↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第2章 春を急ぐ街

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/33

第27話 沈む道

 東湿原へ続く道は、街を出てすぐに泥へ変わった。


 馬が一歩進むたび、ぬかるんだ地面から水が跳ねる。


 昨日までここは雪道だったらしい。


 今は道端の雪が崩れ、その隙間から若草まで顔を出している。


 冬物の外套を着たまま春の泥を浴びるというのは、どうにも季節に馬鹿にされている気分だった。


「速度を落としてください」


 前を行くリディアが振り返らずに言った。


「落としてる」


「今の場所、馬の脚が二度滑りました」


「見てたの?」


「聞いていました」


 レイは少しだけ眉を寄せた。


 季音を聞く自分が言うのも何だが、この女も妙なところを拾う。


 腰には測定器が三つ。走りながらでも周囲を確認し、伝令から道の状態を聞き、ついでにこちらの馬の足運びまで数えている。


 歩く計器か。


 本人に言えば、たぶん否定する前に「計器は歩きません」と訂正される。


 言わない方がいい、面倒だから。


「この先です!」


 先導する伝令の男が叫んだ。


 街道が少し下り、その向こうで景色が開ける。


 東湿原だった。


 夏なら草と泥と浅い水が広がる土地らしいが、今は白と茶色が入り混じっている。


 遠くでは雪が残っている。


 その手前には黒い水が顔を出し、さらに近くには薄い氷が陽を反射していた。


 そして湿原の中央を一本の道が横切っている。


 道といっても石畳ではない。


 凍った湿地そのものだ。


 冬の間だけ現れる〈氷路〉。


 何十台もの荷馬車がそこを通り、北と南を結ぶ。


 今、その道が溶け始めていた。


「……あれか」


 レイが目を細める。


 数百メートル先。


 荷馬車が何台も連なって止まっている。


 先頭の一台は大きく傾き、右側の車輪が氷を突き破っていた。


 人が動いている。


 馬もいる。


 少なくとも、まだ全員が沈んだわけではない。


 そう思った瞬間、嫌な音がした。


 ミシィ――。


 遠くからでも聞こえた。


 氷の割れる音。


「急ぎます」


 リディアが馬を進める。


「落ちるなよ」


「誰に言っています?」


「俺含め全員」


 自分が一番怪しい気もする。


 昨夜2時間しか寝ていない上に、朝から馬に揺られ、そのまま春に溶かされた湿原へ突入。


 順調だ。


 何がとは言わない。


◆


 氷路の入口には、背丈ほどの黒い杭が立っていた。


 黒柳の杭。


 ドミトの地図にあった目印だ。


 そこから先へ馬を入れることはできなかった。


 伝令と救助隊の男たちが馬を繋ぎ、そりと長い板を降ろす。


 レイも地面へ降りた。


 足元が嫌な柔らかさをしている。


「ここはまだ凍っています」


 リディアがしゃがみ、氷へ細い測定棒を差した。


「厚さ42センチ。上層の7センチが融解中」


「十分?」


「人が歩くだけなら」


「荷馬車は?」


「場所によります」


 つまり信用するな、ということだ。


 分かりやすい。


 レイは黒柳の杭へ手を当てる。


 冷たい金属。


 耳を澄ませた。


 地面の奥に〈季音〉がある。


 冬だ。


 細い。


 弱い。


 それでも確かに、湿原の下を冬季脈が走っている。


「生きてる」


「凍結杭ですか?」


「ああ」


 リディアがすぐに杭の根元を調べ始める。


 古い蓋を開くと、内部に簡素な流量器があった。


「現在出力、平常冬季の18パーセント」


「低いな」


「第四十八季塔側で絞られている可能性があります」


「春に食われてる?」


「表現は雑ですが、可能性はあります」


「雑って言わなくてもよくない?」


「正確ではありませんから」


 やっぱり歩く計器だ。


「黒柳から先にも杭は?」


 レイが伝令へ聞く。


「あります! 昔は200メートルごとに立ってました!」


「今も?」


「残ってるはずです!」


「使ってる?」


「北側の区間だけです。こっちは何年も触ってません!」


 嫌な情報だった。


 何年も触っていない設備を、今日いきなり人命救助に使う。


 環暦士になってから、こういうものを何度見ただろう。


 たぶん今後もっと見る。


