第20話 前日の客
新たに灯った【第四十七季塔】の円を、レイとグレンは黙って見つめていた。
地下壁面に浮かび上がった十三の円。そのうち、光を帯びているのは第四十一季塔を含めて八つ。
残る五つはまだ暗い。
「まだ、始まってる途中だ」
グレンの言葉が、地下の静けさに落ちる。
レイは十三本の環へ耳を澄ませた。
さっきまでと音そのものは変わっていない。だが、壁面の第四十七季塔が灯ってから、十三番目の〈季音〉に細い響きが一本増えている。
「第四十七からも来てる」
「分かるのか」
「ああ。かなり遠いけど」
レイは壁へ近づいた。
十三の円は線で繋がれている。
単純に近い塔同士を結んでいるわけではなかった。第四十一季塔の隣に描かれている円が、実際の地理では何十キロも離れているものもある。
「これ、地図じゃないな」
グレンが言った。
「俺もそう思う」
「距離が合わん」
「季脈の繋がり?」
「その可能性が高い」
グレンは携帯灯を壁へ寄せた。
光る円から円へ伸びる細い線の一部には、古い文字が刻まれている。
摩耗して読めない部分が多い。
それでも一ヶ所だけ、レイにも判別できた。
【第一環路】
別の線には、
【第二環路】
さらに奥にも似た刻印がある。
「環路……」
レイが呟く。
「塔を結ぶ季脈の系統名だろうな」
「今の季脈図にはこんなのない」
「今はな」
グレンは指先を近づけるだけで、壁には触れなかった。
「現在の季脈は、地域ごとに支脈と幹脈で整理されている。塔同士をこうやって直接一つの環として扱う考え方は、少なくとも今の設計にはない」
「じゃあ昔は、十三基まとめて一つの設備だった?」
「そこまでは言えん」
「でも、繋がってる」
「ああ。それは間違いない」
グレンは光っている八つの円を順番に見た。
「支局から来た報告の時刻、覚えてるか」
「だいたいなら」
「書け」
「紙は?」
「お前の工具鞄にあるだろ」
「人の道具の中身把握しすぎじゃない?」
「誰が揃えたと思ってる」
それもそうだった。
レイは折り畳んだ作業紙と炭筆を取り出した。
昨夜、北方支局の共通線へ流れてきた報告を思い出しながら書いていく。
第三十八季塔。
第三十九季塔。
第四十三季塔。
第四十四季塔。
第五十季塔。
第五十二季塔。
そして先ほど新たに反応した第四十七季塔。
正確な発生時刻までは分からないが、報告が入った順なら覚えている。
グレンは紙と壁面を交互に見た。
「番号順じゃない」
「場所の順でもない」
「だが、環路の線を辿ると――」
グレンの指が、壁から数センチ離れた場所を動く。
第四十一。
第四十三。
第五十二。
第三十八。
その次の線は枝分かれし、別の光る円へ続いている。
「近いな」
レイも気づいた。
報告が入った順番と、壁に刻まれた線の流れが似ている。
「順番に起きてる?」
「断定はできん。支局へ報告が届いた順と、実際に異常が起きた順が同じとは限らない」
「でも第四十七は今、目の前で灯った」
「ああ」
グレンはその先を見る。
第四十七季塔から伸びた線は、まだ暗い円へ続いていた。
「次があるとしたら」
レイも見る。
暗い円の中に番号が刻まれている。
【第四十八季塔】
「第四十八」
グレンが低く言う。
「場所は?」
「北東だ。ここから馬で半日以上」
「支局に送る」
「待て」
グレンが止めた。
「何で」
「『次は第四十八が危ない』と送る気か」
「違うのか?」
「可能性はある。確定じゃない」
言われて、レイは口を閉じた。
「なら、どう送る」
「旧設備上で第四十七の次に第四十八へ接続する経路を確認。第四十八の監視強化を推奨。それで十分だ」
「細かいな」
「事実と推測を混ぜるな」
昨日、自分で言った通りだった。
レイは紙へ書き留める。
「……環暦士って、もっと塔直す仕事だと思ってた」
「違ったか」
「最近、報告書ばっかり増えてる」
「上に行けばもっと増えるぞ」
「昇級したくなくなってきた」
「安心しろ。命令違反の件がある」
「それ今言う?」
グレンは答えず、十三本の環を見上げた。
レイも視線を戻す。
まだ暗い五つの円。
それが全て灯った時、何が起きるのか。
答えはどこにも書いていなかった。
「グレン」
「何だ」
「十三基全部が動いたら、どうなると思う」
「分からん」
「予想でも」
グレンは少し考えた。
「この設備が本来の機能を取り戻す」
「それ、いいことみたいに聞こえるけど」
「機械にとってはな」
レイは黙った。
リュネ村の冬を思い出す。
3年間届かなかった冬。
その後、一気に流れ込んできた冬季素。
もし十三月の設備が、それを正常な補正だと判断していたのなら。
「人間にとって正しいとは限らない」
