第4話 夜の季塔
話が一段落したところで、バルガスが窓の外を見た。
「……もうこんな時間か」
外はすっかり暗くなっている。
レイも窓へ目を向けた。
「宿屋、まだ開いてますか」
「開いてはいる」
バルガスが少し困った顔をする。
「ただ、今は泊まれん」
「満室ですか?」
「半分正解だな。二階の床が傷んでて、昨日から客室を閉めてる。使える部屋は2つだけで、どっちも行商人が泊まってる」
「なるほど」
「だから今日はうちに泊まっていけ」
レイがバルガスを見る。
「いいんですか?」
「客間が空いてる。こんな時間に村の外へ放り出したら、村長として寝覚めが悪い」
「今は村長代理、私だけどね!」
「お前は黙ってろ」
「なんで!?」
「あと、環暦士さんにはまだ聞きたいこともある」
「見習いですけど」
「仕事してくれるなら何級でも構わんよ」
レイは少し考えた。
最終列車はとっくに出ている。
そもそも。
図面にない空間。
切り取られた6ページ。
3年前、冬が消え始めた日に13回鳴った鐘。
そして、自分にしか聞こえない十三番目の〈季音〉。
こんなものを見つけた直後に村を離れる気など、最初からなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
「そうしろ」
「客間、片付けてきます!」
フィアが立ち上がる。
バルガスがその背中へ声を掛けた。
「フィア」
「なに?」
「昨日から置いてある箱、ちゃんとどけろよ」
フィアの動きが止まった。
「…………」
「置いてあるんだな」
レイが言う。
「今からどけます!!」
「客を泊める部屋を物置にするな」
「最近使ってなかったの!!」
フィアがばたばたと廊下を走っていった。
バルガスが小さくため息をつく。
「すまんな。あれでも村長代理なんだ」
「見てれば分かります」
「どっちの意味だ?」
「両方です」
バルガスが笑った。
◆
「お風呂、先に入ってください!」
客間から箱を抱えて出てきたフィアが言った。
「風呂?」
その一言だけで、レイの足が止まる。
「沸いてますよ?」
「……入っていいのか?」
「もちろんですけど」
レイはフィアを見た。
「フィア」
「はい?」
「お前、いい奴だな」
「そこで評価上がるんですか!?」
列車、徒歩、季塔、村役場の倉庫、古い帳面。
今日一日で、埃と油と土を随分被った。
風呂に入れるなら、それだけでこの村に来た価値が少し上がる。
「そんなに入りたかったんです?」
「ああ」
「意外」
「俺を何だと思ってる」
「工具があれば3日くらいお風呂入らなくても平気な人」
「それは師匠だ」
「師匠さん何者なんですか!?」
「性格の悪い環暦士」
「そこしか教えてくれませんよね!!」
しばらくして。
レイは家の奥にある小さな浴室を借りていた。
石造りの浴槽。
立ちのぼる湯気。
久しぶりに身体の芯まで温まる。
「…………生き返る」
思わず声が出た。
肩まで湯に沈む。
右腕には細い切り傷。
左の脇腹には、昔、季素管の破裂に巻き込まれた時の薄い火傷跡。
背中にも小さな傷がいくつか残っている。
環暦士は、机で図面を眺めるだけの仕事ではない。
狭い塔の内部へ潜る。熱を持った導管へ手を突っ込む。錆びた足場を登る。
時には、暴走した設備のすぐ横で作業することもある。
20歳にしては、少し傷が多い。
『お前は避けるという発想を覚えろ』
昔、グレンに言われたことがある。
「師匠にだけは言われたくなかったな……」
レイは湯から上がった。
濡れた髪を布で拭き、腰にも別の布を巻く。
脱衣所の籠には、昼間まで着ていた濃紺の作業着が畳んで置いてあった。
「……これ、また着るしかないか」
汗、油、塔の埃。
せっかく風呂に入ったのに、これを着直せば気分は半分くらい元通りだ。
だが、他に服はない。
レイが作業着へ手を伸ばした、その時。
がちゃ。
「レイさん、着替え持ってきましたー!」
扉が開いた。
「…………」
「…………」
レイ。
フィア。
目が合った。
レイは上半身裸。
片手は古い作業着へ伸ばしたまま。
フィアの両腕には、綺麗に畳まれたシャツとズボン。
「…………」
フィアの視線が。
レイの顔から。
肩へ。
胸元へ。
腹へ。
そして。
左脇腹の火傷跡で止まった。
「…………」
「フィア」
「はい」
「扉」
「はい」
「閉めてくれ」
「――っ!!」
ばたん!!