 嬉しくない成長予測だった。


「行くぞ」


 レイが板を持つ。


「待ってください」


 リディアが止めた。


「何」


「私が先です」


「なんで」


「あなたは季音を聞くことに集中すると足元を見なくなる」


「ならない」


 言った直後、一歩目で泥に靴が沈んだ。


 リディアが無言で見る。


「……今のは道が悪い」


「そうですね」


 絶対信用していない。


◆


 氷路は、近くで見ると想像以上に危なかった。


 表面には細い亀裂が走り、その隙間から水が染み出している。


 冬の氷の上に、春の水が乗っている。


 板を敷き、体重を分散させながら進む。


 そりには縄、工具、簡易担架。


 伝令を含め、救助に向かうのは6人だった。


 レイ。


 リディア。


 街道管理所から来た3人。


 そして伝令。


 200メートルほど進んだところで、二本目の凍結杭が見つかった。


 半分ほど氷に埋もれている。


「止まって」


 レイが手を上げた。


 杭に触れる。


 耳を澄ます。


「こっちはほとんど鳴ってない」


 リディアが計測する。


「出力3パーセント」


「次は?」


「確認するしかありません」


 また進む。


 三本目。


 ゼロ。


 四本目。


 7パーセント。


「バラバラだな」


「系統そのものが不安定です」


「これで氷路保ってたの?」


「本来は第四十八季塔から冬季素が供給されていたはずです。杭は補助でしょう」


 なるほど。


 普段は塔そのものが湿原を凍らせる。


 足りない場所だけ、この杭で支える。


 ところが今は塔が春を押し出している。


 補助設備もろとも弱っている。


 嫌になるほど筋が通っていた。


 すると遠くから声がした。


 止まっていた荷馬車の集団が見える。


「環暦士か!」


「こっちだ!」


 人々が手を振っている。


 その直後。


 パキン。


 今度は近い。


「動くな!」


 リディアの声が飛ぶ。


 全員が止まった。


 レイの右足の30センチ先。


 氷に細く長い新しい亀裂が伸びている。


 氷の下には黒い水が見えた。


 今落ちたらどうなる。


 まず冷たい。


 次に沈む。


 その後はたぶん報告書を書かなくて済む。


 ……いや、それを利点に数えるのはさすがに疲れている。


「右へ体重を移してください」


 リディアが低い声で言う。


 レイは言われた通り動く。


 板の上へ重心を移す。


 亀裂が止まる。


「よし」


「寝不足で湿原に落ちるところだった」


「寝不足は関係ないでしょう」


「気持ちの問題」


「今夜は寝てください」


「グレンと同じこと言うなよ」


「グレン一級環暦士が正しいので」


 味方がいない。


◆


 取り残された隊は、想像以上に追い詰められていた。


 先頭の荷馬車は右車輪だけでなく荷台の半分まで沈み、その重みで周囲の氷を割っている。


 馬はすでに外されていた。


 そのうち一頭が脚を傷め、横になっている。


「怪我人は!」


 レイが声を張る。


「こっちだ!」


 荷馬車の裏。


 男が一人、倒れていた。


 右脚が車体の木枠と氷の間に挟まれている。


 出血は多くない。


「いつから?」


「30分くらい前だ!」


「意識は?」


「ある!」


「聞こえてるぞ!」


 挟まれた本人が怒鳴った。


 元気はある。


 ありがたい。


「よかった」


「何がだ!」


「返事できるならまだ大丈夫」


 隣でリディアが息を吐いた。


「会話していないで確認してください」


「してるよ」


「どこがです?」


 レイは男の脚を見る。


 車体を持ち上げれば抜ける。


 問題は、その瞬間に荷馬車全体が沈む可能性があることだ。


「荷物、何?」


「鉱石だ」


 御者らしい男が答える。


「何トン?」


「4トン近い」


「捨てよう」


「は?」


「荷物」


 御者の顔色が変わった。


「待て! これがいくらすると思ってる!」


「知らない」


「今年一番の積み荷だぞ!」


「じゃあ高いんだな」


「そうだ!」


「でも人より重い」


 レイは荷台を見る。


「全部降ろす」


「ふざけるな!」


 男が詰め寄ろうとする。


 リディアが間に入った。


「現状、積載状態での救助は不可能です」


「何とかしろ!」


