第9話 塔の底
金属板の向こうで、何かが回り続けていた。
十二の響きに、もう一つ混じっている。
十三番目。
レイは耳を澄ませたまま、凍りつき始めた床から目を離さなかった。地下へ集められた冬の季素が、一斉に金属板の向こうへ流れ込んでいる。さっきまで冷気が漏れる程度だった室内は、息を吐けば白く曇るほど冷え込んでいた。
「レイさん」
フィアが呼ぶ。
「ああ。戻る」
「珍しく早い」
「褒めていいぞ」
「褒める前に走った方がよさそうです!」
金属板の周囲を這っていた霜が、音を立てて床まで伸びてきた。
ぱき、ぱき、と薄氷が広がる。
「同感だ」
二人は階段へ向かった。
その直後、背後で重い振動が起きた。
ゴォン――。
壁が揺れ、天井から細かな砂が落ちる。
フィアは立ち止まらず、レイも振り返らない。今の装備で、正体の分からない古い設備が動き始めた地下へ残る理由はない。
階段を半分ほど上ったところで、さらに低い音が響いた。
今度は金属板の向こうではない。
もっと近い。
レイが足を止める。
「待て」
フィアもすぐに止まり、弓へ手を掛けた。
「何か来ます?」
「違う」
音は壁の中からしている。
レイは季素灯を近づけた。
階段の途中、白灰色の石壁に細い亀裂が入っている。降りてきた時にはなかったものだ。急激に冷やされた石材が縮み、表面を覆っていた補修材だけが剥がれたらしい。
もう一度、ぱき、と音がした。
壁の一部が崩れ落ちる。
「危なっ!」
フィアが一歩退く。
拳ほどの石片が階段を転がっていった。
その下から現れたのは、同じ石ではなかった。
青みを帯びた金属。
「……これ」
レイは表面の埃を手で払った。
四角い板が壁に埋め込まれている。
「さっきの部屋と同じ金属ですね」
「ああ」
第四十一季塔の現行設備では使われていない材質だ。
しかも、ただの補強板ではない。
表面に線が刻まれている。
「図?」
フィアが季素灯を寄せた。
「たぶんな」
補修材を少しずつ剥がしていく。
無理に工具を差し込まず、すでに浮いている部分だけを落とした。やがて腕二本分ほどの金属板が姿を見せる。
中央には細長い塔。
その周囲を、いくつもの輪が囲んでいた。
レイの手が止まる。
「……季環?」
フィアが先に口にした。
「似てる」
だが、今の第四十一季塔とは違う。
現在の季塔を外から見れば、塔身を囲むのは春、夏、秋、冬の4本の季環だ。内部には十二枚の月輪があるが、それらは塔の中に収まっている。
壁画の塔は、外側を巨大な輪が何重にも囲んでいた。
「数えるぞ」
フィアはすでに目で追っていた。
「一、二、三……」
レイも黙って数える。
輪は細いものと太いものが交互に重なり、腐食している部分もある。それでも一本ずつ追えば分かる。
一。
二。
三。
四。
五。
六。
七。
八。
九。
十。
十一。
十二。
そして。
「……13本」
フィアの声が小さくなった。
レイはすぐに答えなかった。
見間違いではないかと、もう一度数えた。
13本。
「今の塔って、外にある輪は4本ですよね」
「ああ」
「中が12枚」
「ああ」
「これは、どっちでもない」
フィアは図を見つめたまま言った。
その通りだった。
「古い形式かもしれない」
「知ってます?」
「知らない」
レイは即答した。
王立環暦院で体系的に学んだ人間なら、古代の季塔形式まで知っている可能性はある。ただ、実地中心で技術を覚えてきたレイが見た季塔は、どれも基本構造が同じだった。
四季を扱う4本の季環。
一年を分ける十二枚の月輪。
それが季塔だ。
少なくとも、今まではそう思っていた。
「師匠さんなら?」
「……知ってそうなのが腹立つな」
フィアが少し笑う。
「聞きます?」
「昨日の返事を忘れたのか」
「聞いたら『帰れ』って言われますね」
「もう言われた」
「そうでした」
レイは金属板へ顔を近づけた。
図だけではない。
塔の下に、複雑な線が伸びている。
おそらく季脈。
周囲から集まってきた線が、塔の地下へ入っている。
そして、その大半が一番外側の輪ではなく、中央付近へ繋がっていた。
「フィア」
「はい」
