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十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第1章 冬を失くした村

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第19話 封環

 レイが目を覚ました時、窓の外はもう薄く明るくなっていた。


 枕元に置いた時計を見る。


 眠ったのは4時間と少し前。


「……本当に4時間で起きた」


 自分でも少し呆れる。


 身体は重いが、頭の奥を覆っていた靄は昨日よりましだった。


 起き上がって服を整え、工具鞄を持ち上げる。


「ん?」


 肩紐の感触が違った。


 森狼に噛まれて裂けていた革紐が、新しいものに替わっている。


 金具まで締め直されていた。


 自分はやっていない。


 部屋を出ると、台所から湯気の匂いが漂ってきた。


 フィアが机の前に座っている。


 左腕はまだ吊ったままだが、右手で器用にパンを切っていた。


「おはようございます」


「おはよう」


 レイは工具鞄を持ち上げる。


「これ」


「ああ。それならロウさんに頼みました」


「ロウに?」


「昨日、鞄の紐が切れかけてたでしょ。朝から革を扱える人のところに持っていってくれたみたいです」


「……起きるの早くない?」


「レイさんに言われたくないです」


 もっともだった。


 フィアは皿を一枚、レイの前へ押した。


 パンと干し肉、それに温かい豆の汁が入っている。


「食べてください」


「地下から戻ってからでも」


「食べてください」


 声は穏やかだったが、拒否できる雰囲気ではなかった。


 レイは椅子へ座る。


「グレンみたいになってきたな」


「嫌です」


「そこまで即答する?」


「だって、レイさんの食事まで気にするの大変そうだから」


「俺、そんなに忘れてないけど」


 フィアが何も言わずに見る。


「……たまにだよ」


「食べてください」


「はい」


 豆の汁を口に運ぶ。


 温かい。


 昨夜まで季素に満ちた冷気の中にいたせいか、それだけで身体の奥が少し緩んだ。


 フィアは自分の分を食べながら、窓の外へ視線を向けた。


「夜の間は、大きな変化はなかったみたいです」


「冬の出力は?」


「見張りの人が測ってくれてます。夜中に一回だけ少し上がったけど、その後は昨日の最後とほとんど同じ」


「森狼は」


「来てません」


 少なくとも、一晩は持った。


 灰色の人物が逃げた後も、第四十一季塔は完全には静まっていない。


 だが、村を一気に凍らせるほどの冬は止まっている。


「フィアは今日は地上な」


「分かってます」


 意外にも反論はなかった。


「昨日グレンさんに言われたし、今の腕で地下へ行っても邪魔になるから」


 言葉に少し不満は混じっていたが、自分で判断している。


「その代わり」


 フィアがレイを見る。


「上でできることはやります」


「ああ」


「村の記録もまとめます。3年前に来た人のことも、覚えてそうな人に聞いてみる」


 レイはパンを噛みながら頷く。


 地下へ行く人間と、地上で調べる人間。


 別々に動いた方が早い。


「何かあったら勝手に追わないでくれよ」


「それ、レイさんに言われるんですか?」


「俺は昨日から成長した」


「1日で?」


「たぶん」


 フィアは笑った。


 レイが最後のパンを食べ終えると、小さな包みを差し出してくる。


「これも」


「何?」


「昼の分です」


「昼までには戻ると思うけど」


「戻らなかった時の分」


 レイは包みを受け取った。


 中身はパンらしい。


「用意よすぎない?」


「昨日、誰かさんがいつ寝たかも覚えてなかったので」


「……ありがと」


 自然に言葉が出た。


 フィアが少しだけ目を丸くする。


「何だよ」


「いえ」