「何とかするために降ろします」


「金が――」


「沈めば荷馬車ごと失います」


 リディアは淡々としている。


「加えて負傷者一名、救助者複数が巻き込まれる可能性があります。積み荷を残す合理的理由がありません」


 御者は言葉を失った。


 レイは少しだけ感心した。


 自分なら「人がいるから」で終わる。


 リディアは損得まで数字にして逃げ道を潰す。


 相性がいいのかもしれない。


 認めるのは癪だが。


「降ろすぞ!」


 街道管理所の男が叫んだ。


 全員で荷台へ取りつく。


 鉱石の袋を一つずつそりへ移し、比較的安全な氷の上へ滑らせる。


 全部は助けられない。


 途中から袋を開き、中身を氷の上へ捨てた。


 重い石が転がる。


 御者は苦い顔をしている。


 だが止めなかった。


 半分ほど降ろしたところで、荷車が少し浮いた。


「まだです」


 リディアが氷を測る。


「このまま持ち上げれば、周囲が割れます」


「凍結杭使う」


 レイが言う。


「一気に流すのは駄目です」


「分かってる」


「本当に?」


「信用ないな」


「出会って半日です」


「正論やめて」


 レイは最も近い凍結杭へ向かう。


 隊の横、20メートルほど離れた場所に古い杭が一本残っていた。


 手を触れる。


 音がある。


 弱い。


 だが死んでいない。


「リディア」


「はい」


「塔側から冬を入れてもらう。グレンに連絡できる?」


「携帯通信器は届きません。中継杭があれば」


「それ」


 レイが凍結杭を見る。


「通信も兼ねてない?」


 リディアが蓋を開く。


 内部を見る。


「……旧式の季脈信号線があります」


「使える?」


「確認します」


 工具を出す手が速い。


 これまでのフィアやロウとは違う。


 説明する前に、必要な場所へ手が動く。


 専門家同士で仕事をするというのは、こういう感じなのか。


 少し楽だ。


 その代わり気が抜けない。


 たぶん自分が変なことをすれば、一秒で指摘される。


「接続しました」


「早」


「普通です」


 腹が立つ言い方だった。


 リディアが簡易信号器を繋ぎ、第四十八季塔へ短い通信を送る。


【黒柳南二キロ】

【旧凍結杭生存】

【冬季素微量供給要請】

【段階投入】


 数秒。


 返答が来る。


【了解】


「グレン、塔に着いたみたい」


「では始めます」


「待って」


 レイは杭へ両手を当てる。


 耳を澄ませる。


 遠く。


 第四十八季塔。


 そこから伸びる冬季脈。


 細い。


 春の音に押されている。


「来る」


 ゴォ……。


 杭の下で音が変わった。


 冬季素が流れ込む。


「流量12パーセント」


「そのまま」


「氷温低下、毎分0.3度」


「速い?」


「表層だけなら許容範囲です」


「じゃあ次の杭」


「ここだけでいいのでは?」


「一か所に集めたくない」


 レイは周囲へ耳を澄ませる。


「氷の下で音が逃げてる。三本に分けた方がいい」


 リディアは一瞬考えた。


「荷重を分散させる?」


「たぶん」


「たぶん?」


「聞こえ方では」


「……分かりました。数値はこちらで見ます」


 否定しなかった。


 それが少し意外だった。


 二本目。


 三本目。


 古い凍結杭へ順に冬季素を流す。


 一度に強くは入れない。


 少量ずつ。


 氷全体を凍らせるのではなく、荷馬車の周囲だけを少しずつ固める。


「一番、8パーセントまで下げて」


「理由は」


「音が硬い」


「意味が分かりません」


「俺も説明できない」


「では数値を見ます」


 リディアが測定器を確認する。


「……確かに温度低下が速い。6パーセントまで落とします」


「助かる」


「そのために来ています」


 それから20分。


 冬季素を上げては下げる。


 リディアが氷厚と温度を読み、レイが下の音を聞く。


 どちらか一つだけでは足りなかった。


「今なら?」


「荷馬車右側、支持力が約1.7倍。まだ余裕はありません」


「人だけ先に抜く」


「同意します」


 縄を掛ける。


 荷馬車の車体へ支点を作り、全員で少しだけ持ち上げる。


「せーの!」


 木が軋む。


 男が叫ぶ。


「抜けた!」


 脚が外れる。


 担架へ乗せる。


 その直後。


 バキッ!!


