第二百四十九話
◇◇◇クルル◇◇◇
頼信の語った長い説明を、クルルはすべて理解できたとは思えない。
ただ、話のひとつひとつには、うまく反論が思い浮かばなかった。
それになによりも、奴隷を商品だと言い切った時の冷たさだ。
金で売買されているのだからそれはそうなのだが、その割り切り方に、思わず顎を引いてしまった。
クルルは頼信がどんな世界から来たのか未だによくわからないが、あまりまともなところでなかったのだろうと思うのは、こういう時だった。
頼信は大きな問題を前にすると、前の世界の知識や考え方で、その問題を上手に切り刻んで見せることがある。
絶対に解決不可能だと思われた大きな問題が、解決できそうないくつかの問題に切り分けられ、気がつくとすべてがなくなっている。
クルルは何度もその見事さに目をみはってきたが、同時に、思うこともあった。
その思考法はあまりに切れ味が鋭く、頼信自身が、その鋭さにどこか諦めを感じているように見えるのだ。
そうしなければならないからと、その刃を獲物に当てたが最後、頼信自身でさえ途中で刃を止められないように見えることがたびたびあった。
そして切り分けられたそれを見て、たとえどんな形であろうとも、それが正しい形なのだと自分に言い聞かせているようなところがある。
そういう時の頼信は、世界と戦うための武器をたったひとつだけ与えられ、それで戦うしかないと教え込まれた子供のようだった。
クルルは大きなため息をついて、頼信を見た。
「イーリア様は、旅立ちの前にいくつか私に言い渡したことがある。その中に、お前に無茶をさせるな、というのがあった」
「……無茶?」
「そうだよ」
クルルは答えてから、その指で頼信の額をぐりぐりと押した。
「今のお前みたいに、なにがなんでもイーリア様の望みを叶えようとしないようにってな」
「え?」
意地悪するように指で頼信の額を押したクルルは、ふんと鼻を鳴らす。
「お前はお人好しで、誰にでも優しいからな」
誰にでも、というところについ力がこもってしまったが、仕方ない。
「お前の言うとおり、全部を解決することはできないかもな。でも、いくらかは解決できるんだろう?」
その問いに答えあぐねた頼信は、あろうことか「解決の定義によります」なんて抜かした。
三人解放することで四人の新たな奴隷を生み出すのならば、それは解決と言ってよいのかどうか。
しかもその解放のための費用はどんどん上がっていく。
そんなことをうわごとのように繰り返していたが、クルルが聞きたかったのはそういうことではない。
「できるんだろう? 少なくとも解放される奴隷はいる。違うのか?」
クルルの再度の言葉に、頼信はどこか不服そうにうなずいてから、すぐに言った。
「で、ですが、その計画でさえ、机上の話なんです。自分たちはよそ者なんですよ」
クルルは片目を嫌そうに細めたが、黙れとは言わなかった。
すると頼信は、緊張で唇を舐めてから、絞り出すように言葉を続けた。
「自分たちの漁場を用意するのは難しいことです。買うと言っても、領主の漁場であれば、領有権の問題などが絡んできます。お店に売っている商品とは違うんです。それに、ですよ。万が一漁場を買えたとしても、高い利益を上げるようになれば間違いなく周囲から目を付けられます。ここはジレーヌ領のように島ではなくて、地続きなんです。そんなところで目を付けられれば一体どうなるか、火を見るより明らかです」
クルルはそう言われ、軽く周囲を見渡した。
ここはどこからでも攻め込みやすい、だだっ広い砂浜だ。
「それに……自分たちが漁場の儲けで奴隷の皆さんを解放することそのものが、問題を引き起こすはずです」
「問題?」
「はい。だって、この話の発端を思い出してください。ヴォーデンの奴隷の獣人のみなさんは、本当にあるのかないのか確信も持てないようなジレーヌ領の噂でさえ、それを頼りにジレーヌを目指したんです。それが、ヴォーデン属州内のこととなったら、どれだけの反応を引き起こすか想像もつきません。たくさんの逃亡奴隷が出て、獣人の皆さんがここに押し寄せて、大混乱になるはずです。だから自分が言った話というのは、とても解決をもたらすようなものではありません。あまりに、すべてがうまくいくことを前提にし過ぎていました」
頼信は真剣な顔で、確信に満ちた顔でそう言った。
語る内容ひとつひとつは、確かにクルルにもわかることだった。
貴族連中は吝嗇で横柄だから、大して必要でないものでさえ、欲しいと言ったらたちまち家宝かのように貴重さをまくしたて、値段を釣り上げることだろう。
おまけにこの煤けた土地の雰囲気だ。
お人好しの頼信に土地の過酷さが想像できていなかったとしても、仕方ないだろう。
クルルだってここまで乾いて冷たい土地とは思わなかったのだから。
この土地の連中は、誰かが儲けていると知ったら、一緒に儲けようなどと殊勝なことは思うまい。
間違いなく、横取りを企むはずだ。
一方で、奴隷獣人たちは自分たちのことをまともに扱ってくれる漁場があると知ったら、是が非でもそこに逃げ込みたいと願うだろうし、獣人たちがそう思ってしまうことそのものが、周囲の権力者たちを苛立たせる。
問題は入り組んでいて、絡まり合っていて、一刀両断はあまりに難しい。
だから頼信はいつもの武器を手にしたまま、途方に暮れているのだ。