「森で見た冬の流れ、覚えてるか」
「塔へ戻ってました」
「この図も同じだ」
レイは指で線を追う。
「普通の季塔なら、季脈から入った季素を塔で整えて外へ送る。でもこれは、外から集めてるように見える。少なくとも、今の第四十一季塔とは役割が違う」
フィアの表情が曇った。
「じゃあ、私たちが使ってる塔の下に、別の塔があるってこと?」
レイはその言葉を否定できなかった。
地上の第四十一季塔。
その地下にある、設計年代の違う施設。
現在の冬季導管は、78年前の改修でその古い設備へ接続された。
そして3年前、止まっていた何かが動き出した。
「塔の上に塔を建てたのかもしれない」
「そんなことします?」
「古い基礎を再利用することはある。ただし」
レイは13本の輪を見た。
「ここまで別物を丸ごと残すのは普通じゃない」
しかも、改修記録は抜き取られている。
支局へ送られた村の報告からも、13回鳴った鐘の記録が消えていた。
隠されたものが、少しずつ形を持ち始めている。
それでも、まだ名前がない。
13本目の輪が何を意味するのかも分からない。
「写して帰る」
レイは紙を取り出した。
「全部?」
「できるだけ」
フィアが季素灯を固定し、レイが金属板の図を写し取っていく。
塔。
地下施設。
季脈。
13本の環。
腐食して読めない部分には印を付ける。
右下には、文字らしき刻印もあった。
「これ読めます?」
「古い字体だな」
レイは顔を寄せた。
見覚えのある文字もある。
だが、文章として繋がらない。
「『環』……これは読める」
「その次は?」
「削れてる」
さらに下。
「『暦』」
「環と暦?」
「ああ」
フィアがレイを見る。
「環暦士の?」
「同じ字だ」
環暦士。
季節を巡らせ、暦を保つ者。
今では職業名として当たり前に使われている言葉だ。
だが、その語がいつから存在するのかなど考えたこともなかった。
「持って帰れないんですか」
「壁ごとは無理だな」
「そこまで言ってません!」
「冗談だ」
「分かりにくいです!!」
レイは最後の線を書き終えたその時。
背後から冷たい風が吹いた。
二人とも振り返る。
下へ続く階段。
金属板のある保守室は見えない。
ただ、冬の冷気だけが上がってくる。
「……そろそろ本当に出るぞ」
「賛成です」
今度はフィアも異論を挟まなかった。
◆
地上へ戻ると、昼の光が妙に眩しかった。
レイは石板を元に戻し、周囲の土と草もできるだけ元通りにする。
「隠すんですか?」
「熊でも落ちたら困る」
「そっちか」
「それに、今は村の誰でも入れる状態にしたくない」
フィアもその意図を理解したらしく、踏み荒らした草を戻していく。
「お父さんには?」
「話す」
「グレンさんには?」
レイの手が止まる。
「……まだいい」
「怒られません?」
「もう十分怒られてる」
「確かに」
二人で塔の正面側へ戻る。
昼間の第四十一季塔は、昨日までと何も変わって見えなかった。
4本の季環が回り。
内部では十二枚の月輪が動く。
正常な季塔。
その下に13本の輪を持つ別の構造が埋まっている。
「レイさん」
「何だ」
「今の塔って、何年前に建ったんでしたっけ」
「主要部分は200年ちょっと前。改修は何度もされてる」
「地下の方は?」
「分からない。でも古い」
「もっと前?」
「たぶんな」
フィアは塔を見上げた。
「じゃあ、昔は13本が普通だったとか」
レイも上を見る。
「それなら記録があるはずだ」
「また消されたとか」
「全部をそう考えるのは危険だ」
「でも、今回は多くないですか」
否定はできない。
レイは塔の扉を開けた。
「確かめる」
「何を?」
「この塔にも痕跡が残ってるか」
内部へ入る。
昨日暴走した月輪は、今のところ正常に回っている。
十二月輪も問題ない。
レイは中央主軸の周囲を一周した。
昨日までは西側の壁ばかり見ていた。
今回は別のものを見る。
塔そのもの。
「建て替えたなら、完全には消せない」
土台。
柱。
主軸。
古い構造物を再利用しているなら、どこかに寸法のズレが残る。
レイは巻尺を取り出した。
「また測るんです?」
「ああ」
「好きですね」