「離れろ!」


 荷馬車の前部が沈んだ。


 氷が割れる。


 黒い水が噴き上がった。


 レイの足元まで亀裂が走る。


「レイ!」


 リディアの声。


 身体が傾く。


 右足が氷を突き抜けた。


「っ!」


 冷たい。


 考えるより先に、腕を掴まれた。


 リディアだった。


「板へ!」


「分かってる!」


「分かってる人は落ちません!」


「今それ言う!?」


 二人で板の上へ倒れ込む。


 レイの右脚は膝まで濡れていた。


 痛いほど冷たい。


 だが抜けた。


 背後で、荷馬車がさらに沈む。


 荷台に残っていた鉱石ごと、ゆっくり水へ傾いていく。


 御者が顔を歪めた。


 それでも誰も荷馬車へ戻らなかった。


「人は!」


 レイが叫ぶ。


「17人、全員います!」


「馬!」


「8頭! 一頭は――」


 言葉が止まる。


 傷を負っていた一頭が、割れた氷の向こう側にいる。


 起き上がれない。


 水が近づいている。


 ロープを回すには、もう氷が持たない。


「行くな」


 リディアが言った。


 レイも分かっていた。


 分かってしまった。


 行けば、人間まで落ちる。


 それでも馬は首を上げ、こちらを見ている。


 御者が拳を握った。


「……俺の馬だ」


 誰も何も言えなかった。


 氷が割れる。


 水が広がる。


 御者が目を閉じた。


 レイも視線を逸らさなかった。


 やがて、湿原は静かになった。


「戻ります」


 リディアが低く言った。


 誰も反対しなかった。


◆


 帰路は遅かった。


 負傷者をそりへ乗せ、板を敷き直しながら進む。


 助かったのは17人。


 荷馬車一台と鉱石の大半、それに馬一頭を失った。


 成功かと聞かれたら、たぶん成功なのだろう。


 人は死んでいない。


 でも「全員助かった」と喜べるほど、綺麗でもなかった。


 リュネ村でもそうだった。


 直せば全部元通りになるわけじゃない。


 どうやら仕事というものは、経験を積むほど気持ちよく終わらなくなるらしい。


 新人の頃の方が幸せだったかもしれない。


 まだ実務生だけど。


「レイ」


 リディアが呼ぶ。


「何?」


「足」


「動く」


「そういう意味ではありません」


 濡れた右脚を指される。


「街へ戻るまでそのままだと凍傷になります」


「春なのに?」


「気温は冬です」


「ややこしいな、この街」


「街のせいではありません」


 正論が多い。


 フィアならもう少し雑に怒る。


 ――何で今フィアが出てくる。


 レイは自分で少し困った。


「休憩します」


「でも」


「17人救って18人目を増やす気ですか?」


「俺を数えるなよ」


「人間でしょう」


「一応」


「なら座ってください」


 有無を言わせない。


 レイは板の上へ座る。


 リディアが予備の布を渡した。


「靴を脱いで水を拭いてください」


「はい」


「素直ですね」


「怒られるの慣れてるから」


「誰に?」


「いろいろ」


 グレン。


 フィア。


 たまにロウ。


 最近多い。


 立派な環暦士になる前に、怒られ慣れだけが一級へ上がりそうだった。


 濡れた靴下を絞る。


 冷たい。


 最悪だ。


「さっき」


 リディアが測定器を片づけながら言う。


「何?」


「あなたが聞いた音に、数値が追いつきました」


「凍結杭?」


「はい」


 彼女は記録紙を見せる。


 三本の杭。


 冬季素の投入量。


 氷温。


 支持力。


「一番杭だけ、同じ流量でも温度低下が速かった。あなたが『音が硬い』と言った箇所です」


「便利だった?」


「便利という言葉は好きではありません」


「じゃあ?」


 リディアは少し考えた。


「有用です」


「ほぼ同じじゃん」


「違います」


 たぶんこの人とは、こういう話を何度もすることになる。


 そんな気がした。


「でも」


 リディアが続ける。


「季音だけで判断されると困ります」


「分かってる」


「本当に?」


「音を信じろ。音だけは信じるな」


 グレンの言葉をそのまま返す。


 リディアがこちらを見る。


「アルディス一級環暦士の教えですか」


「ああ」


「珍しく合理的ですね」


「本人に言っていい?」


「やめてください」


 初めて少し焦った顔をした。