それでもこの間抜けは優しいから、イーリアのために何度も武器を持ち直し、よたよたと重たいそれを持ち上げては、振り下ろしている。
そしてどうしても刃が途中で止まってしまうことに、打ちのめされているのだ。
なぜなら、その刃がなによりも強力であることを知っているから。
それから、世界と戦うための、唯一の武器だから。
なので頼信は、ほかにどうすることもできなくて、何度だって武器を手にして問題に立ち向かう。
たった一人で、たったひとつの武器を手に。
「お前は――」
クルルはそこまで言ってから、頭を掻いた。
「お前は、我がままを言うつもりだったんじゃないのか?」
「……え?」
クルルは潮風で少し乱れた銀の髪を手で直した。
「お前がいつものように、綺麗にこの問題を断ち切れないのはよくわかった。だが、それはあくまで、お前のいつもの武器を使ったら、の話だろ?」
「えっ……と」
まごつく頼信に、クルルは言った。
「綺麗に切れないなら、叩き潰せばいいっていってるんだよ。多少はあれこれ飛び散るかもしれないがな。鍋に入れて煮込んでしまえば、似たようなもんだ」
目を丸くする頼信に、クルルは憮然と鼻を鳴らす。
「我がままってのは、そういうことだと思ったんだがな」
クルルはそう言ってから、不機嫌になっている自分に気がついていた。
その理由も、もちろん分かっている。
頼信はいつも一人で考えている。
だから我がままを言いたいなんて言われたら、期待するではないか。
頼りにされると思ったのに。
それにクルルは頼信の語る懸念に、ひとつひとつ反論することは難しいと感じた。
だが、それはあくまでも頼信のやり方に沿ったらの話だった。
クルルにできなかったのは、あくまでも“反論”である。
そして喧嘩のやり方は、なにも口喧嘩だけではない。
「お前が難しいと言ったことの大半は、私からしたら、どうとでもなる話だ」
「そんなことっ……」
反論を口にしようとした頼信に、クルルはずいっと顔を近づけた。
「この土地で漁場を手に入れて、大儲けしてそこらじゅうの貴族から嫉妬される中、我も我もと集まる獣人たちを捌こうって言うんだろ? できるだろ」
「そんな、そんな魔法みたいなこと――」
頼信は怒ったように言いかけて、すぐに口をつぐんだ。
なにか察したのだろう。
対してクルルは、にんまりと笑った。
「そうだよ、私は魔法使いだ」
頼信が口をつぐんで顎を引いたのは、当てつけに感じたのかもしれない。
この台詞をクルルが言うのは二度目であり、一度目はクルルが頼信たちのやろうとしていることに、縋りつくような形だった。
でも、今は違う。
頼信は確かにすごい奴だが、常にすごいわけではないとわかっている。
この間抜けは、一人じゃ馬にも乗れないのだから。
「私に考えがある」
頼信はその不思議な知識と考え方で、たくさんの問題を解決してきた。
それでいつものようにフローネに話しかけたら、得体が知れないなんて言われて落ち込んでいた。
まったく馬鹿な奴だと思う。
剣と弓が違うのは当たり前で、戦い方も、敵の倒し方も違う。
魔法となればもっと違って、死神の口戦術は中でも飛びぬけて異質だった。
でも、その死神の口戦術でさえ、光魔法みたいな子供騙しの魔法によって、完璧ではないと示されてしまう。
ならばジレーヌ最強の大宰相様がぶつかる問題だって、この世界の基準では問題にもならないことがある。
クルルはそのことを言葉を尽くして説明する代わりに、立ち尽くす頼信の手を取って、馬に乗せてやればいいのだ。
「まあ、細かい調整は必要だろうし、そういうのは得意だろ?」
クルルがにやりと笑いかけると、頼信はちょっとだけ男の子みたいな顔をした。
悔しそうな、反発するような顔だ。
クルルは背筋がぞわぞわして、つい、口角が上がってしまう。
「なにを企んでいるんですか?」
「大したことじゃない」
胸のうちの喜びを隠していたつもりだったが、口調に興奮が出ていたのかもしれない。
ますます嫌そうな顔をした頼信に、クルルは肩をすくめた。
「本当だよ。ヨークンに聞かせれば、同じことを言うはずだ。ヨークンも賛成したら、反対しないだろ?」
ゲラリオはともかく、ヨークンは完全な大人だ。
なんならあのジレーヌ領で、健吾と同じか、それ以上に大人だろう。
無理なこと、可能なこと、無理をすれば可能なことを、自分たちより上手に見極めてくれるはず。
「ほら」
クルルは立ち上がり、頼信に手を差し出す。
その手にあるたったひとつの武器が役に立たないとわかってへたり込んでいた頼信が、クルルのことを見上げた。
大規模魔法陣の「穴」に落ちて目を覚ました後、あの部屋に入ったことをクルルは思い出す。
こいつは私がいないとてんでだめだと思ったが、その事実には別の側面がある。
頼信なら、差し出した手をきっと掴んでくれると、確信できるのだ。
「……無茶しないでくださいよ」
クルルの手を掴み、頼信は立ち上がる。
背は高いし年も上のはずだが、どうもそんな気がしない。
でも、それでいいし、それがいい。
あんまり離れていたら、話がしづらいのだから。
「心配するな。無茶のうちに入らない」
クルルがそう言ってにやりと笑いかけると、頼信は口を引き結んだ後、ため息をついていた。
それから、この旅の間ずっとそうしているように、さりげなく距離を空けたところで盗み聞きしている熟練冒険者の所に、歩いていく。
もちろん間抜けが道に迷わないよう、その手を握ってやるのも忘れなかった。




