03 希った再会
ある日依頼を追っていたソウマとシンジは……一つの犯罪組織と遭遇した。「リバース・レギオン」そう名乗る彼らの統率者は自身に魔素を注射して変貌を遂げてしまう。
圧倒的力を誇る統率者……カルヴァンを止めたのは斃れたはずのソウマであった。その身を禍々しい鎧に包まれ暴走し、しかしシンジの説得か、あるいは力尽きたのか……意識を失い倒れてしまった。
──ああ、眩しい。瞼を焼くような熱い陽射しが差し込んでくる。鬱陶しげに腕で遮ってみせるが所詮雀の涙に過ぎない。諦めて、酷く重たく感ぜられる瞼を何とか開き、半身を持ち上げたところで……違和感に気付く。
「……生きてる」
瞬間弾き出されるように飛び起きて、手のひらを広げると確かに握り締められる。当惑を露に呆けるソウマを、半開きの窓から差し込む清涼な風が肌を優しく包み込んだ。
「そ、そうだ、傷は」
慌てて腹部を触ってみるが、まるで怪物に受けた傷など無かったかのように肌着が柔く擦れるだけだ。
「……あれ?」
……もしかして、悪い夢を見ていたのか? だとすれば嫌に生々しくて、気分の悪い夢ではあったが……多少釈然としない思いはありながらも納得は出来る。
見渡せば、ほとんど余裕なく書物の詰め込まれた本棚、壁に接したスタンドライト付の机、部屋の角にはいくつかの服とズボン、下着が畳まれることなく干したままになっていて、左手側は簡素な仕切り板。
それは何ら代わり映えのない極光社の一角、探索支部の宿舎にある自分とシンジの相部屋だ。
安堵に胸を撫で下ろしていると……不意に、扉の開く音がして仕切り板が開かれる。
「……やあ、ソウマ。目が覚めたようだね、本当に良かったよ……!」
感極まった声色と共に現れたシンジは、抱えていた桶を置いて駆け寄ってきた。
「大丈夫かい、どこか痛まないか! 後遺症は残っていないだろうね!」
「大丈夫、大丈夫だから! 本当に!」
肩を掴んで食い気味に迫ってくる彼をなんとかなだめて落ち着かせる。
……まさか、とざわつくオレの心境を察したようだ。わずかな逡巡の後に息を呑み込んだシンジが、深刻な調子で口にした。
「……ああ、そうだ。生憎君の身に起きた出来事は……全て現実だ。ずっとうなされていたんだぞ」
嘘だ、そんなはずがない、それならオレはどうして生きているんだ。そもそもあの時起きた事はあまりに荒唐無稽で現実離れしている。半ば錯乱したように取り乱す己へ、「落ち着けソウマ!」の一喝と平手打ちを受けてようやく平静を取り戻した。
「……じゃあ、あの力も本物なんだな」
暫し部屋を包み込んでいた重く苦しい沈黙を破ったのは、ソウマの震える声色だ。
……両掌を広げれば、朧な記憶が脳裏を霞める。理性を失い、力に呑まれ、獣のように暴れていた……そんな感覚が、薄ぼんやりと染みていて。
「そうだ、それと関係があるのだろうね。……意識を失った君が握り締めていたものだ、これは君に返しておくよ」
言いながらシンジが差し出したのは……一見すると何のへんてつもない、円筒の先端に歯のついた小さな鍵ではあるのだ。だが……瞬間、全身が思わず総毛立つ。
「……ああ。きっとオレは……この鍵を使って力を使ったんだ」
……絡み付く闇の誘惑が、指先から侵食するように脳にまで迫ってくる。本能が求めている、抑えの利かないその力を、刺激的な混沌を。力に溺れ、自分が自分で無くなるこの衝動は抑えるだけで精一杯だ。
だけど同時に、オレはずっと……憧れていた。ずっと後悔していた、九年前孤児院を襲撃されたあの時に……何か出来ることがあったのではないかと。もっと力があれば、あるいは一人でも守れたのではないか、と。
「……オレは、どうすれば」
恐怖と欲望が、拒絶と希求が、衝動と理性が……二律背反に惑う感情は振り子のように寄せては返し揺れ続ける。
彼の惑いを察したのだろうか、シンジが努めて明るく振る舞いながら人差し指をぴん、と立てて提案する。
「さ、ソウマ、お腹が空いてやいないかな。それとも少し体でも動かすかい」
「……え」
人がもがいている中での唐突な提案に、思わず頓狂な声色を返してしまうが……もしかしたら、彼なりに心配をしてくれたのかもしれない。
「……そうだな、じゃあ食堂にハンバーグでも食べに行こうぜ。お前の奢りで」
「……しかたないな、今回だけだぞ」
「やった、じゃあ今日は少し高いやつを頼もうっと!」
「こらこら」
