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十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第1章 冬を失くした村

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第4話 夜の季塔

 話が一段落したところで、バルガスが窓の外を見た。


「……もうこんな時間か」


 外はすっかり暗くなっている。


 レイも窓へ目を向けた。


「宿屋、まだ開いてますか」


「開いてはいる」


 バルガスが少し困った顔をする。


「ただ、今は泊まれん」


「満室ですか?」


「半分正解だな。二階の床が傷んでて、昨日から客室を閉めてる。使える部屋は2つだけで、どっちも行商人が泊まってる」


「なるほど」


「だから今日はうちに泊まっていけ」


 レイがバルガスを見る。


「いいんですか?」


「客間が空いてる。こんな時間に村の外へ放り出したら、村長として寝覚めが悪い」


「今は村長代理、私だけどね!」


「お前は黙ってろ」


「なんで!?」


「あと、環暦士さんにはまだ聞きたいこともある」


「見習いですけど」


「仕事してくれるなら何級でも構わんよ」


 レイは少し考えた。


 最終列車はとっくに出ている。


 そもそも。


 図面にない空間。


 切り取られた6ページ。


 3年前、冬が消え始めた日に13回鳴った鐘。


 そして、自分にしか聞こえない十三番目の〈季音〉。


 こんなものを見つけた直後に村を離れる気など、最初からなかった。


「じゃあ、お言葉に甘えます」


「そうしろ」


「客間、片付けてきます!」


 フィアが立ち上がる。


 バルガスがその背中へ声を掛けた。


「フィア」


「なに?」


「昨日から置いてある箱、ちゃんとどけろよ」


 フィアの動きが止まった。


「…………」


「置いてあるんだな」


 レイが言う。


「今からどけます!!」


「客を泊める部屋を物置にするな」


「最近使ってなかったの!!」


 フィアがばたばたと廊下を走っていった。


 バルガスが小さくため息をつく。


「すまんな。あれでも村長代理なんだ」


「見てれば分かります」


「どっちの意味だ?」


「両方です」


 バルガスが笑った。


◆


「お風呂、先に入ってください!」


 客間から箱を抱えて出てきたフィアが言った。


「風呂?」


 その一言だけで、レイの足が止まる。


「沸いてますよ?」


「……入っていいのか?」


「もちろんですけど」


 レイはフィアを見た。


「フィア」


「はい?」


「お前、いい奴だな」


「そこで評価上がるんですか!?」


 列車、徒歩、季塔、村役場の倉庫、古い帳面。


 今日一日で、埃と油と土を随分被った。


 風呂に入れるなら、それだけでこの村に来た価値が少し上がる。


「そんなに入りたかったんです?」


「ああ」


「意外」


「俺を何だと思ってる」


「工具があれば3日くらいお風呂入らなくても平気な人」


「それは師匠だ」


「師匠さん何者なんですか!?」


「性格の悪い環暦士」


「そこしか教えてくれませんよね!!」


 しばらくして。


 レイは家の奥にある小さな浴室を借りていた。


 石造りの浴槽。


 立ちのぼる湯気。


 久しぶりに身体の芯まで温まる。


「…………生き返る」


 思わず声が出た。


 肩まで湯に沈む。


 右腕には細い切り傷。


 左の脇腹には、昔、季素管の破裂に巻き込まれた時の薄い火傷跡。


 背中にも小さな傷がいくつか残っている。


 環暦士は、机で図面を眺めるだけの仕事ではない。


 狭い塔の内部へ潜る。熱を持った導管へ手を突っ込む。錆びた足場を登る。


 時には、暴走した設備のすぐ横で作業することもある。


 20歳にしては、少し傷が多い。


『お前は避けるという発想を覚えろ』


 昔、グレンに言われたことがある。


「師匠にだけは言われたくなかったな……」


 レイは湯から上がった。


 濡れた髪を布で拭き、腰にも別の布を巻く。


 脱衣所の籠には、昼間まで着ていた濃紺の作業着が畳んで置いてあった。


「……これ、また着るしかないか」


 汗、油、塔の埃。


 せっかく風呂に入ったのに、これを着直せば気分は半分くらい元通りだ。


 だが、他に服はない。


 レイが作業着へ手を伸ばした、その時。


 がちゃ。


「レイさん、着替え持ってきましたー!」


 扉が開いた。


「…………」


「…………」


 レイ。


 フィア。


 目が合った。


 レイは上半身裸。


 片手は古い作業着へ伸ばしたまま。


 フィアの両腕には、綺麗に畳まれたシャツとズボン。


「…………」


 フィアの視線が。


 レイの顔から。


 肩へ。


 胸元へ。


 腹へ。


 そして。


 左脇腹の火傷跡で止まった。


「…………」


「フィア」


「はい」


「扉」


「はい」


「閉めてくれ」


「――っ!!」


 ばたん!!