「す、すみませんでした!!」
扉の向こうから声が響いた。
レイは数秒、閉じた扉を見つめた。
「……ノックしろよ」
「するの忘れたんです!!」
「そうか」
「なんでそんな冷静なんですか!?」
「叫べばいいのか?」
「それも違います!!」
扉の前に着替えがそっと置かれた。
レイはそれを拾い上げる。
どうやらバルガスが若い頃に着ていた服らしい。
少し大きい。
だが、埃まみれの作業着を着直すよりは遥かにありがたかった。
「フィア」
「な、何ですか!?」
「服、助かる」
「……はい」
「ありがとう」
「…………」
返事がない。
「フィア?」
「今、普通にお礼言うのやめてください!!」
「なんでだ」
「知りません!!」
廊下の向こうで何かにぶつかる音がした。
「痛っ!」
「大丈夫か?」
「大丈夫です!!」
どう考えても大丈夫ではなさそうだった。
レイは新しいシャツへ腕を通す。
その途中。
扉の向こうから、小さな声がした。
「……レイさん」
「何だ」
「その……」
「うん」
「傷、多いんですね」
レイの手が止まった。
なるほど。
見ていたのは、そこか。
「仕事してれば増える」
「痛そうでした」
「昔のだ」
「……そうですか」
「ああ」
短い沈黙。
「あと」
「まだあるのか」
「ちゃんと身体、鍛えてるんですね」
「…………」
今度はレイが黙った。
扉の向こうも静かになる。
数秒。
「いや違っ……!! 今のは忘れてください!!」
「無理だろ」
「忘れて!!」
「自分で言ったのに」
「お願いだから忘れてください!!」
今度こそ、廊下を走っていく足音が遠ざかっていった。
レイはシャツの釦を留めながら、小さく息を吐く。
「……面倒な娘だな」
ただ。
口元が少し緩んでいたことには、自分でも気づかなかった。
◆
翌朝。
「レイさん!! 朝です!!」
「……聞こえてる」
「じゃあ起きてください!」
「起きてる」
「目、閉じてますけど!?」
「考え事してる」
「絶対寝てる!!」
借りた客間の寝台で、レイは毛布を頭まで被った。
昨夜、眠ったのはかなり遅い。
十一月二十七日。
13回鳴った鐘。
図面に存在しない空間。
抜き取られた6ページ。
十三番目の季音。
頭の中で何度並べ直しても、気持ちのいい答えにはならなかった。
「あと少し」
「駄目です!」
「5分」
「駄目!」
「厳しいな」
「……あと昨日のことは忘れてください!」
「無理だろ」
「そこは忘れて!!」
毛布が勢いよく剥がされた。
「……寒い」
「冬が来てない村で何言ってるんですか!!」
フィアは頬を赤くしたまま、毛布を抱えている。
どうやら昨夜のことを思い出したらしい。
レイは身体を起こした。
「お前こそ朝から顔赤いぞ」
「誰のせいですか!?」
「勝手に開けたのはお前だろ」
「もう言わないで!!」
フィアは逃げるように部屋から出ていった。
朝から騒がしい。
だが、悪くない。
そう思ったところで、レイは首を振った。
仕事をしよう。
◆
「今日はどうするんだ?」
朝食の席で、バルガスが聞いた。
レイは黒パンを千切りながら答える。
「昼間にもう一度、塔と図面を照合します」
「夜も行くつもりか?」
「ああ」
フィアがスープから顔を上げた。
「やっぱり夜なんです?」
「昨日、壁の中で音がしたのは夕方だった」
「たまたまかもしれませんよ?」
「だから同じ条件で確かめる」
「私も行きます」
「止めても来るだろ」
「もちろん!」
「じゃあ最初から聞くな」
「確認です!」
バルガスが娘を見る。
「危ないことはするなよ」
「大丈夫!」
「その返事が一番信用ならん」
「お父さんまで!?」
レイはスープを飲む。
「危険だと思ったら帰します」
「レイさんまで!?」
「俺は仕事だから残る」
「ずるい!!」
「環暦士だからな」