おどけたように笑うソウマに、親友は呆れた半分に苦笑しながらも「さあ行こう」と勢い良く部屋を飛び出してしまった。
本当に、我ながらいい親友を持ったものだな。彼の好意に甘えるためにも今は鍵のことはなるべく忘れて、束の間の休息を楽しむことにしよう。
群青の上着を羽織って腰に剣を提げたソウマはドアノブに手を掛けて、……部屋を振り返ってわずかな感慨に耽った後に、親友の後を追い掛けた。
ふわりと柔かな若草色の芝生が遠くまで広がり、それを横切るように石畳の道が格子状に伸びている。
穏やかな印象を与える路には、人の名前と月日の刻まれた石がいくつも立ち並んでいる。
……今ソウマが訪れているのは、極光社のそびえる中心都市から列車で二時間程の距離の故郷「ラルディア」にある、かつて一人の男により殺された己の両親が眠る霊園だ。
『桂城家之墓』
墓石には簡素にそう記されており、それが一層心の底に潜んでいた悲しみを呼び起こす。
……くそっ。オレがあの時もっと強かったら。九年前に……力があれば。
固く握り締めていた拳を広げ……その手に掴んだ鍵を見つめる。
「父さん、母さん、……オレは」
……そうだ、今こうしている間にも……「リバース・レギオン」そう名乗った犯罪組織の犠牲者は増え続けているかもしれないのだ。だというのにオレは何をやっているんだ、もっともっと強くなると……そう誓ったというのに……!
「……もしかして、あなたは」
不意に、背中から澄んだ鈴の音のような……とても耳に馴染みのある、しかし聴こえるはずのない声が響いた。
「……この声。まさか、君は……」
いや、そんなはずがない、でもまさか……。早鐘を打つ鼓動を必死に押し止め……思わず呼吸すらも忘れて、半信半疑のままにおそるおそる振り返ると……。
「……エル、なのか?」
それは……"あの日"を映したようだった。
青く透き通った瞳に亜麻色の長髪、白磁の柔らかな肌、飾らない白い衣装。確かに九年前共に過ごした、可憐でどこか儚げな少女……エルそのままだ。
「ソウマ、くん……?」
「エル……なんだよな」
思わず目元が熱くなり、指を添えて堪えながら半ば縋るようなその問い掛けに頷くと……彼女は涙を溢れさせながら抱き付いてくる。
「あなたが……ソウマくんが無事で、ほんとに……! ほんとに、良かった……!」
「……オレもだよ。君が生きていてくれて、本当に安心した……」
ずっと……長い間焦がれ続けていた、悲願の再会。ソウマは壊れ物を扱うかのように細心の注意を払いながらも、もう二度と失いたくない、今度こそ離さないように……強く、彼女を抱き締め返した。
積もる話もある、立ち話もなんだからと二人は霊園を後にして、年季を感じさせるくすんだ木目、風情のある喫茶店に入り窓際の席に腰を下ろした。
まるで初めて遊園地を訪れたこどものようにはしゃぐエルを尻目に二人分のココアを注文したソウマは、そんな彼女の様子に懐かしさを感じながらも……これまでの時間を埋め合わせるように、様々なことを話し続ける。
学生時代の出来事、アルバイトでの経験、親友のシンジと共に上京して極光社で働いていること……それに流行りの小説や近年災害が頻発し治安も悪化し始めていることなど……話の種は尽きることはない。
また、エルの近況を尋ねると、彼女は現在山奥で暮らしており、夏は緑が生い茂り秋は紅葉が美しく、冬や春にと四季の巡りがとても綺麗らしい。……そして、急にたまらなく不安になって山を降りてきたが……行く宛もなく、この霊園にたどり着いたそうだ。
そうして互いの話に花を咲かせている中で、意を決したソウマはずっと覚えていた違和感に触れる。
「……ところで、さ。変わらないね、エルは。あの頃の姿のままで驚いたよ」
勿論それは素直な所感ではあるが……同時に、悪いと分かっていながらも彼女へのわずかな詮索を含んでいるのも事実だ。
そう、お世辞ではなく本当に何も変わっていない。容姿も声も眩い笑顔も……全てが、まるで時間が進んでいないかのように。
エルはわずかな逡巡を浮かべ……かすかに視線を游がせた後にわざとらしく笑い、上目遣いで見上げてきた。
「……ふふ、かもしれません。ソウマくんは大きくなりましたね、昔は私よりちっちゃかったのに」
……彼女は苦笑で誤魔化して、分かりやすく話題を逸らしている。何か、少なくとも口には出せない事情があるのなら……彼には追及出来なかった。疑問を吐き出してしまえば、どこかへ羽ばたいて消えてしまいそうで……。