「その顔やめろ」


「何も言ってません」


 口元は笑っていた。


 レイは工具鞄へ包みをしまう。


 昨日より少しだけ鞄が重くなった。


 嫌な重さではなかった。


◆


 第四十一季塔の前には、すでにグレンがいた。


 昨日同行してきた二人の環暦士のうち、一人は季素計を片手に塔の外周を回り、もう一人は役場と通信を繋いでいる。


 グレンはレイを見るなり時計を確認した。


「4時間は寝たか」


「4時間と少し」


「食ったか」


「食った」


「珍しいな」


「今日はもう食事のことで馬鹿にされる日なのか?」


「誰かに食わせてもらったか」


 レイは黙る。


 グレンの目が工具鞄へ向いた。


 そこからわずかにパンの包みが覗いている。


「……何だよ」


「何も言ってない」


「そればっかりだな」


 グレンはほんの少し口元を緩めたが、すぐ季塔へ視線を戻した。


「夜間の平均出力は通常の1.8倍。高いが、昨夜よりは落ちている」


「十三番目は?」


「消えていない」


「ああ」


 レイにも聞こえている。


 弱くなった冬の音の下で、十三番目の響きだけが一定の間隔で続いていた。


 止まってはいない。


「地下へ入る」


 グレンが言った。


「俺とお前だけだ」


「二人でいいのか」


「人数を増やせば安全になる場所でもない。上には二人残す」


 その判断に異論はなかった。


 レイは西側の古い階段へ向かう。


 途中でフィアがこちらへ歩いてきた。


 手には帳面を抱えている。


「行くんですね」


「ああ」


「こっちは私とお父さんでやっときます」


「無理するなよ」


「そっちも」


 フィアはそう言ってから、レイの工具鞄を見る。


「パン、忘れてませんよね」


「入ってる」


「ならいいです」


 それだけ言うと、フィアは村の方へ戻っていく。


 グレンが横に立った。


「行くぞ」


 階段を下りた。


◆


 地下へ入ると、空気が変わった。


 冷たい。


 だが昨日ほどではない。


 石壁を伝う季素の流れも、今は暴れていなかった。


 グレンは途中で一度足を止めた。


「聞く」


 グレンが目を閉じる。


 レイも黙った。


 暗い通路の中で、水滴の落ちる音だけが響く。


 やがてグレンがゆっくり息を吐いた。


「北西へ一本。南へ二本。東は細いが生きてる。地下深部からは四季全部が返ってきてるな」


 レイは少し眉を寄せる。


「そこまで分かるのか?」


「お前ほど細かい歯の噛み合わせは拾えん。その代わり、広い範囲ならこっちの方が得意だ」


「昔からずるいと思ってる」


「才能の使い方が違うだけだ」


 グレンは再び歩き始める。


「お前は一つの異音を拾うと、そこへ意識を寄せすぎる」


「悪いか?」


「悪くない。だから俺がいる」


 さらりと言われて、レイは少しだけ返事に困った。


「……そういうこと普段から言えばいいのに」


「何か言ったか」


「何も」


「聞こえてるぞ」


「便利だな、その耳」


「お前もだろ」


 今度はレイが黙った。


 古い階段をさらに下り、例の保守室へ向かう。


 扉は昨日のままだった。


 中へ入ると、グレンの足が止まった。


 壁際。


 78年前からそこに残されていた男の遺体。


 左半身は白骨化し、右半身は透明な氷のようなものに包まれている。


 グレンはすぐには近づかなかった。


「徽章は」


「胸元」


 レイが指す。


 グレンは手袋を着けたまま、遺体の横へ屈んだ。


【王立環暦局】

【第四十一季塔・第七次改修班】


 その下。


 擦れて読みにくくなった名前。


【――・ラウゼ】


 グレンが息を止めた。


「知ってるのか」


「名前だけだ」


「誰」


 グレンはしばらく徽章を見ていた。


「エド・ラウゼ」


 初めて、名前の欠けていた部分が埋まった。


「第七次改修班?」


「そうだ」


「記録にあった?」