「測れば嘘つかないからな」
「人より?」
「かなり」
「昨日も似たこと言ってましたよ」
レイは返事をせず、主軸から外壁までの距離を測った。
東。
南。
西。
北。
「……やっぱり」
西側だけ狭い。
これはすでに分かっている。
問題は北側。
「フィア、そこ立って、その柱の横」
フィアが移動する。
レイは床の継ぎ目を見る。
現行の石材に紛れて、色の違う円弧が走っていた。
床を軽く叩く。
硬い。
もう一度。
少し位置を変える。
音が違う。
「下に何かある」
地下室があるのはもう分かっている。
だが、この円弧。
妙に大きい。
レイは床を辿った。
半周。
さらに半周。
主軸を囲むように続いている。
「輪?」
フィアが気づいた。
「ああ」
床に埋められた古い金属。
現在は石でほとんど覆われているが、元は大きな円形だったらしい。
レイは一つ目の円弧から外へ移動する。
またある。
「2本目」
さらに外。
「3本目」
フィアも黙って探し始めた。
「あっちにもあります」
二人で床を調べる。
石材の隙間。
柱の根元。
補修された床。
今までただの古い継ぎ目だと思っていたものが、地下で見た図を知った途端に別の形へ見えてくる。
4本。
5本。
6本。
全部を露出させることはできない。
だが、位置を測れば予測できる。
レイは紙の上に塔の平面図を描き、見つけた円弧を書き込んだ。
半径。
間隔。
地下の金属板に刻まれていた13本の環。
重ねる。
「……合う」
フィアが息を呑んだ。
今の季塔の床下。
そこには、古い環の一部がそのまま残っている。
現在の第四十一季塔は。
古い施設の上へ建てられたのではない。
古い塔そのものを。
覆っている。
「レイさん」
フィアの声が低くなる。
「これ、13本全部あるんですか」
「たぶん」
レイは紙の上で最後の円を描いた。
十三番目。
その位置は。
西側の壁の向こう。
ちょうど、三爪型の鍵穴がある場所と重なる。
「……なるほど」
壁。
鍵。
月輪の逆転。
地下へ集められる冬。
すべてが少しずつ同じ構造へ繋がっていく。
フィアは西側の壁を見た。
「あの向こうに、13本目がある」
「可能性は高い」
「開けないんですよね」
レイは答えるまで少し時間を置いた。
「今はな」
「その言い方、絶対いつか開けるやつです」
「必要なら」
「グレンさんに怒られますよ」
「理由を言わない師匠が悪い」
「子供みたい」
「弟子だからな」
「そこ関係あります?」
フィアが呆れたように笑う。
レイもわずかに口元を緩めた。
だが。
その時。
季音が変わった。
笑みが消える。
「……待て」
塔の中心。
十二枚の月輪。
いつもの音に混じる、低い響き。
十三番目ではない。
もっと直接的な。
金属の振動。
レイは床へ手を当てた。
「下で何か動いてる」
地下の古い設備。
さっきまでとは違う。
一度回り始めたものが、止まっていない。
むしろ、速度を上げている。
「外へ出るぞ」
フィアは何も聞かず、すぐ入口へ向かった。
二人が塔の外へ出た直後。
地面が震えた。
大きくはない。
だが確かに。
第四十一季塔の下から。
ゴォォン――。
低い音が響く。
フィアが塔を見上げた。
「……見て」
レイも顔を上げる。
春環。
夏環。
秋環。
冬環。
4本の季環が回っている。
そのさらに内側。
塔の石壁。
本来なら何もないはずの場所に、細い光の線が浮かび上がっていた。
一本。
円を描く。
続いて二本目。
三本目。
古い輪郭が、塔の表面を透かすように現れていく。
「これ……地下で見た」
「ああ」
光は止まらない。
4本。
5本。
6本。
現在の季環とは違う位置に、古い環が次々と浮かぶ。
村の方から鐘が鳴った。
誰かが異変に気づいたのかもしれない。
だがレイは塔から目を離せなかった。
七。
八。
九。
十。
十一。
十二。
そこで一瞬、光が止まる。
フィアが息を詰める。
そして。
塔の最も内側。
石壁の奥から。
最後の一本がゆっくりと浮かび上がった。
十三本目。
それを見た瞬間、レイの耳元で…
――カァン。
今までで一番澄んだ〈季音〉が鳴った。




