第3話 3年前の冬
――ゴン。
二人とも、しばらく動かなかった。
「……今の」
「ああ」
「聞こえましたよね?」
「ああ」
今度は〈季音〉ではない。
耳で聞こえる、普通の音だった。
しかも。
季塔の中から。
「行くぞ」
「えっ、今から!?」
「今だからだ」
「暗いですよ!?」
「音は暗くならない」
「そういう問題じゃないです!」
フィアの抗議を背中で聞きながら、レイは倉庫を出た。
「ちょ、待ってくださいって!!」
結局、フィアもついてきた。
◆
夜の第四十一季塔は、昼間とは別の建物に見えた。
丘の上。
巨大な石造りの塔。
外周を囲む4本の〈季環〉だけが淡い光を帯びながら、ゆっくりと回っている。
春。
夏。
秋。
冬。
季節を各地へ送り出すための巨大な機構。
そのうち冬環も、何事もなかったかのように正常な速度で回っていた。
「……動いてますね」
「ああ」
「村には冬、来てないのに」
「だから困ってる」
フィアが鍵を開ける。
重い扉を押し開けると、冷えた鉄と油の匂いが鼻についた。
レイは〈季素灯〉を点ける。
「さっきの音、どこからだと思います?」
「西側」
「やっぱり?」
「多分な」
「多分」
「断言して外すよりいいだろ」
「環暦士ってもっと何でも分かる人だと思ってました」
「幻想を壊して悪かったな」
二人は例の壁へ向かった。
昼間、図面との食い違いを見つけた場所。
厚さ約2メートル。
その向こうに、図面には存在しない空間がある。
レイが足を止めた。
「……フィア」
「はい?」
「灯り、下」
フィアが季素灯を下げる。
「あれ?」
壁の根元。
そこに、昼にはなかった白い粉が落ちていた。
石粉だ。
レイはしゃがみ込み、指先で触れる。
「新しい」
「分かるんです?」
「古ければ湿気を吸う。これは乾いてる」
さらに光を当てる。
床に薄い線があった。
半円を描くような擦り傷。
レイはその線を指でなぞった。
「……動いたな」
「何が?」
「壁」
「壁!?」
フィアの声が塔の中へ響いた。
「声」
「だって壁ですよ!?」
「分かってる」
「壁って動くんですか!?」
「普通は動かない」
「じゃあ普通じゃないじゃないですか!」
「最初から普通じゃない」
「それはそうですけど!」
レイは立ち上がる。
改めて壁を見る。
縦に伸びたわずかな色の違い。
昼間は補修跡だと思った。
だが。
もしこれが。
「……扉」
「え?」
「だった可能性がある」
フィアが黙った。
それから、ゆっくり壁を見る。
「こんな大きい扉が?」
「扉だったならな」
「開けられます?」
「やらない」
「即答」
「配管が通ってる可能性もある。何十年も封鎖されてたものを、見習いが勝手にこじ開けました、で済むと思うか?」
「済まなさそう」
「俺もそう思う」
レイは壁へ手を当てた。
目を閉じる。
塔の中に満ちる音を拾う。
一月。
二月。
三月。
十二枚の月輪。
主軸。
導管。
季脈から流れ込む季素。
規則正しい響き。
そして。
――カァン。
十三番目。
「……まただ」
「聞こえるんです?」
「ああ」
「どこから?」
レイは眉を寄せた。
昨日までとは少し違う。
壁の向こう。
ではない。
もっと。
下。
「地下だ」
「地下?」
「ああ」
音が沈んでいる。
塔の下。
図面よりさらに深い場所へ。
レイは目を開けた。
「一度戻る」
「開けないんです?」
「情報が足りない」
「珍しく慎重」
「俺を何だと思ってる」
「壁見つけたら壊す人」
「誰の影響だ、それ」
「たぶん師匠さん」
「否定しづらいな」
レイはもう一度、壁の根元を見る。
白い石粉。
円を描く擦り跡。
間違いなく何かが動いている。
それも。
今も。
◆
「お父さん、ただいまー!」
フィアの家は、村役場から歩いてすぐのところにあった。
石造りの小さな家。
中へ入ると、暖炉のそばに一人の男が座っていた。
「遅かったな」
「季塔見てた!」
「またか」
年齢は50歳前後だろう。
フィアと同じ栗色の髪には、ところどころ白いものが混じっている。
右脚には厚い布が巻かれ、椅子の横には使い込まれた杖が立て掛けてあった。
脚を悪くしているとはいえ、肩幅は広い。
腕も太い。
村長というより、今でも普通に畑へ出て土を掘っていそうな体格だった。
男の視線がレイへ向く。
「そちらが?」
「レイ・セインです。王立環暦局から来ました」
「バルガス・ベルンだ。この村の村長をやってる」
バルガスは右脚を軽く叩いた。
「まあ、今はこいつに仕事を取られてるがな」
「取ったんじゃないよ! お父さんが脚悪くしたからでしょ!」
「結果は同じだ」
「違う!!」
バルガスが笑う。
「それで、環暦士さん?」
「一応」
横からフィアが口を挟んだ。
「見習いだけどね!」
「余計な情報を足すな」
「大事でしょ!」
バルガスがもう一度笑った。
「フィアが初日からこれだけ喋るなら、悪い人じゃなさそうだ」
「判断基準それでいいんですか」
「うちの娘、人を見る目はそこそこある」
「そこそこ!?」
「完璧とは言ってない」
「お父さん!!」
似た者親子だ。
レイはそう思ったが、口には出さなかった。
「脚は?」
レイが聞く。
「これか?」
バルガスが右脚を見る。
「昔やった傷をちょっとな。最近また悪くして、長く歩くのがきつくなった」
「季節がおかしくなってから?」
