第5話 壁の向こう
十二月輪が、止まった。
「……え?」
フィアが呟く。
レイの顔から表情が消えた。
「離れろ」
「何が――」
「フィア、離れろ!!」
「っ!?」
レイの声に押されるように、フィアが後ろへ跳ぶ。
次の瞬間。
――ガン!!
十二月輪が逆回転した。
「ええっ!?」
巨大な金属輪が軸を震わせながら、逆方向へ回り始める。
連動して。
十一月輪。
十月輪。
九月輪。
次々と回転が反転していく。
「何これ!?」
「暴走だ!」
「正常じゃなかったんですか!!」
「さっきまではな!!」
金属音が塔中に響く。
歯車が噛み合わない。
火花が飛ぶ。
鎖が跳ねる。
季素導管が激しく震え始めた。
レイは中央主軸を見る。
「まずい」
「何が!?」
「十二枚全部逆転したら、主軸まで引っ張られる!」
「そうなったら!?」
「塔が止まる!」
「それはまずいです!!」
「だから言ってる!」
フィアが周囲を見回す。
「どうすればいいです!?」
「そこから動くな!」
「またそれ!?」
「今度は本当に動くな!!」
床の一部まで震えている。
レイは工具鞄を掴んだ。
季塔の構造を頭の中で組み立てる。
十二月輪。
連動軸。
主歯車。
緊急制動機。
通常なら入口側の操作盤で止められる。
だが。
「……遠い」
間に合わない。
十月輪。
九月輪。
八月輪。
速い。
「レイさん!!」
「考えてる!」
「早くしてください!!」
「分かってる!!」
フィアが黙った。
レイ自身も、一瞬驚いた。
自分が声を荒らげた。
それくらい余裕がない。
七月輪。
六月輪。
五月輪。
あと半分。
入口の操作盤は無理。
なら。
「……こっちだ」
「え?」
レイは壁際へ走った。
「そっち何もないですよ!?」
「ある!」
季塔は修理される前提で造られている。
巨大な機構が故障した時、技師が毎回主操作盤まで走らなければならない設計にはしない。
各階。
各環。
必ず、局所的に機構を止める手段がある。
「……あった」
壁際。
床から少し上。
石板の陰。
小さな鉄蓋。
レイが工具を差し込む。
「固っ……!」
回らない。
長年、誰も触っていない。
「フィア!」
「はい!?」
「こっち来い!」
「動くなって言ったじゃないですか!!」
「今は来い!!」
「どっちなんですか!!」
フィアが走ってくる。
「これ押さえろ!」
「これ!?」
「鞄!」
「鞄!?」
「下に噛ませろ!」
「大事な工具じゃないんですか!?」
「今は塔の方が高い!!」
「分かりました!!」
フィアが革鞄を押し込む。
鉄蓋の片側が固定された。
レイは工具へ体重を掛ける。
「せーので押せ」
「はい!」
「せーの!」
「ううううっ!!」
ぎぎ。
蓋が動く。
「もう1回!」
「はい!!」
「せーの!」
――ガン!
鉄蓋が外れた。
奥に赤い把手がある。
「それですか!?」
「ああ!」
「引けば止まる!?」
「多分!」
「多分!?」
「古い塔なんだよ!!」
「今それ言う!?」
四月輪。
三月輪。
二月輪。
「レイさん!!」
「分かってる!」
把手を掴む。
重い。
動かない。
「くそっ……!」
「手伝います!」
「触るな!」
「なんで!?」
「戻った時に指持ってかれる!」
「怖っ!!」
レイは姿勢を変える。
両手。
片足を壁へ掛ける。
「……動け」
びくり。
把手が少し動いた。
「動け……!」
さらに引く。
一月輪が。
止まった。
「レイさん!!」
「分かってる!!」
全体が完全に逆転する直前。
レイは把手を引き切った。
――ドン!!
