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十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第1章 冬を失くした村

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第10話 十三月

 十三本目の光環が、第四十一季塔を囲んでいた。


 それは春環とも、夏環とも、秋環とも、冬環とも違う。


 淡い白銀の光を帯びた輪が、石造りの塔を透かすようにゆっくりと回っている。実体があるのかさえ分からないのに、レイの耳には確かな〈季音〉が届いていた。


 ――カァン。


 十三番目。


 これまで何度も聞いてきた音が、初めて完全な形で響いている。


「……見えてるよな」


「見えてます」


 フィアの返事は短かった。


 いつものように驚いて声を上げることもない。ただ十三本目の環を見上げたまま、弓を握る手に力を入れていた。


 村の方でも異変に気づいたらしい。家々から人が出てきて、丘の上を指差している。


「レイさん、あれ……村の人にも見えてます」


「ああ」


 季音とは違う。


 これは幻聴でも、レイだけが知覚できる現象でもない。


 第四十一季塔に、存在しないはずの十三本目が現れている。


 塔の内部から、重い音が響いた。


 ゴォン――。


 十三本目の環が一度だけ強く輝き、塔の足元へ光が沈んでいく。


 レイは表情を変えた。


「地下だ」


 先ほどまで地下設備へ流れ込んでいた冬の季素が、一気に動いた。


 今までのように吸い込まれているだけではない。地下へ集められた膨大な冬が、古い設備の中を巡り始めている。


「戻るぞ」


 レイが塔の裏手へ走り出すと、フィアも黙って続いた。


◆


 石板をずらした地下入口から、冷気が吹き上がっていた。


 さっきまでより明らかに強い。


 階段の壁には霜が張りつき、足元には薄い氷までできている。


「滑るぞ」


「分かってます」


 フィアは壁へ手をつかず、足場を確かめながら降りていく。


 レイも急ぎたい気持ちを抑えた。ここで転んで脚を折れば、バルガスに何を言われるか分からない。


 いや、たぶんフィアの方が先に怒る。


 そんなことを考える余裕がまだあるなら大丈夫だ。


 地下の保守室へ着く。


 古い冬季導管は激しく振動していたが、破裂する様子はない。むしろ長い眠りから目覚め、本来の動きを取り戻したようにも見えた。


 そして。


「あ……」


 フィアが足を止める。


 正面の巨大な金属板。


 昨日まで閉ざされていたものが、開いていた。


 三爪型の鍵穴がある扉は、左右へ割れるようにわずかに開き、その奥から白い光が漏れている。


「鍵、使ってないですよね」


「使ってない」


「月輪も逆転させてない」


「ああ」


 それでも開いた。


 十三本目の環が現れたことと無関係とは思えない。


 レイは扉の前で止まった。


 グレンの伝信が頭をよぎる。


【その鍵を開けるな】


 自分たちは開けていない。


 勝手に開いた。


「……屁理屈ですね」


 フィアが言った。


 レイは横を見る。


「口に出してないぞ」


「顔に書いてあります」


「便利だな」


「それで?」


 フィアは扉の奥を見る。


「行くんでしょう」


「ああ」


「じゃあ行きましょう」


 止めるでもなく、問い詰めるでもない。


 フィアは弓を背負い直し、季素灯を持った。


 どうやらこの数日で、レイの扱いをかなり理解してきたらしい。


「俺が先に行く」


「そこは譲ります」


 扉の隙間へ身体を入れる。


 向こう側には通路があった。


 幅は2メートルほど。白灰色の石壁と、青みを帯びた金属で造られている。地下で見つけた古い設備と同じ造りだ。


 だが、一つだけ違う。


「明るい」


 フィアが季素灯を下ろす。


 壁そのものが淡く発光していた。


 青白い線が通路の奥へ向かって走り、その光に合わせて低い機械音が規則正しく響いている。


 何十年、あるいはもっと長い間、埋められていた場所とは思えない。


 レイは壁に触れず、目だけで構造を追った。


「現行式じゃない。でも季塔の設備なのは間違いない」


「使い方は?」


「分からん」


「じゃあ触らない方がいいですね」


「成長したな」


「誰のせいですか」


「知らない」


 フィアが睨んできたが、それ以上は何も言わなかった。


 通路は緩やかに下っている。


 50メートルほど進んだところで、突然広い空間へ出た。


 二人とも足を止めた。


 円形の巨大な部屋だった。


 天井は高く、現在の季塔一階ほどの広さがある。その中央には太い軸が立ち、周囲を何重もの金属環が囲んでいた。


 レイは数えなかった。


 数える必要がない。


 地下の壁画で見たものと同じだ。


 13本。


 古い季塔の中枢部が、ここに残っている。


「これが……下にあった塔」


 フィアの声が室内へ静かに響いた。


「たぶんな」


 現在の第四十一季塔より小さい。


 それでも、構造は明らかに似ている。


 中心軸。


 季脈へ繋がる導管。


 調整機構。


 そして環。


 古い時代の季塔を、そのまま地下へ封じ込めたような空間だった。


 13本の環はゆっくりと動いている。


 そのうち12本は淡い光。


 最後の1本だけが、強い白銀色を放っていた。


「十三番目」


 レイが呟く。


 その環へ、周囲から集められた冬の季素が流れ込んでいる。


 ただ貯めているわけではない。


 環を通るたび、季素の響きが少しずつ変わっていた。


 冬でありながら。


 冬だけではない。


「……何だ、これ」


 春のような柔らかさ。


 夏の熱。


 秋の乾いた響き。


 冬の冷たさ。


 四季すべてが、ごく薄く混じっている。


 そんな季素をレイは知らない。


 王立環暦院で正式に学んでいないことを、初めて本気で後悔した。


 いや、学院に行ったところで、これを教えていたのか。


