第2話 図面にない場所
――カァン。
十三番目の音が、さっきよりも近くで鳴った。
レイは動かなかった。
「……レイさん?」
フィアの声にも答えず、耳を澄ませる。
十二枚の月輪は変わらず回っている。
一月輪。
二月輪。
三月輪。
どれも正常。
歯車の噛み合わせにも、導管を流れる季素にも、不自然な乱れはない。
それなのに。
確かに聞こえた。
十二の先。
本来なら何もないはずの場所から。
十三番目の〈季音〉が。
「フィア」
「はい?」
「動くな」
「え」
「そのまま」
「え!? 何かいます!?」
「分からない」
「分からないのに動いちゃ駄目なんですか!?」
「今、お前が立ってる場所を基準にする」
「先に言ってください!!」
フィアがぴたりと動きを止めた。
両腕まで不自然に広げている。
「そこまで固まらなくていい」
「動くなって言ったのレイさんですよね!?」
「足だけでいい」
「もう!!」
文句を言いながらも、フィアはその場に残った。
レイは革鞄から細い金属棒を取り出す。
先端に小さな円盤がついた測距棒だ。
床へ当てる。
「そこから主軸まで、何歩だった?」
「え?」
「入ってきてから」
「覚えてませんよ!」
「だよな」
「なんで聞いたんですか!?」
「一応」
レイは測距棒を伸ばした。
かち、かち、と内部の歯が噛み合う。
フィアの足元。
主軸。
壁。
それぞれの距離を測る。
「……17.4」
「何がです?」
「入口から主軸の中心まで」
反対側へ移る。
「16.8」
「違うんですか?」
「ああ」
「それくらいなら、塔が少し歪んでるとか?」
レイは振り返った。
「いいところを見るな」
「今度は本当に褒めました?」
「多分」
「また多分!!」
塔の外側は完全な円ではない。
長い年月の沈下や補修で、多少の歪みは生まれる。
それ自体は珍しくなかった。
問題は。
「外から見た塔の直径は?」
「知りません!」
「だよな」
「今度こそ何で聞いたんですか!?」
「期待した」
「何を!?」
レイは返事をせず、革鞄から折り畳まれた紙束を取り出した。
今回の点検指令と一緒に渡された第四十一季塔の現行図面。
床へ広げる。
フィアも覗き込んだ。
「これが季塔の中?」
「ああ」
「……全然分からない」
「安心しろ。俺も最初はそうだった」
「レイさんにも分からない時期あったんですね」
「人を何だと思ってる」
「工具を他人に触らせない人」
「それは合ってる」
レイは図面へ指を走らせた。
中央主軸。
十二枚の月輪。
4本の主導管。
外壁。
保守通路。
現在地。
「ここだ」
指先で一点を叩く。
「この壁の向こうは?」
フィアが図面を見る。
「……何もない?」
「ああ」
「外?」
「いや」
レイは首を横に振る。
「図面通りなら、壁の向こうにまだ2メートル以上ある」
「2メートル?」
「塔の外壁までな」
「じゃあ、その間は?」
「何もない」
「空洞?」
「図面上では空洞ですらない」
フィアが眉を寄せる。
「それ、どういう意味です?」
「俺が聞きたい」
図面では、その場所はただ厚い石壁として描かれていた。
だが、季塔の建造物として考えれば妙だ。
壁を2メートル以上も分厚くする理由がない。
レイは立ち上がった。
「フィア。ちょっと耳塞げ」
「え?」
「いいから」
「はい」
フィアが両耳を塞ぐ。
レイは測距棒の先端を壁へ当てた。
こん。
乾いた音。
場所を変える。
こん。
さらに横。
こん。
もう少し。
――コン。
レイの手が止まった。
「今の……」
フィアが耳から手を離す。
「音、違いましたよね?」
「ああ」
最初の3箇所は石の詰まった音。
最後だけ違った。
薄い。
向こう側に空間がある。
レイはもう一度叩く。
――コン。
「空洞だ」
「図面にはないのに?」
「ああ」
「……それって結構まずくないです?」
「かなり」
「もっと焦ってくださいよ!」
「焦ってる」
「全然見えない!」
「顔に出ない方なんだ」
「最初に私の顔を読んでた人が言います!?」
レイは聞き流した。
壁を指先でなぞる。
古い石。
目地。
補修跡。
何度か塗り直された保護材。
そして。
「……ここだけ新しい」
「どこです?」
フィアが近づいてくる。
「この縦の線」
「線?」
「補修材の色が違う」
言われて初めて気づいたのだろう。
フィアが顔を近づけた。
「……ほんとだ」
床から天井へ、ほとんど分からないほど薄い境目が伸びている。
レイは反対側も探した。
あった。
同じ線。
「幅、1.7メートル」
「扉?」
「だったものかもしれない」
「だったもの?」
「埋められてる」
「誰が?」
「知らない」
「いつ?」
「知らない」
「なんで?」
「知らない」
「何も分からないじゃないですか!!」
「だから調べてる」
「ぐっ……」
