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十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第1章 冬を失くした村

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第8話 流れの先

 岩熊が森の奥へ消えてからも、レイはしばらく動かなかった。


 追いかける必要はない。


 今見るべきものは、足元にある。


 開いた保守口の中で、調整弁の針がじわじわと塔側へ戻っていく。レイが正常な向きへ直したばかりだというのに、見えない力に引かれるように。


「……やっぱりだ」


 レイは膝をつき、工具鞄から圧力計を取り出した。


 フィアは弓を下ろしたものの、まだ森の奥を警戒している。

 ロウも岩熊が去った方角から目を離していなかった。


「戻っては来ないと思う」


 ロウが言った。


「冬の匂いを嗅いだ途端、山へ帰った。あいつの身体も、ずっと冬を待ってたんだろうな」


 フィアは霜の残った草を見下ろした。


「人間だけじゃなかったんだね」


 畑も。


 虫も。


 家畜も。


 森の獣も。


 季節が一つ狂うだけで、全部が少しずつおかしくなる。


 レイは圧力計を保守口へ繋いだ。


 針が跳ねる。


「強いな」


「何が分かるんです?」


 フィアが隣へしゃがむ。


「塔側の圧力が高い。ここの弁が勝手に戻ってるんじゃない。向こうから引っ張られてる」


「つまり、塔が冬を吸ってるです?」


「そう考えるのが一番自然だ」


 レイは調整弁をもう一度正常位置へ戻した。


 今度は手を離さず、そのまま待つ。


 数秒後。


 ぐっ。


 掌へ抵抗が返ってきた。


「……結構な力だな」


 ゆっくりと弁が押し戻される。


 機械の故障ではない。


 流れそのものが逆なのだ。


 フィアはその様子を見て、立ち上がった。


「他の場所も見ましょう!」


 今度はレイが顔を上げる。


「場所分かるのか?」


「季脈の保守口は知りません。でも、この森なら分かります。昔から地面に変な鉄蓋がある場所、何ヶ所か覚えてるので」


「それを先に言え」


「今まで季脈のものだと思ってなかったんです!」


 もっともだった。


 フィアはすぐに森の中を歩き始める。


「こっち。水車道沿いにもう1つあったはずです」


 ロウが苦笑した。


「俺は熊の跡を見てくる。村の近くへ戻らんようなら、そのまま山へ追う」


「一人で大丈夫?」


「熊相手なら、お前よりはな」


「むっ」


「さっき矢を外しただろ」


「外してない! 前脚に当てた!」


「狙ったのは肩だ」


「……見てたの?」


「猟師だからな」


 フィアが悔しそうに口を尖らせる。


 レイは少し離れたところから二人を見た。


「フィア、行くぞ」


「あ、待ってください!」


 今度はレイが先に歩いた。


◆


 二つ目の保守口は、倒木の根元に半分埋もれていた。


 フィアが覚えていなければ、レイなら普通に通り過ぎていただろう。


「これです」


「よく覚えてたな」


「子供の頃、ここに足引っ掛けて転んだので」


「なるほど。いい記憶だ」


「痛かった記憶です!」


 土を払う。


 鉄蓋には王立環暦局の古い刻印が残っていた。


 間違いない。


 レイが開けると、中には一つ目とほぼ同じ調整弁が収まっている。


 圧力計を繋ぐ。


「……同じだ」


 冬だけが塔へ向かっている。


 春、夏、秋は正常。


 冬だけ。


 フィアは何も言わず、レイの手元を見ていた。


「もう1ヶ所ある」


 立ち上がったフィアが森の南を指した。


「昔、山菜採りに行く途中にも見ました」


「行こう」


 三つ目。


 結果は同じだった。


 そこでレイは地面へ図面を広げた。


 第四十一季塔。


 リュネ村。


 北西の森。


 3ヶ所の保守口。


 炭筆で位置を書き込んでいく。


 本来なら季塔から外へ広がるはずの冬の季脈が、すべて逆向きに流れている。


 一本だけなら故障で済んだ。


 3本なら話が変わる。


「偶然じゃないですね」


 フィアが言った。


「ああ」


「誰かが全部の弁を触った?」


「その可能性は低い」


 レイは最初の保守口を思い出す。


 弁は自動で戻った。


