が並び、鉄の壁が生まれた。
次の瞬間――
衝撃が来た。
馬と人がぶつかり合い、金属音と悲鳴が平野に弾ける。
匈奴の突撃は鋭く、最前列は押し込まれかけた。
――が、陣は崩れない。
だが、南匈奴軍はすぐに距離を取った。
「射て!」
騎馬は散り、弓が引かれ、空が矢で黒く染まった。
「影矢隊、応射!」
蒋欽の号令で弩兵部隊が応射する。
だが――数が違った。
徐々に孫策軍の被害が増え始める。
「今だ!左右、動け!」
張遼と劉豹の軽騎兵が両翼から回り込み、包囲を試みる。
同時に、魏延率いる重装騎兵が近衛隊と影矢隊の間から前進した。
――しかし。
去卑は孫策軍の動きに嘲笑をもって答えた。
「遅い!」
南匈奴の騎馬は二手に分かれ、軽騎兵に襲いかかる。
張遼の隊が翻弄され、劉豹の部隊も兵力差は著しく後退を余儀なくされる。
魏延の重装騎兵にいたっては追いつくことが出来なかった。
機動力の差が残酷な形で現れたのだった。
周瑜が歯を食いしばる。
「……ここまでの差があるのか……」
孫策は戦場全体を見渡し――決断した。
「周瑜、退却だ!」
周囲が息を呑む中、孫策は繰り返す。
「全軍、後退だ。陣を崩すな!」
鐘の音が撤退を告げ、その背に南匈奴の鬨の声が響いた。
去卑は高笑いした。
「見たか!これが草原の戦だ!」
夕暮れの中、孫策軍は退却を余儀なくされた。
大敗ではない。
だが――敗北には違いなかった。
初戦は南匈奴のものとなった。
孫策は振り返らず、ただ前を見て言った。
「次は……こちらの番だ」
平野に沈む夕日が、赤く、静かに燃えていた。