「俺が見たのは局の記録じゃない」


 レイにはもう予想がついた。


「師匠か」


「ああ」


 グレンは小さく頷く。


「師匠の古い手帳に何度か出てきた名前だ」


「どういう人だった」


「そこまでは書いてなかった。技術者としての記録が少しと、最後に一行だけ」


「何て」


 グレンはすぐには答えなかった。


「戻らなかった、と」


 レイは遺体を見る。


 行方不明だった人間が、ずっとここにいた。


「局では?」


「俺が後から調べた範囲では、行方不明扱いだ。少なくとも遺体が見つかった記録はない」


「78年間?」


「ああ」


 グレンの声は平坦だった。


 だが、いつもより少し硬い。


 レイはそれ以上聞かなかった。


 グレンは遺体の右側へ小型の季素計を近づける。


 針がほとんど動かない。


「変だな」


「何が」


「冬季反応がない」


 レイは眉を寄せる。


「凍ってるのに?」


「だから変なんだ」


 グレンは計器の位置を変える。


 春。


 夏。


 秋。


 どの目盛りも、ほとんど反応しない。


 透明な氷のようなものの内側には、皮膚も髪も残っている。


 まるで数日前に死んだ人間のように。


「触るなよ」


「触らない」


 レイは耳を澄ませる。


 そこで初めて違和感に気づいた。


「……音がない」


「だろ」


 遺体そのものではない。


 その周囲だけ、季音が途切れている。


 地下ではこれほど多くの季素が流れているのに、右半身を覆う透明な層の中には何も入り込んでいない。


「氷じゃないのか」


「少なくとも普通の凍結じゃない」


「じゃあ何だよ」


「知らん」


 グレンははっきり言った。


「分からないものを、知っているように言う気はない」


 昨日の言葉通りだった。


 知っていることと、推測を分ける。


 レイは透明な層を見る。


「何かを止めてるように見える」


「俺もそう思う」


「何を?」


「それが分かれば苦労しない」


 グレンは立ち上がる。


 遺体の手には、三本爪の鍵が握られたままだ。


「灰色の奴も同じ鍵を持ってた」


「完全に同じ形か」


「遠目だけど、たぶん」


「一本しかない道具ではなかったわけだ」


 グレンは鍵には触れなかった。


「ここも後で調べる。先に核心を見るぞ」


◆


 さらに地下へ降りる。


 レイが初めて十三本の環を見た場所へ着くと、グレンは階段の途中で止まった。


 古い巨大機構の中央に、十三の環が重なっている。


 現行の第四十一季塔より古い。


 十二の月輪。


 そのさらに外側に十三番目。


 淡い光が、ゆっくりと全体を巡っていた。


 グレンは長い間、何も言わなかった。


「グレン?」


「……師匠の話よりでかいな」


 レイが横を見る。


「見たことなかったのか」


「動いている実物は初めてだ」


「じゃあ、本当に話でしか知らなかった?」


「ああ」


 グレンは階段を下りる。


 いつもの余裕が少しだけ消えていた。


 十三の環の前へ立ち、目を閉じる。


 今度は長かった。


 レイも耳を澄ませる。


 冬。


 春。


 夏。


 秋。


 四季の音が、別々の方向から地下へ流れ込んでいる。


 そして十三番目の環を通り、またどこかへ流れていく。


「……貯めてるんじゃない」


 レイが言った。


「気づいたか」


 グレンも目を開ける。


「これ、受けて返してる」


「ああ」


「じゃあ3年分の冬が地下に溜まってたっていう俺の考えは」


「半分は外れだな」


 グレンは環を見上げた。


「この村で失われた冬の一部が、ここへ流れ込んでいた可能性はある。ただ、ここは貯蔵庫じゃない」


「調整する場所?」


「おそらくな」


 グレンは地面へ膝をつき、流路の刻印を確認する。


「余った季節を受け、不足した場所へ返す。少なくとも構造だけ見れば、そういう役割に近い」


「じゃあ灰色の奴が言ってた『3年分じゃない』って……」


