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十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第1章 冬を失くした村

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第6話 古い鍵

 ――コン。


 音が消えたあとも、レイとフィアはしばらく壁を見つめていた。


「…………」


「…………」


 何も起こらない。


 もう一度叩かれることもない。


 壁はただの壁に戻っていた。


「……レイさん」


「何だ」


「叩き返してみます?」


「やめろ。向こうに何がいるか分からないのに、返事してどうする」


「でも、向こうから叩いたんですよ?」


「だから余計に嫌なんだ」


「さっき怖くないみたいな顔してたのに」


「怖いから考えてる」


「なるほど」


 フィアが納得したように頷いた。


 レイはしゃがみ込む。


 壁の根元。


 さっきまで隙間ができていた場所へ季素灯を近づけた。


 白い石粉。


 擦れた跡。


 そして。


「……これか」


「何かありました?」


「灯り、もう少し右」


「はい」


 光がずれる。


 石壁の端。


 床から20センチほど上に、小さなくぼみがあった。


 今まで補修材に埋もれていて気づかなかったものだ。


 レイは指で石粉を払う。


 金属が現れた。


「これ……穴?」


「たぶんな」


 指先ほどの大きさ。


 ただの丸穴ではない。


 三方向へ細い溝が伸びている。


 奇妙な形だった。


 フィアが覗き込む。


「鍵穴ですか?」


「近い」


「じゃあ鍵があれば開くかも!」


「そんな簡単なら助かる」


 レイは革鞄を開けた。


 細い棒。


 調整針。


 小型の回転具。


 幾つか試す。


 どれも入らない。


「駄目です?」


「ああ」


「削ったら?」


「お前、たまに俺より乱暴だな」


「入らないなら合わせればいいかなって」


「精密機構にその発想はやめろ」


「じゃあどうするんです?」


 レイは返事をしなかった。


 穴を見つめる。


 この形。


 どこかで見た。


 最近ではない。


 もっと昔。


「…………」


 記憶を探る。


 工具。


 油の匂い。


 古い季塔。


 グレンの鞄。


 無造作に突っ込まれた、妙に古びた工具。


『師匠、それ何』


『触るな』


『何に使うんだ』


『だから触るな』


『使わないならいいだろ』


『その理屈でお前は何本工具を壊した』


『2本』


『5本だ』


『覚えてるのかよ』


『俺の工具だからな』


 あの時。


 グレンが持っていた。


 三つの爪が伸びた、妙な形の金属具。


「……見たことある」


「本当ですか?」


「ああ」


「どこで?」


「師匠の鞄」


「また師匠さん!」


「俺も嫌になってきた」


「どういう意味です?」


「こっちの話だ」


 レイは立ち上がった。


 もう一度、壁全体を見る。


「問題は鍵穴だけじゃない」


「まだあるんです?」


「ああ」


 レイは十二枚の月輪を見上げる。


「さっき、何でこの壁が開いたと思う?」


「塔が暴走したから?」


「それは結果だ」


「じゃあ……月輪が逆に回ったから?」


「多分な」


「また多分」


「まだ証拠がない」


 レイは一番上の十二月輪を指差す。


「逆転は十二月輪から始まった」


「はい」


「それから十一月、十月、九月」


「順番に戻っていきましたね」


「一年を逆に辿るみたいに」


 フィアも月輪を見上げた。


「それが鍵なんですか?」


「可能性はある」


「じゃあ、もう一回逆回転させれば――」


「却下」


「まだ最後まで言ってません!」


「言わなくても分かる」


「でも開くかもしれませんよ?」


「塔も壊れるかもしれない」


「……それは困りますね」


「かなりな」


 レイは月輪の下まで歩く。


 止まった際に落ちてきた金属片は、床の端へ避けてあった。


 拾い上げる。


 手のひらより少し大きい。


 厚みがある。


「さっきの歯車、壊れてるんですよね?」


「正確には歯車そのものじゃない」


「え?」


「保護爪だ」


 レイは欠けた断面を見せる。


「異常な力が掛かった時、主歯車が壊れる前にこっちが折れるようになってる」


「わざと壊れる部品?」


「ああ」


「そんなものあるんですね」


「大事な部分を守るためにな」


「じゃあ、塔は大丈夫?」


「今すぐ止まることはない。ただ交換は必要だ」


「できるんです?」


「部品があれば」


「ない?」


「持ってきてない」


「……見習いだから?」


「何でもそれで説明するな」


「違うんです?」


「今回は違う。こんな部品が壊れる予定じゃなかった」


 臨時点検。


 軽微な冬季出力低下。


 渡された指令には、そう書かれていた。


 誰が予想する。


 来た初日に月輪が逆転するなど。


「支局に部品を申請する」


「どれくらい掛かります?」


「早ければ数日」


「遅ければ?」


「考えたくない」


 フィアが苦笑した。


 レイは金属片を革鞄へ入れる。


 それから。


 また十二月輪を見る。


「少しだけ調べる」