フィアが言い返せずに唸った。
レイは少しだけ口元を緩める。
「今のは俺の勝ちだな」
「何の勝負です!?」
こういうところは、案外素直だ。
レイは図面へ戻った。
「少なくとも、現行図面を作った時点では埋まってた」
「現行?」
「ああ。この図面は……」
端にある記載を見る。
【第四十一季塔・第七次改修後構造図】
「第七次改修後」
フィアが読み上げる。
「改修って、直したってことですよね?」
「直すだけじゃない。部品交換、構造変更、増築、封鎖。まとめて改修と呼ぶ」
「じゃあ、この壁もその時に?」
「可能性はある」
「第七次改修って、いつです?」
レイは図面の下部を見る。
日付。
「……78年前」
「古っ!」
「季塔としては普通だ」
「78年前が普通なんですか!?」
「こいつら、平気で数百年働くからな」
レイは壁を軽く叩いた。
「人間よりよっぽど丈夫だ」
「ちょっと羨ましいですね」
「俺は嫌だな」
「なんでです?」
「数百年も働きたくない」
フィアが吹き出した。
「そこなんだ!」
レイは図面を畳み始める。
「今日はここまでにする」
「え!? 開けないんですか?」
「開けない」
「こんな怪しい壁見つけたのに!?」
「だからだ」
「……?」
フィアが首を傾げる。
「図面にない空間。埋められた扉。そこから聞こえる正体不明の季音」
指を1本ずつ立てる。
「しかも塔そのものは正常に動いてる」
「はい」
「ここで壁ぶち抜いて、季塔まで止めたら?」
「……村のみんなに怒られます」
「俺は環暦局にも怒られる」
「そっちが本音?」
「両方本音だ」
環暦士には権限がある。
だが、何をしてもいいわけではない。
ましてレイは【第三級環暦士・実務生】。
点検。
軽微な修繕。
部品交換。
その程度なら現場判断で行える。
だが、季塔本体の構造を変えるような作業には、上位環暦士の承認が必要だった。
「勝手に壁を壊して、後ろが主季素管でした、じゃ笑えない」
「でも図面には何もないんですよね?」
「だから図面が間違ってる可能性も考える」
「なるほど……」
「まず記録だ」
「記録?」
「この塔の改修記録。補修記録。昔の図面。残ってるもの全部」
「環暦局にはないんですか?」
「あるはずだ」
レイは少し間を置いた。
「あるはずなんだけどな」
「……また嫌な言い方しましたね」
「3年前の報告が1年分に減ってる組織を、今すぐ全面的に信用しろって方が難しい」
「あ」
フィアの顔から笑みが消えた。
レイも冗談をやめる。
「村にも記録があるって言ってたな」
「あります。季塔関係も探せばあると思います」
「どれくらい古い?」
「分かりません。倉庫に父の代より前の帳面がいっぱいあるので」
「見たい」
「今から?」
「ああ」
フィアが壁を見た。
「こっちは?」
「逃げないだろ」
――カァン。
二人とも黙った。
いや。
フィアには聞こえていない。
黙ったのはレイだけだった。
「……レイさん?」
「何でもない」
「その顔で?」
「何でもない」
「絶対何かありますよね?」
「ある」
「あるんじゃないですか!!」
レイは工具を鞄へ戻した。
共鳴棒。
位相盤。
季素針。
環圧計。
全部所定の位置に収める。
最後に壁を見る。
その向こうから、十三番目の音はもう聞こえなかった。
だが。
いる。
何かが。
そこに。
◆
リュネ村の役場は、役場というより少し大きな民家だった。
「ここ?」
「ここです!」
「看板は?」
「去年の嵐で飛びました」
「直せよ」
「冬が来ない方が先です!!」
「それはそう」
反論できない。
石造りの一階部分と、木造の二階。
入口の横には掲示板があり、収穫予定や井戸掃除の日程が紙で貼られている。
中へ入ると、小さな執務机が3つ。
壁には村周辺の地図。
奥には大量の棚。
そして。
「……あれ全部?」
「記録です」
レイは少し嬉しくなった。
「いい村だな」
「そこ!?」
「記録を残す村はいい村だ」
「基準が変ですよ」
「技師は記録に助けられて、記録不足に殺される」
「急に怖いこと言わないでください」
フィアは奥の扉を開けた。
「こっちが古い帳面です」
埃っぽい匂いが流れてくる。
小さな倉庫。
左右の棚には、革紐で束ねられた帳面や巻紙がぎっしり詰められている。
「父が捨てるなって言うんです。古い記録も、そのうち役に立つからって」
「父親、正しいな」
「本人に言ったら喜びますよ」
「本人には言わない」
「なんで!?」
「調子に乗るかもしれない」
「まだ会ってもないでしょう!!」
フィアが呆れながら棚を探す。
「季塔、季塔……あ、これかな」
1冊引き抜いた瞬間。
「わっ!」
上に積まれていた帳面が崩れた。
「動くな」
「はい!?」
レイは反射的に手を伸ばす。
1冊。
2冊。
3冊。
胸と腕で受け止める。