 グレンの反応を思えば、その保証すらない。


「レイさん」


 フィアが部屋の端を見ていた。


「何かあります」


 壁際に机があった。


 石製の作業台と、小さな金属棚。


 ほとんどの引き出しは錆びついていたが、一つだけ半開きになっている。


 レイは近づき、中を確認した。


 紙ではない。


 薄い金属板が何枚も重ねられている。


「記録板か?」


 一枚取り出す。


 表面には細かな文字が刻まれていた。


 古い字体。


 さっき壁で見つけたものと同じだ。


 すべては読めない。


 だが、数字と一部の単語なら分かる。


 レイは指で文字を追った。


【第十二月末期――】


 そこまでは読める。


 次が欠けている。


 さらに下。


【冬季余剰――調整――】


「冬の余剰……?」


 フィアが横から覗く。


 別の一枚。


【春季移行準備】


【季脈圧平衡】


【年間誤差補正】


 断片的だが、何をしていた施設なのか少しずつ見えてくる。


 四季を配るだけではない。


 一年の最後に生じた季節のずれを、この設備で調整していた。


 レイは次の記録板を取った。


「……日付がある」


 文字を読む。


 現在の暦と同じ書き方だ。


 だが、レイは途中で止まった。


「レイさん?」


「待て」


 もう一度読む。


 間違いではない。


 文字は明瞭に残っている。


【十三月三日】


 レイは黙った。


 フィアも文字を見ているが、すぐには意味が分からなかったらしい。


「十三……」


 そこで声が止まる。


 二人の視線が合った。


「月?」


「ああ」


 フィアが記録板を見直す。


「十三月三日って書いてあります!」


「書いてあるな」


「十二月の次?」


「そうとしか読めない」


 この世界の一年は十二月までだ。


 一月に始まり、十二月で終わる。


 子供でも知っている。


 暦とはそういうものだ。


 それなのに。


 何十年、何百年も前の設備には。


 十三月。


 存在しない月の日付が刻まれている。


 レイは次の板を取った。


【十三月七日 季環調律】


 もう一枚。


【十三月十一日 冬季残量正常】


 さらに。


【十三月十五日 翌年春季準備完了】


 間違いではない。


 一枚だけの誤記でもない。


 十三月という言葉が、当たり前のように繰り返されている。


「……昔はあったんだ」


 フィアの声が低くなる。


 レイは答えられなかった。


 それ以外の説明が思いつかない。


 この記録を書いた人間にとって、十三月は異常でも秘密でもなかった。


 点検日。


 調整日。


 作業日。


 ごく普通の日付として使われている。


 レイは一番下の記録板を取り出した。


 他より厚い。


 表面には大きな文字で題名が刻まれていた。


 古い字体だが。


 これは読めた。


【十三月季環 保守要領】


 レイはしばらく動かなかった。


 フィアが隣で息を吐く。


「十三本目の環って……」


「ああ」


 名前があった。


 十三番目の音にも。


 十三本目の環にも。


 そして、失われたひと月にも。


「〈十三月〉」


 口にした瞬間。


 ――カァン。


 部屋の中央で、十三番目の環が強く輝いた。


「レイさん!」


「触ってない!」


「分かってます!」


 中央軸が回転を速める。


 導管を流れる冬の季素が、一気に十三月季環へ注ぎ込まれた。


 床が震える。


 レイは記録板を革鞄へ入れた。


「出るぞ!」


「はい!」


 二人が通路へ走り出した直後、背後で巨大な音が鳴った。


 何かが壊れた音ではない。


 開いた。


 そんな音だった。


◆


 地上へ飛び出した時、村中が騒ぎになっていた。


 塔を囲んでいた13本の光環は消えている。


 だが、異変は終わっていなかった。


「……何だ、これ」


 レイは足元を見る。


 白いものが舞っていた。


 雪。


 ようやく冬が来た。


 そう思ったのは一瞬だった。


「レイさん……空」


 フィアが上を向いている。


 雲はある。


 だが。


 何も降っていない。


 レイも周囲を見る。


 雪は地面から出ていた。


 畑。


 道。


 草地。


 石垣の隙間。


 あらゆる場所から白い粒がふわりと浮かび、空へ向かって舞い上がっている。


 村人たちも言葉を失っていた。


 逆さまの雪。


 3年間届かなかった冬が、大地の中から一斉に溢れている。


「綺麗……」


 フィアが呟いた。


 レイは答えなかった。


 確かに綺麗だった。


 夕暮れの村を、無数の雪が空へ昇っていく。


 だが、耳には別のものが聞こえている。


 十三番目の季音。


 今までより遥かに大きい。


 しかも、第四十一季塔だけではない。


 遠く。


 さらに遠く。


 山の向こう。


 地平の先。


 まるで別の季塔が呼応するように、微かな音がいくつも返ってくる。


 レイは息を呑んだ。


 この村だけではない。


 もし。


 今聞こえているものが全部同じ音なら。


「……嘘だろ」


「レイさん?」


 フィアが振り向く。


 レイは答えず、革鞄の中の記録板を握った。


【十三月季環 保守要領】


 歴史から消えたはずの月。


 誰も知らない十三本目の環。


 そして、それを知っていたグレン。


 空へ昇る雪の向こうで、第四十一季塔の鐘が鳴った。


 ――カァン。


 1回。


 続いて。


 もう1回。


 レイは無意識に数え始める。


 一。


 二。


 三。


 鐘は止まらない。


 四。


 五。


 六。


 村人たちも次第に静かになった。


 七。


 八。


 九。


 十。


 十一。


 十二。


 一瞬の静寂。


 そして。


 ――カァン。


 十三回目の鐘が、リュネ村に響き渡った。

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