 レイは笑った。


◆


 ノルクへ戻った頃には、もう日が傾いていた。


 街道管理所では歓声が上がった。


 負傷者はすぐ治療所へ運ばれ、他の者たちも濡れた服を替えるため散っていく。


 ドミトは人数を自分で数えた後、深く息を吐いた。


「17人」


「ああ」


「全員、生きてるな」


「ああ」


「……そうか」


 それだけ言って、しばらく黙った。


 荷馬車や鉱石のことは聞かなかった。


 たぶん後で聞く。


 今は、それより大事な数字がある。


「塔へ行く」


 レイが言った。


「その脚でですか?」


 後ろからリディア。


「乾いた」


「完全には乾いていません」


「もう歩ける」


「歩けることと、行くべきことは別です」


「グレンに報告しないと」


「私がします」


「十三番目の音も確認したい」


「それは――」


 リディアが止まる。


 そこは反論しづらいらしい。


「一回着替えてから」


「……それなら」


「譲歩された」


「あなたが少し学習しただけです」


 どっちでもいい。


◆


 第四十八季塔へ戻ると、グレンは一階の測定室にいた。


「遅かったな」


「17人連れてきたから」


「聞いてる」


 グレンの視線がレイの右脚へ落ちる。


「落ちたか」


「何で分かる?」


「靴だけ色が違う」


 借り物の靴だった。


「膝までいった」


「なら次は落ちるな」


 簡単に言う。


 レイは机へ湿原の記録を広げた。


「凍結杭、生きてた。冬季脈も通ってる」


「こっちでも確認した」


「春が入ってた?」


「いや」


 グレンが首を振る。


「それが妙だ」


 レイとリディアが同時に見る。


「湿原へ伸びる冬季脈そのものには、春季素はほとんど混ざってない」


「じゃあ何で弱ってた?」


「供給先を奪われてる」


 グレンが第四十八季塔の図面を指す。


「冬季素が消えてるんじゃない。塔の内部で別経路へ回されてる」


 レイは図面へ近づく。


「どこに?」


「それを探してた」


 グレンが一本の線を引く。


 十二月輪。


 そこから現行図面にはない位置へ。


「お前が言ってた、一月輪への干渉」


「ああ」


「さらに奥がある」


 レイは耳を澄ませた。


 塔の十三番目の音。


 高く、細い。


 春を押すような音。


 だが今は、少しだけ聞き分けられる。


 十三番目から春へ流れているのではない。


 冬側から何かを受け取り、それを別の形で春へ渡している。


「……変換してる?」


 口から出た。


 グレンが見る。


「何を」


「冬を減らして春を増やしてるんじゃない」


 レイは塔の中心を見る。


「冬の終わりを使って、春を作ってる」


 リディアがすぐ記録紙へ目を落とす。


「季節転換」


「たぶん」


「現行設備にも季節移行はあります。しかし、これほど直接的な変換機構は――」


「ない」


 グレンが言う。


「今はな」


 その言葉に、部屋が少し静かになった。


 今はない。


 昔はあった。


 十三月が普通に存在していた頃には。


 レイは第四十一季塔を思い出す。


 冬を吸い込み、吐き出し、十三基を繋いでいた古い環。


 ここでは、冬の終わりを春へ渡している。


 十三月が季節を増やすものではなく、季節と季節の間を繋ぐものだという仮説。


 その輪郭が、少しだけ濃くなった。


「地下へ行くのか?」


 レイが聞く。


 グレンは図面を畳んだ。


「ああ」


 ようやく。


 今度こそ、第四十八季塔の下を見る。


 そう思ったところで、リディアが口を開いた。


「その前に食事です」


 レイとグレンが同時に彼女を見る。


「何で?」


「昼からまともに食べていません」


「食べた」


「干し林檎二枚は食事に入りません」


「見てたの?」


「見えました」


 グレンが頷く。


「正しい」


「また味方いない」


「地下は逃げない」


「十三月は動くけど」


「30分で世界は終わらん」


「それ、信用していい?」


「たぶんな」


「師匠がたぶんって言うなよ」


 リディアが小さく息を吐いた。


「食堂へ行きますよ」


 その言い方が、ほんの少しフィアに似ていた。


 そう思ってしまったことは、誰にも言わないことにした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。