「いや。それより前からだ。何でも季塔のせいにする気はない」
「ならよかった」
「何がだ?」
「原因を増やされたくない」
バルガスが一瞬きょとんとして、それから笑った。
「なるほど。技師ってのは大変だな」
「見習いですけど」
「そこは自分で言うんだな」
フィアが笑った。
「それでお父さん。3年前の記録、もう一回見せて」
「また見るのか?」
「レイさんが、最初に冬がおかしくなった時のことを調べたいって」
バルガスの表情が少し変わった。
「……3年前か」
レイはその変化を見逃さなかった。
「何かあります?」
「いや」
バルガスは杖を取る。
「記録なら奥だ。持ってくる」
「私が取るよ」
「場所分かるのか?」
「分かるって!」
「この前、井戸掃除の日付を2つ入れた奴が?」
「あれは間違えただけ!!」
「だから聞いてる」
「もう!」
フィアが奥へ走っていく。
バルガスがため息をついた。
「村長代理になってから張り切りすぎてな」
「意外です」
「何が?」
「もっと完璧にやってるのかと」
「そんなわけないだろ」
奥から声が飛んできた。
「聞こえてるからね!!」
「耳だけはいい」
「お父さん!!」
レイは少し笑った。
やがて机の上に、何冊もの記録帳が積まれた。
気温。
作物。
井戸の水位。
家畜の状態。
雪。
霜。
村で起きた細かな出来事。
バルガスが村長だった頃から続けてきた記録を、今はフィアが引き継いでいるらしい。
「3年前なら、これだ」
バルガスが一冊を開いた。
レイは頁を追う。
十一月二十四日。
十一月二十五日。
十一月二十六日。
異常なし。
そして。
十一月二十七日。
「……ここだ」
「何かありました?」
フィアが覗き込む。
気温上昇。
霜消失。
冬豆の発芽。
虫の活動再開。
冬の季素量だけが、急激に落ちている。
「十一月二十七日を境に変わってる」
「その日だったのか」
バルガスが呟く。
「覚えてるんですか?」
「そりゃ覚えてる。朝起きたら妙に暖かかったからな」
レイは次の年の帳面を開く。
「……同じだ」
「え?」
十一月二十七日。
冬の出力低下。
さらに翌年。
「こっちも」
「同じ日……?」
「ああ」
そして今年。
十一月二十七日。
また。
同じ地点で、冬が弱くなっていた。
偶然。
そう呼ぶには、揃いすぎている。
「毎年……?」
フィアの声が小さくなる。
「3年前から毎年、十一月二十七日を境に冬が弱くなってる」
「でも、季塔の点検では正常だったんですよね?」
「ああ」
レイは帳面を見つめる。
季塔は正常。
村の記録も嘘ではない。
なら。
どこかに、まだ見えていない仕組みがある。
「バルガスさん」
「なんだ?」
「最初の年。その日に何か変わったことは?」
「変わったこと……」
バルガスが腕を組む。
しばらく黙る。
「大したことじゃないと思ってたんだが」
「何でもいいです」
「朝鐘だ」
レイの指が止まった。
「朝鐘?」
「ああ」
バルガスが窓の外。
丘の上の季塔を見る。
「13回鳴った」
部屋が静かになった。
「……何回?」
「13回だ」
レイは聞き返さなかった。
聞き間違いではない。
バルガスは続ける。
「普段は12回だろ。だから変だとは思った。村の連中とも話したから、俺一人の勘違いじゃない」
「それ、報告しました?」
「した」
「どこへ?」
「環暦局だ」
レイの視線が鋭くなる。
「報告書に書いたんですか?」
「ああ。冬が急に弱くなったことと一緒にな」
おかしい。
レイが受け取った資料に、そんな記載はなかった。
それどころか。
今回渡された指令書には、異常が確認されたのは昨年からと書かれていた。
「その報告、毎年?」
「出したぞ。3回」
「控えは?」
「ある」
バルガスが棚を指した。
フィアがすぐに立ち上がる。
「取ってくる!」
ほどなくして、綴じられた紙束が机へ置かれた。
レイは読む。
確かに。
3年前。
冬季出力の異常。
そして。
【朝鐘、通常12回のところ13回を確認】
書いてある。
「……消えてる」
「え?」
「俺が支局でもらった資料には、この記述がない」
フィアの顔から笑みが消えた。
「どういうことです?」
「分からない」
「誰かが消したってこと?」
「怪しいのと、決めつけるのは別だ」
「でも」
「写し間違い。整理の過程で省略。別部署に送られた。可能性はいくらでもある」
「じゃあ偶然かも?」
「それもまだ分からない」
レイは報告書へ目を落とす。
図面から消えた空間。
切り取られた6ページ。
支局の資料から消えた、3年前の記録。
そして。
十三番目の鐘。
偶然。
偶然。
偶然。
偶然という言葉は便利だ。
便利すぎる言葉は、あまり信用したくない。
「十一月二十七日……」
レイが呟く。
「何の日なんでしょう」
フィアが聞く。
「知らない」
「暦の上で何かあるとか?」
「ない。少なくとも今の暦では」
今の暦では。
自分で口にして。
妙な引っ掛かりを覚えた。
その瞬間。
――カァン。
音がした。
レイだけが顔を上げる。
「レイさん?」
「……まただ」
「十三番目?」
「ああ」
遠い。
季塔の方角。
けれど昨日より。
少しだけ。
深い場所から響いている気がした。
レイは机の上を見る。
十一月二十七日。
13回鳴った鐘。
十三番目の〈季音〉。
それらが偶然同じ場所に並んでいるとは。
もう、あまり思えなかった。