巨大な衝撃。
塔全体が揺れた。
「きゃっ!!」
フィアが倒れる。
十二枚の月輪が、一斉に停止した。
一瞬。
塔から音が消えた。
次の瞬間。
上から金属片が落ちてきた。
「フィア!!」
「え?」
レイは走った。
フィアの腕を掴む。
力任せに引く。
――ガァン!!
さっきまでフィアがいた場所へ、巨大な歯車の一部が落下した。
「…………」
「…………」
二人とも動かなかった。
フィアが金属片を見る。
レイを見る。
もう一度、金属片を見る。
「今……」
「ああ」
「死ぬかと思いました」
「俺も」
「レイさんでも思うんですね」
「そりゃ思う」
「……手」
「何だ?」
「まだ掴んでます」
レイはフィアの腕を見る。
強く掴んだままだった。
「あ」
離す。
「悪い」
「いえ」
フィアが掴まれていた場所を軽く擦った。
「助けてもらったので」
「怪我は?」
「大丈夫です」
「本当に?」
「はい」
レイはじっと見る。
「……何です?」
「確認してる」
「顔で?」
「顔色」
「大丈夫です!」
「ならいい」
レイは息を吐いた。
心臓がまだ速い。
自分のではない。
いや。
自分のだ。
当たり前だ。
「レイさん」
「何だ?」
「さっき」
「何」
「『フィア!!』って叫びましたね」
「…………」
「初めてじゃないです?」
「忘れろ」
「嫌です!」
「忘れろ」
「嫌です!」
「面倒だな」
「絶対忘れません!」
元気そうだ。
なら問題ない。
レイは止まった月輪を見る。
「……まず復旧だ」
「今から?」
「ああ」
「もう帰りたいんですけど」
「俺もだ」
「じゃあ帰りましょう!」
「塔止まってる」
「……ですよね」
十二枚の月輪が停止している。
外側の季環も、少しずつ速度を落とし始めていた。
このままでは季節供給そのものが止まる。
レイは主軸へ近づく。
異常発熱。
なし。
季素漏れ。
なし。
軸損傷。
目視ではなし。
「原因は?」
フィアが聞く。
「分からない」
「またそれ」
「ただ」
レイは十二月輪を見上げた。
「自然故障じゃない気がする」
「どうして?」
「順番がおかしい」
「順番?」
「十二月から逆向きに始まった」
十二月。
十一月。
十月。
九月。
ひと月ずつ。
まるで一年を。
巻き戻すように。
レイは、その考えを口にしなかった。
まだ証拠がない。
「復旧する」
「私、何すればいいです?」
「今度は本当に手伝ってもらう」
「おお!」
「季素灯持って」
「結局それ!?」
「重要だぞ」
「もう知ってます!!」
フィアが灯りを持ち上げる。
レイは制動機を戻し、月輪を一枚ずつ確認していった。
一月。
二月。
三月。
軸の歪みなし。
歯車の欠損。
軽微。
四月。
五月。
六月。
七月。
問題なし。
八月。
九月。
十月。
十一月。
十二月。
「……戻せる」
「本当ですか!?」
「ああ」
「すごい!」
「まだ褒めるな」
「なんで?」
「動いてからだ」
レイは調整盤を開いた。
順番にロックを解除する。
季素圧を下げる。
主軸を手動で半回転。
「フィア」
「はい!」
「そこに銀色の針見えるか?」
「これ?」
「それ。俺が言ったら右へ1つ」
「分かりました!」
「まだ動かすなよ」
「分かってます!」
「本当に?」
「信用なさすぎません!?」
「初日だからな」
「ひどい!!」
レイは主歯車を見る。
「今!」
「はい!」
カチ。
一月輪が動く。
二月。
三月。
順番に回転が戻っていく。
「もう1つ!」
「はい!」
四月。
五月。
六月。
正常回転。
「レイさん!」
「何だ」
「動いてる!」
「見れば分かる」
「もうちょっと喜んでくださいよ!」
「全部戻ってから」
七月。
八月。
