02 覚醒
一流の探検家を目指す青年──ソウマとシンジ。ある日彼らの勤める極光社に寄せられた『突然いなくなった父を探してほしい』という依頼を追っていると……辿り着いたのは、一人の老人の企てだった。
偏屈そうな窪んだ顔立ちで、簡素な外套の「カルヴァン様」そう呼ばれていた老人。服から覗かせる肌や手などは骨が浮き出る程に痩せこけていた筈の男は自身に注射をうつと酷く身体が肥大化し、"怪物"と呼ぶべき異形へと変貌を遂げてしまった。
『おろカものメ……。わしみずかラ、ばつヲあたエテヤロウ』
そう呟くと同時にただでさえ膨脹した逞ましい筋肉を、さながら破裂寸前の風船のごとく、はち切れんばかりに膨らませると全霊で地を蹴り弾き出された。
「……な、速っ──!」
間一髪、辛うじて寸前で槍を盾代わりに構えたシンジは、しかし振り抜かれた拳の勢いを抑えられずにもろとも数メートル程吹き飛ばされ、背中から樹木に叩きつけられてしまう。
「シンジ、大丈夫か!?」
「……うぐっ、あ、ああ。少し……油断しただけさ……!」
暫時は息も出来なくなり……それでもここで倒れるわけにはいかない、痛みに歯を食い縛りながらも必死に立ち上がろうとするが。……駄目だ、痺れるような激痛が胴椎に走り、体が思うように動かない。
「……く、我ながら不甲斐ない。ソウマ、君だけでも逃げるんだ……!」
「バカ、冗談にも程がある。親友を見捨てられるわけがないだろ……!」
「……馬鹿は君だ」
だが彼の言うことが理解出来ないわけではない。確かにこれだけの変態を果たしたのだ、そう易々と倒せるとは思わなかったが……想像を遥かに越える異常な力だ。今の自分達に敵う相手ではないだろう。
……それでも、もう大切なものを失いたくない。なんとしてでもオレは一緒に帰りたいんだ。
"怪物"は跪くシンジを一瞥し、嘲笑を浮かべると次はお前だ、と言わんばかりに眼を煌々とぎらつかせてこちらを睨む。
「っ、来る……!」
一瞬力を溜めるように小さく屈み、次の瞬間に地を蹴り飛び出す。どうすればいい、防ごうにもあの一撃は余りに重すぎる。
……だが、ただで斃されてなるものか。こうなったらなるようになれだ、意を決して握っていた剣を力強く握り締めると……向かってくる巨体へ半ば直感を頼りに振り上げた。
「……や、やったか……?」
両手には、剣が肉にずぶりと食い込んでいく気分の悪い感触が伝わってきて。固く引き結んでいた瞼を開くと眼前には思い切り開かれた手のひらがあり、その中心を深く貫いた刃が鮮血を滴らせながら手の甲から突き出していた。
『ウ、グ、オオォォ……』
彼が痛みに呻きながらよたとよろめき、自身に刺さる剣を憎々しげに引き抜くと右手から絶えず真紅の液を垂れ流しながら、痛みかあるいは憎しみか……激情に酷く歪んだ面で、ソウマへ向けて絶叫した。
『きさま、ゆるサンゾ……! ヨクモ、ヨクモヨクモヨクモヨクモ……!』
その憎悪と共に怪物と化したカルヴァンの全身から溢れんばかりの禍々しき「魔素」が噴出し、手のひらの傷がたちまち修復され爪が鉤のごとくに伸びていく。
『ヨクモヨクモ、コノ……コノわしヲオオオオオオ!!』
瞬間、地を蹴った怪物の姿が消滅した。……否。
「……え」
「そ、……ソウ、マ……?」
ど、と鈍く重たい音と共に腹部がやけに生温かく染まっていく。
いつの間にか、眼前に怪物の巨体が佇んでいた。
理解が追い付かないままに、思わず見下ろすと……。
「……そ、んな……!」
「嘘だ、ソウマ……」
──絶句。
己の腹を敵の拳が貫き……腹から紅い飛沫が噴き出して、惨い量の血液が流れ落ち続けていることに気付いたソウマは……絶叫した。
にたりとにやついていたカルヴァンは……原型を留めない程に崩壊し尽くした顔で、高く高く、しゃがれた聞くに堪えない声で、醜く歪んだ哄笑を続ける。