 レイは保守用の階段を上がった。


「私も行きます!」


「下にいろ」


「なんで!」


「落ちたら危ない」


「レイさんは?」


「落ちない」


「その自信どこから来るんです?」


「経験」


「さっき工具の師匠に避けろって言われてた人が!?」


「聞いてたのか」


「お風呂の時に自分で呟いてました!」


「…………」


 忘れていた。


「レイさん?」


「何でもない」


「今ちょっと恥ずかしがりました?」


「気のせいだ」


「絶対そうだ!」


「灯り」


「誤魔化した!」


 フィアが下から季素灯を掲げる。


 レイは十二月輪の側面へ近づいた。


 巨大な輪は、低く唸りながら正常方向へ回転している。


 近くで見ると。


 外周には細かな刻みがある。


 通常の調整目盛り。


 その間に。


「……ん?」


 レイは目を細めた。


「何かありました?」


「待て」


 一周。


 目で追う。


 あった。


 普通の目盛りより深い切り込み。


 一本だけ。


「十二月に印がある」


「印?」


「深い溝」


「他の月は?」


「見る」


 十一月輪。


 同じ。


 十月輪。


 ある。


 九月輪。


 ある。


 すべて。


 位置が違う。


 だが、一枚につき一本。


 レイの中で何かが繋がった。


「……そういうことか?」


「何がです?」


「まだ分からない」


「今絶対分かった顔してましたよ!」


「半分だけだ」


 レイは階段を下りた。


 図面を広げる。


 十二枚の月輪を簡単に描く。


 それぞれの溝の位置を書き込む。


「さっき逆転した時」


「はい」


「月輪は全部、同じ速度じゃなかった」


「そうなんです?」


「ああ。輪の大きさが違うからな」


「それが?」


「もし」


 レイは紙の上へ線を引く。


「逆方向へ一定量回すと、この深い溝が全部同じ位置に揃うなら」


 フィアが図面を見る。


「揃ったら?」


「壁の鍵が外れるかもしれない」


 もう一度。


 さっきの暴走を思い返す。


 十二月。


 十一月。


 十月。


 順番に逆転。


 そして緊急停止。


 その直後に壁が開いた。


「偶然じゃなかったんですか?」


「暴走そのものは偶然かもしれない」


「でも壁が開いたのは」


「仕組み通りだった可能性がある」


「つまり…」


 フィアが西側の壁を見る。


「誰かが昔、この壁を開けるために月輪を使うようにした?」


「そうなる」


「なんでそんな面倒なことを」


「簡単に開けてほしくなかったんだろ」


 レイも壁を見る。


「開けるしかない」


「開けるんですか?」


「今日は開けない」


「よかった……」


「随分安心するな」


「だってさっき、向こうから叩かれましたよ!?」


「俺も覚えてる」


 フィアが腕を擦る。


「じゃあ帰ります?」


「ああ」


 レイは壁の鍵穴をもう一度見る。


 三方向へ伸びた溝。


 そして。


 グレンの古い工具。


 嫌な予感しかしない。


「その前に写す」


「何を?」


「形」


 紙を当て、炭筆で輪郭を取る。


 念のため寸法も測る。


「師匠さんに聞くんです?」


「……聞きたくないけどな」


「仲悪いんですか?」


「悪くはない」


「じゃあなんでそんな嫌そうなんですか」


 レイは少し考えた。


「聞いたら、面倒な答えが返ってきそうだから」


「どんな?」


「それが分かったら聞かない」


「確かに」


◆


 村へ戻る頃には、完全に夜が更けていた。


 バルガスはまだ起きていた。


「遅かったな」


「ただいま!」


 フィアが靴を脱ぎながら答える。


「塔が壊れかけた!」


「何!?」


「言い方」


 レイが口を挟む。


「壊れかけたじゃないですか!」


「まだ壊れてない」


「巨大な金属落ちてきたんですよ!?」


「何!?」


 バルガスが杖を手に立ち上がろうとする。


「落ち着いてください」


「環暦士さん、娘が今とんでもないこと言ったぞ!」


「すみません」


「レイさんが助けてくれたから大丈夫!」


 バルガスの目がレイへ向く。


 一瞬。


 表情が変わった。


「……そうか」


「はい」


「ありがとな」


「仕事です」


「それでもだ」


 レイは少し言葉に詰まった。


「……どういたしまして」


 バルガスが頷く。


 フィアは横で、なぜか少し嬉しそうにしていた。


「何だ」


「別に?」


「顔がうるさい」


「顔がうるさいって何!?」


「それより、伝信機借りられますか」


 バルガスが眉を上げる。


「村役場のか?」


「はい。環暦局へ連絡したい」


「構わんが、こんな時間だぞ」


「支局なら夜番がいる」


「急ぎか?」


 レイは少し迷った。


 壁。


 鍵穴。


 十三番目の音。


「……急ぎです」


◆


 村役場。


 昼間使った机の奥に、小型の伝信機が置かれていた。


 金属製の鍵盤。


 細い紙帯。


 駅を経由して、王立環暦局の通信網へ繋がっている。


 レイは椅子へ座る。


 フィアが横から覗き込んだ。


「これで師匠さんに?」


「まず支局」


「直接じゃないんだ」


「個人符号を指定すれば転送してくれる」


「師匠さん、今どこにいるんです?」


「知らない」