「……しかたないだろ、あの時はまだ子どもだったんだから」
それはそれとして、ココアを飲んで喉を潤してから、口を尖らせて反論する。流石にちっちゃいなんて男としてはあまり言われたくないし、歳を考えると仕方のないことだろう。だから別にオレがちっちゃかったわけじゃあない。
「……けれど、本当に成長しましたね。それに……かっこよくなりました」
ふと、エルは先程までの取り繕ったような笑顔ではなく……白く柔い、朝陽のような微笑みを浮かべた。
遠くを見つめるその目には過去と今のソウマが重なっていて、心中に去来する感慨は、彼女を暖かな気持ちで包んでいく。
「君がいなくなってから、ずっと鍛えてきたんだ。また君に会えたら……今度こそ、何があっても守る為に」
あの日から今に至る九年もの歳月に想いを馳せて、ソウマは改めて己に誓う。もっと強くならなければならない、今度こそ……守り抜いてみせるのだと。
「ふふ、ありがとうございます、ソウマくん」
生来の豊かな感受性もあるのだろう、口元を綻ばせながら瞳に涙を溜めた彼女は、幸せそうにはにかむ。
「ううん、お礼を言うのはオレの方さ」
けれど、だからこそ……本当に今まで生きていて良かった。彼女が笑ってくれるのなら、苦悩も苦痛も、全てが容易く吹き飛んでしまう。
ふと、外を見やると青く済んでいた空はいつの間にか穏やかな橙の夕陽に染められていた。
「……じゃあ、もう時間も遅い、帰ろうか」
「……そう、ですね、ソウマくん」
腕時計の針は数字の六を指している。互いに別れを惜しみながら、それでも秒針は無情に時を進めていく。
もう間もなくで日が暮れる、そろそろ……オレも中心都市へ、極光社へと帰らなければならない。そしてそれはエルも同じだ。
……いや、やはり駄目だ。エルはこれまで事情があって、性格から考えると似つかわしくない隠遁生活を送っていたのだ。ならばわがままに付き合わせるべきではない。
「ありがとうございました、また来てくださいね」
「いえ、こちらこそありがとうございました! ココアすごくおいしかったです、ね、ソウマくん!」
「あはは、そうだなエル」
結局「一緒に来てくれないか」その一言を言い出せないままに喫茶店を出てしまった。
まるで探り合うかのように。どこか緊張しながらたわいの無い雑談と共に石畳を歩き……やがて、中心都市へと直通の駅に辿り着いてしまう。
「……それじゃあ、オレはそろそろ行くよ。携帯電話……は持ってないんだよな。住所だけ教えてくれないか」
「……その、そのこと、なんですが」
エルは後ろで手を組むと狼狽えたように口ごもり、もじもじとしばし視線を逡巡させ。
どうしたんだ、と声を掛けると……ふわりと穏やかな萌木色の風が吹き抜け、彼女が意を決したように瞳を瞬かせた。
「あの、もし良ければ……私も一緒に連れていってくれませんか!」
それは何よりも予想外であり……また、何よりも聞きたい言葉であった。だけど……。
「いいのか、エルはなにか事情があって山奥で暮らしてたんじゃ」
「それはそうなんです、けど……。……それでも、もっとソウマくんと一緒にいたくって」
なかば縋るように、今にも泣きそう顔で見上げられては断れるはずもない。それになにより……。
「もちろんだよ、オレもずっと同じ事を考えていたんだ。エルさえ良ければ、一緒に来てほしいって」
「……じゃあ」
オレの言葉を聞いて、途端に満開の笑顔が咲いた。そんな彼女の両肩を掴み、真っ直ぐに蒼い瞳を見つめて約束する。
「ああ、行こうエル。安心してくれ、何が起きても……オレは必ず、君を守ってみせる」
「はい、……はい! ふふ、信じてますよ、ソウマくん」
夕陽が沈み、徐々に黎く染まりつつある黄昏に寄り添い合うように青と白、二つの星が瞬いた。
ベンチに腰を下ろすと、エルは余程楽しみらしい、あからさまに中心都市への期待に胸を膨らませそわそわしている彼女に極光社での生活を話していると、鈍く黒光りする列車が甲高い音共にプラットフォームに到着した。
名前:シンジ・ホムラ
年齢:19歳
身長:175cm
体重:69kg
魔術:炎
服装:深緑のベストに薄橙のスラックス、茶髪。
真面目で活発な青年。諦めが悪く「諦めずなければ夢は叶う」をモットーにしており、その暑苦しさは時に人を励ますし、時に人から鬱陶しがられている。
ソウマとは幼馴染みで、試合も成績もずっと拮抗し続けている好敵手。いつか彼に勝つことが彼の目標。