「人が一つずつ逆向きにしたわけじゃない。塔側で圧力を掛けて、まとめて吸ってる」


 フィアは図面を見下ろしながら、少し考えた。


「じゃあ、この辺の冬は全部同じ場所へ集まってる」


「そうなる」


「塔の下」


「ああ」


 レイは炭筆で塔の位置を丸く囲んだ。


 十三番目の季音も地下。


 逆流する冬の行き先も地下。


 図面にない空間も、塔の西側から下へ続いている可能性がある。


 別々に見えていたものが、ようやく一つの場所へ集まり始めた。


「戻るぞ」


「村に?」


「まず塔だ」


 レイは図面を畳んだ。


「今まで、塔が冬を作れてるかしか見てなかった」


「作った後を見る?」


「ああ」


 作る。


 送る。


 届く。


 その3つは、同じではない。


 第四十一季塔は冬を作っている。


 なら、問題はその先だ。


◆


 昼前。


 季塔へ戻る途中、フィアは村へ寄った。


 レイはそのまま塔へ行くつもりだったが、バルガスへの報告を後回しにすると面倒なことになる、とフィアに止められた。


 実際、家へ戻った瞬間。


「熊が出たって!?」


 バルガスの声が飛んできた。


「出た」


「怪我は!」


「ないよ」


「本当に?」


「レイさんが食べられかけたくらい」


「フィア」


「食べられかけた!?」


「言い方が悪い」


 バルガスが杖を突いて立ち上がる。


「環暦士さん」


「無傷です」


「先にそれを言ってくれ」


「朝も似たようなこと言われた気がします」


「なら覚えろ!」


 もっともだった。


 フィアが横で笑っている。


「笑うな。原因の半分はお前だ」


「私はちゃんと帰ってきたよ?」


「そういう問題じゃない」


 バルガスは大きく息を吐き、椅子へ座り直した。


「それで、熊は?」


「山へ戻りました。ロウさんが追ってます」


「追い払ったのか?」


 フィアがレイを見る。


「レイさんが冬を出したら帰った」


 バルガスが止まった。


「……冬を?」


「少しだけです」


 レイは机を借り、森で書き込んだ図面を広げた。


「季塔は冬を作れています。ただ、村へ送る途中で流れが逆になってる」


 バルガスの眉間に皺が寄る。


「分かるように言ってくれ」


「水路で考えてください。山から村へ水が流れてくるはずなのに、途中から全部山へ戻ってる」


「誰かが水を持っていってるってことか」


「近いです」


「どこへ?」


 レイは塔の位置を指で叩いた。


「第四十一季塔の地下です」


 バルガスは図面を見つめた。


 しばらく黙る。


 そして。


「地下……」


 その声に、レイは引っ掛かりを覚えた。


「何か知ってます?」


「いや」


 バルガスは顎髭を撫でる。


「ただ、昔の話を思い出した」


 フィアも椅子を寄せた。


「昔の話?」


「俺がガキの頃だ。塔の裏手には近づくなって、爺さんに言われてた」


「なんで?」


「地面が抜けるからだ」


 レイが顔を上げる。


「地面が?」


「ああ。今は埋まってるが、昔は塔の北側に深い溝があった。雨水を逃がすための排水路だって聞いてた」


「どこです?」


「塔の裏手。森との境あたりだ」


 レイは立ち上がった。


「行きます」


「今から?」


「今です」


 バルガスが呆れた顔をする。


「飯は?」


「後で」


「レイさん」


 フィアが低い声で呼んだ。


 振り向く。


 机の上に昼食が置かれていた。


「食べてから」


「……はい」


 なぜか逆らえなかった。


 バルガスが小さく笑う。


「環暦士さん」


「何です?」


「うちの娘、案外強いだろ」


「最近分かってきました」


「ちょっと! 何の話!?」


◆


 昼食を済ませ、二人は再び季塔へ向かった。


 今度は正面入口には入らない。


 塔の北側。


 草の伸びた斜面を回り込む。


「この辺、あんまり来ないんですよね」


 フィアが先を歩きながら枝を払う。


「村の人も?」


「季塔に用がある人自体少ないですし、裏は何もないから」


 確かに何もない。


 石壁。


 雑草。


 低い木。


 ところどころ地面から古い石材が覗いているだけだ。


 レイは歩きながら〈季音〉へ意識を向ける。


 春。


 夏。


 秋。


 冬。


 その下。