「ああ」
グレンの返事は短かった。
レイは光る十三月季環を見上げた。
壊れているなら直せばいい。
そう思ってここまで来た。
だが、正常に動いているものが人を傷つけているのなら、話はずっと面倒になる。
「一度上へ戻るぞ」
「もう?」
「支局へ報告する。第四十八に人を回せるなら、その方がいい」
「封環は?」
「持っていけ。ここでは使うな」
「言われなくても」
グレンがレイを見る。
「何だよ」
「成長したな」
「それ禁止にしない?」
◆
地上へ出ると、朝の光が眩しかった。
地下に長くいたわけではない。それでも薄暗い石の中から戻ると、雪に覆われた村の白さが目に刺さる。
気温は低い。
だが昨日のように、息をしただけで肺の奥まで凍るような寒さではなかった。
「レイさん!」
フィアが村役場の方から歩いてくる。
左腕は吊ったままだ。
右腕には帳面を3冊抱えている。
「地下、どうでした?」
「増えた」
「何が?」
「面倒事」
「それは見れば分かります」
「俺の顔で?」
「グレンさんの顔も」
少し離れたところでグレンが眉を寄せた。
「俺まで入れるな」
「すみません」
言いながら、フィアはあまり反省していない顔をしている。
「そっちは?」
レイが帳面を見る。
「少し見つけました」
声の調子が変わった。
「3年前の来訪者のこと?」
「はい」
レイとグレンは顔を見合わせた。
「役場で話します」
フィアが先に歩き出した。
レイも付いていこうとして、工具鞄の中で紙が潰れる音がした。
足を止める。
朝、フィアから渡された包み。
昼のパンだ。
「……あ」
フィアが振り返る。
「どうしました?」
「いや」
今の時間を考える。
地下へ入る前に朝食を食べたばかりだ。
まだ昼ではない。
問題ない。
「何でもない」
「パン潰しました?」
「なんで分かった」
「今すごく嫌そうな顔したから」
「道具に挟まっただけだ」
「食べられます」
「形が」
「食べられます」
その言い方に反論できない。
横を歩いていたグレンが何も言わず前を向いた。
「何だよ」
「何も」
「笑ってるだろ」
「笑ってない」
口元が少し上がっている。
やっぱり腹が立つ。
◆
村役場にはバルガスとロウもいた。
机の上には、役場の正式な記録とは別の帳面が並べられている。
「こっちは?」
レイが聞く。
「共同宿の記録です」
フィアが一冊を開く。
リュネ村には旅人向けの宿屋はない。
行商人や役人が泊まる時は、村が管理している空き家を共同宿として使う。その際の薪や食事、寝具の費用は役場とは別の帳面につけていたらしい。
「来訪者記録を盗んでも、こっちは残ってた」
フィアが指で一行を示す。
3年前。
【十一月二十六日 客一名】
【夕食一 寝具一 薪二束】
その下には翌日の記録。
【十一月二十七日 朝食一】
さらに、
【案内人手当 北西水路】
レイの目が止まった。
「北西水路」
「貯水池です」
フィアは別の帳面を開いた。
「こっちは当時の村の支払い記録。案内をした人にも会ってきました」
「誰?」
「ハルトさん。今は畑仕事をほとんど息子さんに任せてる人です」
バルガスが補足する。
「当時は俺が足を悪くする前でな。その日は別件で南の畑へ出てた。役場に来た客の案内を、ハルトに頼んだらしい」
「覚えてたのか?」
「全部じゃないですけど」
フィアは自分で取った聞き書きを机へ置いた。
「灰色の作業服だったそうです」
室内が静かになった。
ロウの表情が変わる。
「同じ奴か」
「まだ分からない」
レイが言う。
3年前と昨日。
同じ灰色の服だからといって、同一人物とは限らない。
「他には?」
グレンが聞いた。
フィアは紙を見る。
「王立環暦局の人間だと名乗ったそうです。身分証も見せた。ただ、ハルトさんは文字が得意じゃないから名前までは覚えてません」
「年齢、性別、顔」
「顔は覚えてないって。頭巾は被ってなかったらしいですけど、3年も前だし、一度会っただけだから」
「声は?」
「そこまでは」
フィアはそこで一度止まった。
「でも、靴は覚えてました」
レイは顔を上げる。
「なんで?」
「うるさかったから」
ロウが机へ身を寄せた。
フィアは続ける。
「共同宿の床が石なんです。歩くたびに踵がカツカツ鳴ってたって」
「鋲か」
「たぶん」
「三つだったかは?」
「そこまでは覚えてません」
レイは息を吐く。
十分だった。
少なくとも、三鋲の旧式靴と一致する可能性はある。
グレンは黙ったまま帳面を見ている。
「何しに貯水池へ行った」
「古い水路の点検だと言ったそうです」
フィアは聞き書きの次の行を指す。
「季塔には?」
「行ってます」
今度はバルガスが答えた。
