【第百四話】答え合わせと
200年仲春 荊州新野
曹操が見つかったという報せは、瞬く間に新野城を駆け巡った。
郭嘉・夏侯惇・劉廙らは城門に集まり、傷だらけではあるが確かに歩いて戻る曹操の姿を見て、皆が胸を撫で下ろした。
郭嘉は深々と頭を垂れる。
「殿……あれほどご無理はされぬようにと……ですが、ご無事に戻られたこと、これ以上の喜びはありません」
曹操は笑みを浮かべ、郭嘉の肩を叩きながら庁舎に入った。
「心配をかけたな、郭嘉。だが、まだわしは天運に見放されてはおらぬようだ」
郭嘉が安堵の息をついたその時、曹操はふいに語りだした。
「郭嘉……わしは山奥で、一人の仙人のような男に救われたのだ」
「仙人……?」
郭嘉は眉をひそめる。
曹操は静かに続けた。
「名は名乗らなんだ。しかし、その言葉には重い響きがあった。曰く――この荊州には、天下を動かす二つの才が潜んでおると」
郭嘉は身を乗り出す。
「二つの才……?」
「玄鶴と鳳雛――とその男は言っていたな。その者達の名を聞いたが『よいかな、よいかな』と言ってはぐらかされたわ」
郭嘉、夏侯惇らが顔を見合わせる。
その名は誰も聞いたことがなかった。
その時、劉廙が静かに膝を進めた。
「殿。それは……私の師の言葉にございます」
曹操が振り向く。
「劉廙、おぬしの師とは……?」
「はい。号を水鏡と申す、司馬徽先生にございます」
曹操の目が見開かれた。
「水鏡……確かにあの眼の輝きは我が身を写すようであったな」
劉廙は深くうなずいた。
「玄鶴とは、私の兄弟子・徐庶殿。もとは撃剣の名手にして、師の門下に入ってからは兵法に覚醒した士。“玄鶴”とは、まだ産毛の残る鶴――若くしてすでに戦の玄理を悟った者という意でございます」
郭嘉が頬をゆるめた。
「戦の玄理……ほう、実に興味深い」
劉廙はさらに続ける。
「そして鳳雛。これは、同じく兄弟子の龐統殿。荊州随一の名士、龐徳公の甥。水鏡先生は “この男、機を得れば鳳凰の如く大空を翔け、天下に号令する才を発揮しよう” と評されております」
郭嘉が低く唸った。
「玄鶴が戦の鬼才、鳳雛が天下を翔ける器……殿、荊州とはかような宝の地だったとは」
曹操の胸が高鳴る。
(この地に二つの才が眠るか……!水鏡先生はそれを伝えてくれておったか)
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曹操はすぐさま命じた。
「劉廙、徐庶殿の居場所を知っているか?」
「今も昔と同じであれば、南郡との境近くに、ひっそりと暮らしておられたかと」
「案内せよ。すぐに向かう」
郭嘉が驚き諫めようとする。
「殿、まだお怪我が――」
「天下の基を定むるのに、傷など障りにはならぬわ」
郭嘉と夏侯惇は目を合わせ、苦笑して黙すこととした。
こうして、曹操・劉廙を中心とした一行は南の山間へ向かった。
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徐庶は黒衣の質素な服を纏い、山中の小屋で書を読んでいた。
その眼差しは剣のように鋭いが、湖のように澄んでいた。
曹操が訪問を告げると、徐庶は顔を上げた。
「これは……荊州新野の曹操殿直々のおこしとは」
曹操は礼を尽くして頭を下げる。
「先日、水鏡先生より“玄鶴”という名を聞き、劉廙よりその玄鶴こそ、徐庶殿と伺った。ぜひ、一言お話ししたい。」
徐庶は劉廙へ目を向けた。
「劉廙、お前が揚州から戻り曹操殿に仕えたと風の噂で聞いてはいたが……。まさか、私の元にお連れするとはな」
劉廙は誇らしげに笑った。
「兄弟子殿の才を埋もれさせたくなかったのです」
徐庶はしばらく曹操を見つめた。
その瞳には、どこか試すような光があった。
「曹操殿。あなたは覇を望む人とお聞きしました。己の野望のみで天下を望むものですか?」
曹操は胸に手を置いた。
「わしは乱世の奸雄と評された。己に野心がないとは言わぬ。だが、徒に乱世を弄ぶ奸臣ではないと自負している。天下をまとめ安寧な地としたいという志に偽りはない。そのために才ある者の力を借りたいのだ」
その声は、まっすぐで偽りがなかった。
徐庶の目が静かに和らぎ、小さく呟いた。
「……ならば、私の剣と智を預けてもよいだろう」
劉廙は目を潤ませた。
「兄弟子殿……!」
徐庶は曹操に向き直り、深く拱手した。
「この徐庶、これより曹操殿の幕下として働かせていただく。」
曹操は強くうなずいた。
「玄鶴よ。共に天下を安んじよう。」
徐庶の目が静かに輝いた。
この瞬間、荊州にひそむ一人の天才が、曹操の許へ集ったのであった。
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帰路、曹操は馬上でふと思う。
(玄鶴を得た。だが鳳雛――龐統にも、いずれ会わねばならぬ)
胸に灯った期待と興奮は、風の冷たさでは消せなかった。
郭嘉が馬を寄せてくる。
「殿。人材収集家の血が騒いでおられますな」
曹操は笑い返した。
「ふっ……まだ荊州には宝が眠っておる。探し出してみせようぞ、郭嘉」
郭嘉もまた笑った。
「ええ、楽しみでございます。」
春の風が彼らの背を優しく押していた。
荊州――人材の宝庫。
ここから曹操の覇道は、さらに大きく羽ばたくことになる。