九月。
十月。
十一月。
最後。
十二月輪。
――カチ。
ゆっくりと。
正しい方向へ回り始める。
「……よし」
レイはようやく息を吐いた。
「直った?」
「ああ」
「やった!!」
フィアが両手を上げる。
季素灯まで一緒に上がった。
「灯り落とすな」
「あっ!」
「やっぱり持たせるんじゃなかった」
「落としてません!!」
塔全体の音が戻っていく。
歯車。
主軸。
導管。
十二枚の月輪。
そして外側の4本の季環。
元通り。
正常。
「……本当に直すんですね」
「何が」
「こういうの」
「仕事だからな」
「さっきまで全部めちゃくちゃだったのに」
「機械は原因が分かれば素直だ」
「人より?」
「ずっと」
「レイさん、絶対人付き合い苦手でしょ」
「否定はしない」
「やっぱり!」
レイは工具を片付け始めた。
そこで。
違和感に気づく。
「……待て」
「今度は何です?」
西側の壁。
例の壁。
さっきまでとは違う。
「フィア」
「はい?」
「灯り、あっち」
光を向ける。
「あ……」
フィアも気づいた。
壁の縦線。
昼間までは、補修材の色の違いにしか見えなかった境目。
そこに。
細い隙間ができていた。
「開いてる……?」
「少しだけ」
数ミリ。
だが、確実に。
壁が動いている。
レイは近づいた。
「触らない方がよくないです?」
「同感」
「珍しく意見合いましたね」
「失礼だな」
隙間の向こうへ季素灯を向ける。
暗い。
光が届かない。
「何も見えない」
「本当に部屋なんですか?」
「分からない」
レイは耳を近づけた。
「……音がする」
「季音?」
「違う」
「じゃあ?」
普通の音。
微かに。
金属が擦れている。
ぎ。
ぎ。
何かが。
壁の向こう側で。
ゆっくりと動いている。
フィアがレイの外套を掴んだ。
「……レイさん」
「何だ」
「これ」
「ああ」
「塔の中に……誰かいるとか?」
「人なら足音くらいする」
「じゃあ人じゃない何か!?」
「そっちの方が嫌だな」
「なんでそんな冷静なんですか!!」
「冷静じゃない」
「見えません!」
「さっきからかなり怖い」
「本当に!?」
「ああ」
フィアが少し驚いた顔をした。
「レイさんでも怖いんですね」
「俺を何だと思ってる」
「工具を愛する変な人」
「だいぶ評価下がったな」
その時。
壁の奥で。
――カチ。
二人とも黙った。
――カチ。
同じ音。
さっき暴走が始まる直前に聞いた音。
「レイさん」
「ああ」
隙間が。
少しずつ。
閉じ始める。
「待っ――」
レイが一歩踏み出す。
だが。
――ガン。
壁は完全に閉じた。
「…………」
「…………」
元通り。
隙間など最初から存在しなかったように。
ただの石壁。
レイは黙ってそこを見る。
「今の、扉ですよね」
「ああ」
「やっぱり」
「ああ」
「図面にない」
「ああ」
「開いた」
「ああ」
「中で何か動いてた」
「ああ」
「……もっと何か言ってくださいよ!!」
レイは額へ手を当てた。
「情報が多い」
「それは私もです!!」
そして。
――カァン。
十三番目の季音が響いた。
壁の向こう。
地下深く。
今度は。
その音に重なるように。
――コン。
石の向こうから。
何かが。
一度だけ。
こちら側を叩いた。
フィアが完全に固まった。
「……レイさん」
「何だ」
「今の」
「ああ」
「季音じゃないですよね?」
「ああ」
「私にも聞こえました」
「……そうだな」
レイは壁を見つめる。
十三番目の季音は、自分にしか聞こえない。
だが今の音は。
違う。
フィアにも聞こえた。
壁の向こうから。
誰かが。
あるいは何かが。
こちらへ合図するように。
確かに。
1回。
叩いた。