「ソウマ! ……ソウマ!?」
腹から奴の拳が引き抜かれ、彼は糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちてしまった。
「……。……」
……ああ、くそっ。何をやっているんだオレは。必死に声を絞り出そうとしても喉を空気が通り抜けるだけで、腹部に脈打つ痛み以外は何も感じられない、指先から全しんのかんかくがなくなってきた。
……しぬのか、オレ。まだなにも……やりとげちゃいないのに。
頭の中で……嘘だ、と。痛い、と。何度も何度も何度も何度も壊れたラジヲのように繰り返し続ける。
暗く、黒く、重く、深く、崩れ落ちていく視界の中で……最期に、遠くで手を伸ばす"彼女"の姿を見た気がした──。
「……ソウマ、返事をしてくれ!? おい!!」
それまで必死に歯を食い縛り、命を振り絞ったのだろう、強く握り締められたソウマの拳が……まるで翅を失い、地に落ちる蝶のように力を失った。
赤黒く広がっていく血溜まりの中で息絶える親友に……シンジは、かつて無い程の激情を覚える。
「……よくも、よくもソウマを」
……許せない。勿論目の前の"怪物"もそうだが……何より赦せないのが己の不甲斐なさだ。いや、そんな言葉で済ませていいものではない、無力という咎は砕けて散った硝子のように深く胸に突き刺さる。
僕は大切な幼馴染みがやられる時に何をしていた? たかが背中の痛み程度で立ち上がれなくなり、ソウマがやられるのをただ見ているだけだった……!
「……行くぞ下衆め。決着をつけてやる、僕が貴様をこの手で倒す」
勝つ算段など微塵も無い、それでも僕は……死んでも彼を止めなければならない。
内で昂る闘志を熱く、紅く、高く燃やして、折れそうな心を奮い立たせた。
握っていた槍の穂先に焔が灯る。全身の魔素を集中させて、次の一撃に全てを賭ける。
『ばかメ、きさまていどガコノわしをたおセルはずガナカロウ』
「いいや、勝つ。これ以上悲しみは繰り返させない」
覚悟を決めてシンジが駆け出す。慢心を露にカルヴァンが迎え撃つ。
激しく燃える炎を纏った刃が掲げられ、紫黒の拳が振り下ろされる。
そして二つが激突すると……辺りに凄まじい衝撃が広がっていく。
「ぐ、うおおおお……!」
やはり怪物の力は凄まじい……! 大地を踏み締め、両腕で必死に槍を抑えてもなお片腕を押し止めることすら難しい。
迸る火炎が、紫黒の魔素が辺りに無造作に撒き散らされていく中で……視界の端に、何かが眩く光った気がした。
「ま、まだだ……! まだ僕は、やられるわけには……!!」
『あきらメロ、きさまモコレデおワリダ』
瞬間、更に拳に込められた重みが増した。
「駄目だ、もう……!」
……もう、耐えられそうにない。諦めかけたその瞬間に、突如として圧し掛かってくる重みが消えた。
『エ? ア、ウ、ア……?』
怪物が、焦燥を抑えきれずに口をぱくぱくと開閉させる。
「……な、なにが」
シンジも目の前のことを理解が出来ず、槍を構えたままに呟いた。
『ワ、ワ、ワ……ワシノ……』
それもそのはずだ、何故ならば……。
『ワシノうでガアアァァ……!?』
先程まで鬩ぎ合っていたはずの彼の腕……肘から先が宙を舞い、ぼと、と地面に落下したのだから。
どくどくと断面が露になった肘から血と魔素を流しながら、未だ何が起きたか分からず槍を構えたまま、二人は同時に"それ"を見た。
「き、君は……」
果たしてそこに立っていたのは……全身を脈打つように明滅する碧の回路が走っている。肌は蒼白に染まり、四肢を鈍く輝く漆黒の鎧に覆われた……異様な姿の"魔人"だった。
「ソウマ、なのだろう……?」
顔も体格も確かに彼だ。だが"魔人"は何も答えず、左手に構えた翠光を纏いし禍々しい漆黒の剣を一閃し……今度は、怪物の左腕が宙を舞う。
『ア、アアァァぁぁぁぁぁ……』