最後の1冊だけがフィアの頭へ落ちた。
「いたっ!」
「惜しい」
「何がですか!!」
「全部取れたと思った」
「私の頭で1冊止まってます!」
「丈夫そうでよかった」
「褒めてませんよね!?」
「多分」
「またそれ!!」
床に積み直す。
フィアが頭をさすりながら睨んでいた。
レイは気にせず、帳面の背を確認する。
【第四十一季塔 村側保守記録】
「これだ」
「ほんとに?」
「ああ」
「私の頭に落ちたやつですけど」
「役に立ったな」
「どういう意味ですか!?」
机へ運ぶ。
1冊目を開く。
紙は黄色く変色している。
文字も古い。
「読めます?」
「専門用語以外なら」
「専門用語の方が大事じゃないですか?」
「古い環暦士は字が汚いんだ」
「関係ある!?」
「かなり」
実際、ひどい。
レイは目を細めた。
【冬環軸受交換】
【西側季素管漏出補修】
【六月輪位相再調整】
細かな修繕記録が続いている。
年代を遡る。
「これ、何年前です?」
「43年前」
「その頃からあるんだ……」
「もっと古い」
次の帳面。
51年前。
62年前。
74年前。
「第七次改修」
レイの指が止まった。
「ありました!?」
「年代は合ってる」
二人でページを追う。
【第四十一季塔 第七次改修】
その下。
工期。
担当環暦士。
交換部品。
施工箇所。
細かく記録されている。
「壁は?」
「待て」
ページをめくる。
次。
次。
さらに次。
「……ない」
「何が?」
「西側内部の記録だけない」
「え?」
もう一度確認する。
東。
北。
南。
主軸。
地下導管。
外環。
記録はある。
西側。
ちょうど、さっきの壁がある方向だけ。
何も書かれていない。
「書き忘れ?」
「改修工事で?」
「……ないですか?」
「可能性はゼロじゃない」
レイは次のページへ進んだ。
そこで止まった。
「フィア」
「はい?」
「これ、見ろ」
ページ番号。
百四十二。
その次。
百四十九。
「……飛んでる」
「ああ」
百四十三から百四十八。
6ページ。
なくなっている。
「破れたんじゃないんですか?」
「違う」
帳面を横から見る。
「切られてる」
「切られてる?」
「ほら」
綴じ目の近く。
紙の切れ端が、細く残っている。
破れたなら不揃いになる。
だがこれは違う。
刃物か何かで。
根元から。
丁寧に。
6ページだけ抜かれていた。
「誰かが……?」
「そう見える」
「何のために?」
「知らない」
「またそれ」
「便利だろ」
「全然嬉しくないです!」
レイは切断面を指でなぞった。
古い。
最近抜かれたものではない。
少なくとも何十年も前。
「第七次改修の時に抜かれたのかな」
フィアが呟いた。
「それも分からない」
「でも、このなくなったところに壁のことが書いてあったら……」
「ああ」
偶然にしては、出来すぎている。
図面にない空間。
埋められたように見える扉。
欠けた改修記録。
そして。
十三番目の季音。
「レイさん」
「何だ?」
「これ……本当にただの故障なんですか?」
レイは答えようとして。
やめた。
軽微な冬季出力低下。
最初に見た報告書の一文が頭に浮かぶ。
「少なくとも」
帳面を閉じる。
「俺が聞かされてた話とは、だいぶ違うな」
その時だった。
――ゴン。
二人とも顔を上げた。
「今の何です?」
フィアにも聞こえた。
レイは立ち上がる。
「外か?」
「裏……?」
――ゴン。
低い。
鐘じゃない。
何か重たいものが、石を叩いたような音。
フィアが窓へ駆け寄る。
「季塔の方です!」
レイも窓を見る。
夕暮れの向こう。
丘に立つ第四十一季塔。
外側の4本の季環は、変わらずゆっくり回っている。
異常はない。
そのはずだった。
――ゴン。
3度目。
レイの背筋に冷たいものが走る。
「……違う」
「え?」
「外じゃない」
音を聞く。
方向。
距離。
石を伝っている。
「じゃあ、どこから?」
レイは季塔を見た。
昼間。
図面に存在しない壁の前。
あの場所を思い出す。
「塔の中だ」
「中!?」
――ゴン。
今度は、少し長い。
ゴ……ゴゴ……。
何かが。
擦れている。
何十年も。
何百年も。
動かなかったものが。
ゆっくりと。
動き始めるような音だった。
レイは机の上の古い帳面を見る。
切り取られた6ページ。
そして季塔を見る。
「フィア」
「はい!」
「鍵持ってるな?」
「あります!」
「行くぞ」
「今から!?」
「ああ」
「もう暗くなりますよ!」
「知ってる」
「塔の中、絶対怖いやつですよ!?」
レイは革鞄を肩へ掛けた。
「安心しろ」
「何か対策あるんですか?」
「ない」
「何も安心できない!!」
レイは扉を開けた。
冷たいはずのない十二月の風が、頬を撫でる。
丘の上。
季塔の奥で。
――ゴゴゴ……。
何かが、動いていた。