「見習いですよね?」
「そこだけ都合よく覚えてるな」
バルガスが笑った。
「仲良くなったな、お前ら」
「なってません!!」
フィアだけが即答した。
レイは何も言わず、残りのパンを口へ入れた。
反論するほどでもない。
◆
昼間。
レイは第四十一季塔の外周をもう一度測った。
図面と実測。
塔の直径。
内部空間。
外壁の厚さ。
何度計算しても同じだった。
例の西側だけ、説明できない空間がある。
幅はおよそ1.7メートル。
奥行きは少なくとも2メートル以上。
しかも、下へ続いている可能性が高い。
「やっぱりあります?」
「ああ」
「図面が間違ってる?」
「それか、意図的に消されてる」
「どっちが嫌です?」
「後者」
「ですよね」
昼間、壁は何も起こさなかった。
十三番目の季音も聞こえない。
まるで。
夜を待っているように。
そんな考えが浮かび、レイはすぐに捨てた。
機械に意思はない。
少なくとも。
普通は。
◆
夕暮れ。
レイとフィアは再び第四十一季塔の前に立っていた。
空には厚い雲。
月は見えない。
村の明かりも、丘の上まではほとんど届かない。
塔の外側では4本の季環が回っている。
春環。
夏環。
秋環。
冬環。
何事もなかったかのように。
「レイさん」
「何だ」
「昨日より怖くないです?」
「何が」
「雰囲気が!」
「暗いだけだろ」
「その暗いのが怖いんです!」
「帰るか?」
「帰りません!」
「じゃあ行くぞ」
「そういう言い方ずるい!」
フィアが鍵を開けた。
重い扉が軋む。
塔の中は暗い。
レイは小型の〈季素灯〉を点けた。
白い光が、黒鉄の主軸と歯車を照らす。
十二枚の月輪も、変わらず回っている。
「……正常」
「見ただけで分かるんです?」
「大体は」
「すごい」
「褒めても何も出ないぞ」
「普通に褒めただけです!」
レイは西側の壁へ向かった。
床には、昨日見つけた石粉がまだ残っている。
「変わってないですね」
「ああ」
壁を叩く。
――コン。
やはり向こう側は空洞だ。
「本当に何かあるんですね」
「空間はある」
「何が入ってるんでしょう」
「開ければ分かる」
「昨日は壊さないって言ったじゃないですか!?」
「だから開けない」
「びっくりした……」
レイは革鞄から細い銀色の棒を取り出した。
「それ、何です?」
「共鳴棒」
「何する道具?」
「物の中を伝わる振動を拾う」
「壁の向こうも?」
「ある程度なら」
棒の先端を石壁へ当てる。
少しずつ位置を変える。
石。
石。
石。
そして。
「……金属」
「中に?」
「ああ」
もう少し下。
「こっちにも」
「何です?」
「分からない」
「またそれ」
「便利な言葉だぞ」
「便利に使いすぎです!」
レイは共鳴棒を外した。
次に目を閉じる。
一月輪。
二月輪。
三月輪。
四月輪。
五月輪。
六月輪。
七月輪。
八月輪。
九月輪。
十月輪。
十一月輪。
十二月輪。
最後の響きが消える。
静寂。
――カァン。
「……来た」
「十三番目?」
「ああ」
フィアが壁を見る。
「この向こう?」
「違う」
「え?」
レイはさらに集中した。
音の方向。
壁。
その奥。
さらに。
下。
「もっと深い」
「地下?」
「ああ」
「季塔の地下って、何があるんです?」
「季脈から季素を汲み上げる導管。貯留槽。圧力調整室。保守坑道」
「それだけ?」
「図面上は」
「その言い方、もう全然安心できませんね」
「俺もそう思う」
その時。
カチ。
小さな音がした。
「……今の聞こえました?」
「ああ」
レイが顔を上げる。
月輪。
変化はない。
カチ。
もう一度。
「どこ?」
フィアが周囲を見回す。
カチ。
カチ。
カチ。
「上だ」
二人同時に見上げた。
十二月輪。
一番上部に近い位置を回っていた巨大な輪が。
ゆっくりと。
…‥止まった。