ついに両腕を切り落とされて、先程まで怪物だったそれは次第に体躯が縮んでいき、元の痩せこけた老人の姿に戻ってしまい……それでも彼は止まらない。
「待てソウマ、止まるんだ! 君は自分が何をしようとしているか分かっているのか!?」
理性を持たない獣のように咆哮すると、魔人は尻から倒れ込んでいるカルヴァンの胸目掛けて光剣を振り下ろした。
「……待てと言っているだろう、ソウマ!」
まだ先程の衝突の痛みは残っているが……それでも見過ごすわけにはいかない。迷わず槍を突き出して、その刃を必死に食い止める。
「あ、ああぁ……! ば、化物め!」
腕が折れそうになりながらもなんとか抑えていると、ようやく僅かに平静を取り戻したカルヴァンが口汚く罵りながらソウマを見上げる。
「化物はお前だ! 良いから失せるんだ、死ぬぞ!」
ここで彼を逃がすのは不本意ではあるが……まずはソウマを止めることが先決だ。シンジの一喝に無様に悲鳴を上げながら、ようやく意識を取り戻して起き上がった彼の護衛と共に牛車に乗って北東へ向けて走り出していった。
「……さて、邪魔者はいなくなった。さあソウマ、どうしてそうなっているのかは分からないが……君が正気を取り戻すまで、このシンジ・ホムラが相手になるぞ!」
再度咆哮。突然眼前へと躍り出たソウマ……魔人は黒剣に翡翠の光を纏わせ薙ぎ払う。
「…──っ、あぶな……っ!」
間一髪、直前で跳躍し左腕を擦る程度で済むが、それでも威力は相当だ。歯を食い縛って必死に堪え、三度動き出した彼を迎え撃つ。
先程怪物と戦った時のように、槍の穂先へ燃え滾る焔を纏わせ、彼の光剣を受け止めた。
「ぐっ……! 思い出せソウマ、君は何の為に強くなろうと願ったんだ!」
激しく鬩ぎ合う爆炎が、極光が、抑え切れずに高まっていく力が溢れて周囲へ拡散し渦巻いて行く。
ソウマは何も答えない、まるで本能に従うかのように力を振るい続け……シンジが今にも全身が粉砕されるような錯覚を感じながらそれでも壊れる寸前で堪え続ける。
「君は言っていただろう、『大切なものを守る為だ』と! その為に誰よりも強くなるのだと!」
……刹那、魔人の力が緩んだ気がした。しかし次の瞬間には再び元の暴虐さを取り戻した彼の極光が爆炎を制し……槍が弾き飛ばされ、衝撃でシンジが吹き飛ばされた。追い掛けて魔人も跳躍し……。
「……思い出すんだソウマ、"彼女"の……エルのことを!」
遂に光剣が翳された。覚悟を決めて瞼を固く引き結ぶが……。
「……何だ……?」
喉元に刃が突き立てられ……しかし、彼は縛り付けられたように動きを止めている。
『く、う……! エ、ル……!』
からん、と握っていた剣が落下した。
ソウマは暫時苦痛と戦うように呻きながら……しかしやがて、耐えられずに膝から崩れ倒れ込んだ。
「……力尽きたのか、理性が勝ったのか。僕には判断出来ないが……お疲れ様」
シンジが慌てて屈んで彼を抱き止めると……、良かった、息はある、生きているみたいだ。
彼の背中に手を伸ばせば、先程カルヴァンに貫かれた筈の傷口は塞がっていた。少なくとも、窮地は脱したようだ。心から安堵しかつてない疲労感に襲われたシンジは、ソウマを寝かせて自身もしばらく地面に横たわっていた。
Date1:ソウマ・カツラギ
性別:男
年齢:19歳
身長:171cm
体重:65kg
魔術:極光
容姿:栗色の髪、群青の上着を羽織った青年。
穏和で責任感の強い少年。かつて家族を失った過去から大切なものを守ることを強く願うようになる。
学生時代はアルバイトをしながら学校に通っており、部活には所属せず生活を送っていた。
おとぎ話と言われる"約束の地"の存在を信じており、またあの日失った家族との幸せな暮らしを取り戻すことを願って極光社へ就職した。
趣味は読書や鍛練、苦手なものは数学や身勝手な人間。