「そこは俺も少し覚えてる。役場に寄った後で塔を見たいと言われた。局の人間なら珍しくもないと思ってな」
「一人で?」
「ああ。案内はいらんと言われた」
レイは眉を寄せる。
「その時、何か触った?」
「分からん。俺は付き添ってない」
3年前。
北西貯水池。
第四十一季塔。
今回、盗まれた二つの記録と同じ場所だ。
偶然とは考えにくい。
「来訪者記録には名前があったはずだよな」
「あった」
バルガスが頷く。
「俺が書かせたはずだ。ただ、もう思い出せん」
だから盗んだ。
名前を隠すため。
あるいは、訪れた事実そのものを消すため。
「他に残ってない?」
レイが言うと、フィアが一冊の薄い帳面を出した。
「それで、探しました」
表紙には食料庫と書かれている。
「何これ」
「共同宿に出した食材の記録です。誰が泊まったかは普通書きません。でも、当時の担当だったおばさんが細かい人だったみたいで」
フィアが十一月の頁を開く。
小麦。
豆。
干し肉。
塩。
細かな量が並んでいる。
一ヶ所だけ、余白に文字があった。
【局客 十一月二十六日】
その下。
【二十七日昼不要 塔へ】
そして、その横に小さく、
【鐘後 出立】
レイの目が止まった。
「鐘後?」
「私もそこが気になった」
フィアが言う。
「3年前の十一月二十七日って」
「ああ」
レイは覚えている。
村の記録を何度も見た。
「冬が弱くなり始めた日だ」
バルガスが頷く。
「それと、鐘が十三回鳴った日だ」
空気が変わった。
グレンが帳面を手元へ引き寄せる。
「この客は、鐘が鳴った後に村を出た?」
「そう読めます」
フィアが答える。
「でも、それだけじゃないんです」
もう一冊。
今度は家畜小屋の飼料記録だった。
レイは嫌な予感がした。
「まだあるのか」
「ありました」
フィアは日付を示した。
【十一月二十六日】
その横に、
【客馬一頭 夜飼】
翌日の欄には、
【朝飼不要】
「朝にはもう出た?」
「違います」
フィアが首を振る。
「共同宿では十一月二十七日に朝食を食べてる。でも馬には朝の飼料を出してない」
レイは少し考えた。
「馬だけ先に移した?」
「ハルトさんにも聞きました。朝、客は徒歩で北西水路へ行ったそうです」
「じゃあ馬は?」
「季塔の近くに繋いであったのを見た人がいました」
フィアはさらに一枚、紙を差し出した。
聞き書きだ。
【朝 局の客を北西水路へ案内】
【昼前に別れる】
【客は村へ戻らず塔方面へ】
レイは日付を見る。
十一月二十七日。
「鐘が鳴ったのはいつ?」
フィアではなく、バルガスが答えた。
「夕方だ」
レイの指が紙の上で止まる。
客は前日に村へ来た。
翌朝、北西貯水池を確認した。
その後、季塔へ向かった。
そして夕方。
鐘が十三回鳴った。
「……待て」
ロウも気づいたらしい。
「そいつ、異常が起きてから来たんじゃねえのか」
「違う」
レイは三冊の帳面を見る。
「前の日からいた」
フィアが頷く。
「十一月二十六日の夕方には共同宿へ入ってます」
冬が弱くなったのは二十七日。
十三回の鐘が鳴ったのも二十七日。
王立環暦局を名乗る灰色の客は、その前日から村にいた。
偶然、そう片づけるには、出来すぎている。
しかも、その客が見に行ったのは北西貯水池と第四十一季塔。
今回、人為的な調整が見つかった場所。
レイはグレンを見る。
「知ってた?」
「知らん」
返事は即座だった。
「本当に?」
「この件についてはな」
グレンも帳面から目を離さない。
「3年前、第四十一季塔へ正式な局員派遣があった記録は、俺が見た限りではない」
「じゃあ偽物?」
「それもまだ決めるな。中央や別部署から直接来た可能性もある」
フィアが口を開く。
「でも、村には王立環暦局の人だって言ったんですよね」
「ああ」
「それで古い水路を調べて、季塔へ行って、その日に十三回鐘が鳴った」
今回は質問ではない。
フィアは事実を一つずつ並べていた。
「その3年後に、同じ場所が触られてる」
レイは頷く。
「しかも、その時の記録だけ盗まれた」
ロウが低く言う。
「同じ奴なら、最初からここで何か起きるの知ってたってことか?」
誰もすぐには答えなかった。
レイは十一月二十六日の文字を見る。
異常の前日。
たまたま来たのではないとしたら。
「知ってたんじゃない」
自分の声が思ったより低くなった。
「待ってたんだ」
グレンがレイを見る。
「何を」
レイは第四十一季塔のある方角へ視線を向けた。
「鐘が十三回鳴るのを」
窓の外では、冬の朝日を受けて季塔が立っている。
3年前、十三月が最初に姿を見せたその前日。
誰かがすでに、リュネ村へ来ていた。