「師匠なのに!?」


「あの人は同じ場所に3日いる方が珍しい」


「何してるんですか?」


「環暦士」


「それは知ってます!」


 レイは鍵盤を叩いた。


 短く。


 必要なことだけ。


【第四十一季塔。図面外空間を確認。西壁内部に可動構造あり】


 一度止める。


「それだけ?」


「長いと料金取られる」


「そこ気にするんですか!?」


「経費で怒られる」


「環暦局って大変なんですね……」


 続ける。


【月輪が十二月より順次逆転。一月まで到達する直前に緊急停止】


【停止後、西壁が数ミリ開口】


【壁内部より物理音を確認】


 指が止まる。


 十三番目。


 これを書くべきか。


「レイさん?」


「何でもない」


 書く。


【十三番目の季音は地下方向】


 最後。


 紙に写してきた鍵穴の形を見ながら文字を打つ。


【三爪型の旧式保守孔らしきものを確認。師匠の工具に類似形状のものを記憶している】


 宛先。


 グレン・アルディス。


 個人符号。


 送信。


 伝信機が低い音を立てる。


「これで届くんです?」


「ああ」


「いつ返事来ます?」


「早ければ朝」


「じゃあ今日は――」


 カタ。


 二人とも伝信機を見る。


「……え?」


 紙帯が動いた。


「早っ!!」


「静かに」


「だって!」


 文字が打ち出される。


【レイ・セイン本人か】


 レイは眉を寄せた。


 グレン本人だが、早すぎる。


【本人】


 送るとすぐに返ってくる。


【十三番目の音を聞いたのか】


 レイの指が止まった。


 横でフィアも黙った。


「……師匠さん」


「ああ」


「知ってるんですか?」


「分からない」


 だが、聞き方がおかしい。


 普通なら。


 十三番目の季音とは何だ。


 そう聞く。


 グレンは違った。


 ――聞いたのか。


 存在を最初から知っている人間の聞き方だ。


 レイは打つ。


【聞いた】


 返信。


【何回】


「……何回?」


 フィアが呟く。


 レイは思い返す。


 初日。


 塔の中。


 村役場。


 壁。


 正確な数など数えていない。


【複数回。現在は壁よりさらに地下に感じる】


 少し、 間が空いた。


 今度は長い。


 紙が動かない。


 フィアが椅子の背へ手を置く。


「怒られてます?」


「まだ何も言われてない」


「でもなんか怒ってそう」


「分かる」


「文字だけなのに?」


「師匠だからな」


 カタ、紙が動いた。


【触るな】


 それだけ。


「…………」


「…………」


 フィアが首を傾げる。


「短いですね」


「ああ」


 続いて。


【壁を開けるな】


 また一行。


【月輪を逆転させるな】


 さらに。


【その音を追うな】


 レイは紙を見つめた。


 フィアが小さな声で言う。


「……絶対知ってますよね」


「ああ」


 否定できなかった。


 レイは鍵盤へ指を置く。


【理由は】


 送信。


 返事は来ない。


 10秒。


 20秒。


 30秒。


「切れた?」


「いや」


 接続灯は点いている。


 グレンが、答えを選んでいる。


 そのことの方が、レイには不気味だった。


 あの男は判断が速い。


 現場で迷う姿など、ほとんど見たことがない。


 カタ。


 紙が動く。


【明朝、村を出ろ】


 レイの目が細くなる。


【理由になってない】


 送る。


【今回だけは言うことを聞け】


「……師匠さん、いつもこんな感じなんです?」


「もっと嫌な感じだ」


「これより?」


「ああ」


 フィアは想像できない顔をした。


 レイは打つ。


【俺は第四十一季塔の担当として派遣された。冬季異常の原因未特定。撤収できない】


 少し待つ。


【担当を替える】


「え?」


 フィアが声を漏らした。


 レイも眉を寄せる。


【師匠にその権限はない】


 送信。


【作る】


「怖い人ですね」


「だから嫌なんだ」


 だが、レイは笑えなかった。


 グレンなら本当にやる。


 王立環暦局に話を通し、担当を替え、レイをこの村から引き離す。


 それだけの立場がある。


「レイさん」


「何だ」


「どうするんです?」


 レイは答えない。


 伝信機を見る。


 最後に一つ。


 聞いてみる。


【あの三爪型の保守孔を知っているな】


 送信。


 長い沈黙。


 返事がない。


「……切りました?」


「まだだ」


 接続灯は点いている。


 グレンは向こうにいる。


 読んでいる。


 それでも、答えない。


 レイの中で、疑いが確信へ近づいていく。


 やがて、紙帯が動いた。


 一行だけ。


【レイ】


 名前だけが先に出た。


 次の文字まで、妙に間が空いた。


【その鍵を開けるな】


 レイは紙を見つめた。


 フィアも。


 何も言わない。


 鍵。


 グレンは、レイが送った文には一度も使っていない言葉をはっきりとそう呼んだ。


 レイはゆっくり椅子へ背を預けた。


「……師匠」


 伝信機の向こうにいるはずの男へ。


 届かない声で呟く。


「何を知っているんだ」

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