「す、すみませんでした!!」


 扉の向こうから声が響いた。


 レイは数秒、閉じた扉を見つめた。


「……ノックしろよ」


「するの忘れたんです!!」


「そうか」


「なんでそんな冷静なんですか!?」


「叫べばいいのか?」


「それも違います!!」


 扉の前に着替えがそっと置かれた。


 レイはそれを拾い上げる。


 どうやらバルガスが若い頃に着ていた服らしい。


 少し大きい。


 だが、埃まみれの作業着を着直すよりは遥かにありがたかった。


「フィア」


「な、何ですか!?」


「服、助かる」


「……はい」


「ありがとう」


「…………」


 返事がない。


「フィア?」


「今、普通にお礼言うのやめてください!!」


「なんでだ」


「知りません!!」


 廊下の向こうで何かにぶつかる音がした。


「痛っ!」


「大丈夫か?」


「大丈夫です!!」


 どう考えても大丈夫ではなさそうだった。


 レイは新しいシャツへ腕を通す。


 その途中。


 扉の向こうから、小さな声がした。


「……レイさん」


「何だ」


「その……」


「うん」


「傷、多いんですね」


 レイの手が止まった。


 なるほど。


 見ていたのは、そこか。


「仕事してれば増える」


「痛そうでした」


「昔のだ」


「……そうですか」


「ああ」


 短い沈黙。


「あと」


「まだあるのか」


「ちゃんと身体、鍛えてるんですね」


「…………」


 今度はレイが黙った。


 扉の向こうも静かになる。


 数秒。


「いや違っ……!! 今のは忘れてください!!」


「無理だろ」


「忘れて!!」


「自分で言ったのに」


「お願いだから忘れてください!!」


 今度こそ、廊下を走っていく足音が遠ざかっていった。


 レイはシャツの釦を留めながら、小さく息を吐く。


「……面倒な娘だな」


 ただ。


 口元が少し緩んでいたことには、自分でも気づかなかった。


◆


 翌朝。


「レイさん!! 朝です!!」


「……聞こえてる」


「じゃあ起きてください!」


「起きてる」


「目、閉じてますけど!?」


「考え事してる」


「絶対寝てる!!」


 借りた客間の寝台で、レイは毛布を頭まで被った。


 昨夜、眠ったのはかなり遅い。


 十一月二十七日。


 13回鳴った鐘。


 図面に存在しない空間。


 抜き取られた6ページ。


 十三番目の季音。


 頭の中で何度並べ直しても、気持ちのいい答えにはならなかった。


「あと少し」


「駄目です!」


「5分」


「駄目!」


「厳しいな」


「……あと昨日のことは忘れてください!」


「無理だろ」


「そこは忘れて!!」


 毛布が勢いよく剥がされた。


「……寒い」


「冬が来てない村で何言ってるんですか!!」


 フィアは頬を赤くしたまま、毛布を抱えている。


 どうやら昨夜のことを思い出したらしい。


 レイは身体を起こした。


「お前こそ朝から顔赤いぞ」


「誰のせいですか!?」


「勝手に開けたのはお前だろ」


「もう言わないで!!」


 フィアは逃げるように部屋から出ていった。


 朝から騒がしい。


 だが、悪くない。


 そう思ったところで、レイは首を振った。


 仕事をしよう。


◆


「今日はどうするんだ?」


 朝食の席で、バルガスが聞いた。


 レイは黒パンを千切りながら答える。


「昼間にもう一度、塔と図面を照合します」


「夜も行くつもりか?」


「ああ」


 フィアがスープから顔を上げた。


「やっぱり夜なんです?」


「昨日、壁の中で音がしたのは夕方だった」


「たまたまかもしれませんよ?」


「だから同じ条件で確かめる」


「私も行きます」


「止めても来るだろ」


「もちろん!」


「じゃあ最初から聞くな」


「確認です!」


 バルガスが娘を見る。


「危ないことはするなよ」


「大丈夫!」


「その返事が一番信用ならん」


「お父さんまで!?」


 レイはスープを飲む。


「危険だと思ったら帰します」


「レイさんまで!?」


「俺は仕事だから残る」


「ずるい!!」


「環暦士だからな」


「見習いですよね?」


「そこだけ都合よく覚えてるな」


 バルガスが笑った。


「仲良くなったな、お前ら」


「なってません!!」


 フィアだけが即答した。