 十三番目。


「……こっちだ」


 フィアより先に進路を変える。


「分かるんです?」


「ああ。冬の流れが近い」


 音が強くなっている。


 地面の下を、冷たい川が流れているようだった。


 10メートルほど進んだところで、レイは足を止める。


「ここ」


「何もないですよ」


「掘ればある」


「急に怖いこと言いますね」


 フィアが足元の草を蹴る。


 すると。


 土の下から硬い音がした。


 カン。


 二人で顔を見合わせる。


 フィアがしゃがみ、手で草を掻き分けた。


 石。


 さらに土を払う。


「これ……」


「蓋だな」


 大きい。


 幅1メートル以上。


 石板の中央に、錆びた鉄輪が埋め込まれている。


「こんなのあったんだ」


「村でも知られてないのか?」


「少なくとも私は初めて見ました」


 レイは石板の縁を調べる。


 古い。


 苔。


 土。


 長い間、誰も開けていない。


「バルガスさんの言ってた排水路かもな」


「開けます?」


 レイはフィアを見る。


「昨日までなら、お前が真っ先に開けろって言ってた気がする」


「昨日、壁の向こうから叩かれたので少し成長しました」


「いい成長だ」


 レイは鉄輪へ手を掛ける。


 力を入れる。


 動かない。


「……重い」


「手伝います」


 二人で引く。


 ぎ。


 少しだけ石板が浮いた。


 その隙間から。


 白い冷気が漏れた。


 フィアの手が止まる。


「寒っ」


 レイも感じた。


 本物の冬だ。


 十二月二十七日のリュネ村では、もうほとんど感じられなくなった冷たさ。


「続けるぞ」


「はい」


 二人で石板をずらす。


 ごりごりと石が擦れ、やがて人一人が通れるほどの隙間が開いた。


 下は暗い。


 古い石段が続いている。


「排水路……?」


「にしては広いな」


 レイは〈季素灯〉を下へ向ける。


 階段。


 石壁。


 さらに奥。


 白い霜。


 地下から吹き上がる冷気で、階段の縁が凍っている。


「ここに冬が流れてる」


 レイは確信した。


 森で感じたものとは比べ物にならない。


 冬の季素が。


 季塔の下へ。


 大量に吸い込まれている。


「降ります?」


 フィアが弓を持ち直した。


 レイはすぐには答えなかった。


 グレンの言葉が頭に浮かぶ。


【その鍵を開けるな】


 これは西側の壁ではない。


 三爪型の鍵も使っていない。


 だから問題ない。


 そんな理屈が一瞬浮かんだ。


「……俺も師匠に似てきたな」


「何か言いました?」


「何でもない」


 都合のいい理屈を作るところまで似たくはない。


 レイは入口に膝をつき、階段の構造を確認した。


 崩落。


 なし。


 季素漏れ。


 ある。


 ただし危険な濃度ではない。


「途中まで行く」


「途中?」


「今の装備で戻れる範囲まで」


「了解です」


 フィアは素直に頷いた。


 その方が逆に不安になる。


「今日は止めないんだな」


「止めても行くでしょ?」


「ああ」


「だから一緒に行きます」


「なるほど」


 理にかなっていた。


◆


 地下へ降りるにつれて、空気が冷たくなった。


 20段。


 30段。


 地上の明かりが小さくなる。


 石壁には水の跡がある。


 だが、排水路にしては造りが頑丈すぎる。


 壁の途中に金属管まで通っている。


「これ、季脈?」


 フィアが管へ触れようとする。


「触るな」


 手が止まった。


「冷たいから?」


「凍傷になる」


 フィアがすぐ手を引っ込める。


「先に言ってください」


「触る前に止めただろ」


「そうですけど」


 レイは管へ共鳴棒を当てた。


 強い。


 冬。


 間違いない。


「この管で吸ってる」


 管は階段に沿って下へ続いている。


 しかも一本ではない。


 途中で二本。


 三本。


 壁の中から合流していく。


 森。


 畑。


 村。


 別々の枝脈から回収された冬が、ここへ集められている。


「……全部ここに来てる」


 フィアも気づいた。


「村だけじゃないですね」


「ああ。少なくとも周辺一帯だ」


 さらに降りる。


 階段の終わりに、小さな保守室があった。


 古い。


 第四十一季塔の内部とは、明らかに造りが違う。


 現行の設備は黒鉄と石材が中心だ。


 ここはもっと色が薄い。


 白灰色の石。


 青みを帯びた金属。


 継ぎ目の形も違う。


「レイさん」


「ああ」


「ここ、塔より古くないですか?」


「多分な」


「やっぱり」


 質問ではなく、確かめるような声だった。


 レイは壁へ季素灯を近づける。


 表面を覆っていた霜が光を反射した。


 奥には太い管が一本。


 そこへ、現在の冬季導管が無理やり繋がれている。


「……見つけた」


 接続部分。


 溶接。


 補強具。


 新しい塔の管と、古い地下設備を繋ぐための改造。


 レイは指先で接合部をなぞった。


「これ、最近のものじゃない」


 表面の腐食。


 補修材の種類。


 使われている留め具。


「何年前くらい?」


「少なくとも数十年。たぶん……」


 頭の中で記録を照合する。


 第七次改修。


 78年前。


 そして、その記録だけ6ページ抜かれていた。


「第七次改修だ」


 フィアもすぐに意味を理解した。


「消えてた記録」


「ああ」


 78年前。


 誰かが第四十一季塔の冬季導管を、この古い地下設備へ繋いだ。


 だが。


「おかしいな」


 レイは接合部を見る。


「3年前から冬が消えたのに、これ自体はずっと前からある」


「じゃあ、作った時から冬を吸ってたわけじゃないってことです?」


「そうなる」


 フィアはしばらく管を見ていた。


「ずっと眠ってたものが、3年前に動き出したのかな」


 レイは彼女を見る。


「ああ。俺もそう思う」


 誰かが3年前に工事をしたわけではない。


 古い仕組みが。


 何十年も止まっていた仕組みが。


 突然、目を覚ました。


 そのきっかけが十一月二十七日。


 13回鳴った鐘。


「……嫌な話になってきたな」


「最初から十分嫌でしたよ」


「確かに」


 レイはさらに奥を見る。


 保守室の向こうには、もう一つ通路がある。


 だが。


 そこは塞がれていた。


 石壁ではない。


 巨大な金属板。


 そしてその中央には。


「…………」


 レイの足が止まった。


 フィアも横へ並ぶ。


「これ」


「ああ」


 三方向へ伸びる、小さな溝。


 この間見つけたものと同じ形。


 三爪型の鍵穴。


「塔の中の壁と繋がってる」


 フィアが呟いた。


 位置関係を考えれば、その可能性が高い。


 西側の図面にない空間。


 その下へ続く未知の構造。


 今いる場所は、その最下部かもしれない。


 レイは鍵穴には触れなかった。


 代わりに耳を澄ませる。


 冬の季素。


 大量。


 それが金属板の向こうへ流れ込んでいる。


 その先で何をしている。


 貯めているのか。


 使っているのか。


 それとも。


 別の何かへ変えているのか。


 ――カァン。


 十三番目の〈季音〉。


 今までで一番近い。


 フィアには聞こえない。


 だが、レイには分かった。


 金属板の向こう。


 ほんの数メートル先。


「……近い」


 レイが呟いた次の瞬間。


 管の中を走っていた冬の音が、一斉に強くなった。


「レイさん!」


「下がれ!」


 今度は説明を待たず、フィアがすぐに一歩下がる。


 太い管が震える。


 霜が広がる。


 壁。


 床。


 金属板。


 白い氷が這うように伸びていく。


 そして、金属板の向こうから低い機械音が響いた。


 ゴォン。


 何か巨大なものが、地下深くで動いた。


 レイは息を止める。


 季音が変わる。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 重なる。


 四つ。


 五つ。


 まだ増える。


 六つ。


 七つ。


 八つ。


 九つ。


 十。


 十一。


 十二。


 そこで終わるはずだった。


 だが。


 ――カァン。


 最後にもう一つ。


 十三番目。


 レイは凍りついた金属板を見つめた。


 その向こうで、何かが。


 十二ではなく、十三の響きを持って、回り始めていた。

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