 レイは何も言わず、残りのパンを口へ入れた。


 反論するほどでもない。


◆


 昼間。


 レイは第四十一季塔の外周をもう一度測った。


 図面と実測。


 塔の直径。


 内部空間。


 外壁の厚さ。


 何度計算しても同じだった。


 例の西側だけ、説明できない空間がある。


 幅はおよそ1.7メートル。


 奥行きは少なくとも2メートル以上。


 しかも、下へ続いている可能性が高い。


「やっぱりあります?」


「ああ」


「図面が間違ってる?」


「それか、意図的に消されてる」


「どっちが嫌です?」


「後者」


「ですよね」


 昼間、壁は何も起こさなかった。


 十三番目の季音も聞こえない。


 まるで。


 夜を待っているように。


 そんな考えが浮かび、レイはすぐに捨てた。


 機械に意思はない。


 少なくとも。


 普通は。


◆


 夕暮れ。


 レイとフィアは再び第四十一季塔の前に立っていた。


 空には厚い雲。


 月は見えない。


 村の明かりも、丘の上まではほとんど届かない。


 塔の外側では4本の季環が回っている。


 春環。


 夏環。


 秋環。


 冬環。


 何事もなかったかのように。


「レイさん」


「何だ」


「昨日より怖くないです?」


「何が」


「雰囲気が!」


「暗いだけだろ」


「その暗いのが怖いんです!」


「帰るか?」


「帰りません!」


「じゃあ行くぞ」


「そういう言い方ずるい!」


 フィアが鍵を開けた。


 重い扉が軋む。


 塔の中は暗い。


 レイは小型の〈季素灯〉を点けた。


 白い光が、黒鉄の主軸と歯車を照らす。


 十二枚の月輪も、変わらず回っている。


「……正常」


「見ただけで分かるんです?」


「大体は」


「すごい」


「褒めても何も出ないぞ」


「普通に褒めただけです!」


 レイは西側の壁へ向かった。


 床には、昨日見つけた石粉がまだ残っている。


「変わってないですね」


「ああ」


 壁を叩く。


 ――コン。


 やはり向こう側は空洞だ。


「本当に何かあるんですね」


「空間はある」


「何が入ってるんでしょう」


「開ければ分かる」


「昨日は壊さないって言ったじゃないですか!?」


「だから開けない」


「びっくりした……」


 レイは革鞄から細い銀色の棒を取り出した。


「それ、何です?」


「共鳴棒」


「何する道具?」


「物の中を伝わる振動を拾う」


「壁の向こうも?」


「ある程度なら」


 棒の先端を石壁へ当てる。


 少しずつ位置を変える。


 石。


 石。


 石。


 そして。


「……金属」


「中に?」


「ああ」


 もう少し下。


「こっちにも」


「何です?」


「分からない」


「またそれ」


「便利な言葉だぞ」


「便利に使いすぎです!」


 レイは共鳴棒を外した。


 次に目を閉じる。


 一月輪。


 二月輪。


 三月輪。


 四月輪。


 五月輪。


 六月輪。


 七月輪。


 八月輪。


 九月輪。


 十月輪。


 十一月輪。


 十二月輪。


 最後の響きが消える。


 静寂。


 ――カァン。


「……来た」


「十三番目?」


「ああ」


 フィアが壁を見る。


「この向こう?」


「違う」


「え?」


 レイはさらに集中した。


 音の方向。


 壁。


 その奥。


 さらに。


 下。


「もっと深い」


「地下?」


「ああ」


「季塔の地下って、何があるんです?」


「季脈から季素を汲み上げる導管。貯留槽。圧力調整室。保守坑道」


「それだけ?」


「図面上は」


「その言い方、もう全然安心できませんね」


「俺もそう思う」


 その時。


 カチ。


 小さな音がした。


「……今の聞こえました?」


「ああ」


 レイが顔を上げる。


 月輪。


 変化はない。


 カチ。


 もう一度。


「どこ?」


 フィアが周囲を見回す。


 カチ。


 カチ。


 カチ。


「上だ」


 二人同時に見上げた。


 十二月輪。


 一番上部に近い位置を回っていた巨大な輪が。


 ゆっくりと。


 …‥止まった。

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