「この塔が繋がっているのが、リュネ村だけじゃないなら説明はつく」


 昨夜聞いた遠い鐘。


 北方各地で起きた異常。


 レイは十三番目の環を見る。


「ここが動いたせいで、他の塔にも影響が出た?」


「可能性はある。逆もある」


「逆?」


「他のどこかが動いたから、ここが起きたのかもしれん」


 まだ起点すら分からない。


 ただ一つ確かなのは、リュネ村だけで完結していないことだった。


 グレンは中央機構の脇へ回る。


「レイ。灯り」


「ああ」


 携帯灯を向ける。


 古い金属板の下に、円形の窪みがあった。


 掌より少し小さい。


 レイは見覚えがあった。


「これ……」


 工具鞄へ手を入れる。


 布で包んだ円盤を取り出した。


【封環】


 灰色の人物が残したものだ。


 窪みと円盤。


 大きさがほとんど同じだった。


 グレンの表情が変わる。


「近づけるだけだ。入れるな」


「分かってる」


 レイは円盤を窪みへ近づける。


 残り20センチほどのところで、手の中の金属が震えた。


 キィン。


 細い音。


 十三番目の環が反応する。


「止めろ」


 レイはすぐ手を引いた。


 光が弱まる。


「……やっぱり部品か」


 グレンが呟く。


「徽章じゃなくて?」


「ああ。少なくとも、ただの身分証ではない」


 グレンは窪みの周囲に刻まれた古い文字へ携帯灯を近づけた。


 摩耗している。


 それでも一部は読めた。


【封環具――装着】


【外部季脈――切離】


【再接続――】


 そこから先は削れている。


 レイは円盤を見る。


「これを入れると、十三月季環を外から切る?」


「そう読める」


「なら入れれば止められるんじゃないか」


「最後まで読めない操作をやる気か?」


「……やらない」


「成長したな」


「昨日から何回それ言われるんだよ」


 グレンは窪みを見つめる。


「師匠の道具箱にあった円盤も、これと同じ用途だった可能性が高い」


 その言葉に、レイは改めて手の中の封環を見る。


 グレンの師匠は、これを持っていた。


 つまり十三月の存在を知っていただけではない。


 触れるための道具を持っていた。


「師匠は何をしてたんだ」


 グレンは答えなかった。


 今度は隠しているわけではない。


 その顔を見れば分かる。


「……分からないんだな」


「ああ」


 短い返事だった。


「それが一番腹立つ」


 グレンが呟く。


 レイは少し意外に思った。


 自分がグレンに感じていたものと、ほとんど同じだった。


 必要になれば話す。


 危険だから触るな。


 知らない方がいい。


 そうやって何かを残された弟子が、今ここに二人いる。


 グレンが腰を上げた。


「封環は俺が預かる」


「嫌だ」


「即答か」


「灰色の奴が俺たちの前に残したものだ」


「だから危険なんだ」


「分かってる。俺が持つ」


 グレンはレイを見る。


 しばらく睨み合う。


「……勝手に使うな」


「使わない」


「本当だな」


「昨日から成長したって言っただろ」


「信用できんな」


「師匠だろ」


「だから信用できん」


 それ以上取り上げようとはしなかった。


 レイは封環を布へ包み直す。


 その時。


 十三番目の環が小さく鳴った。


 カン。


 二人とも同時に振り返る。


「触ってないぞ」


「分かってる」


 環の奥。


 昨日までは暗かった壁面に、淡い光が走り始めていた。


 一本の線が伸びる。


 そこから枝分かれし、いくつもの小さな円へ繋がっていく。


「図面……?」


 レイが近づく。


 第四十一季塔。


 その周囲に別の番号が刻まれている。


【第三十八季塔】


【第三十九季塔】


【第四十三季塔】


【第四十四季塔】


【第五十季塔】


【第五十二季塔】


 レイの背筋に冷たいものが走った。


「昨日、支局に異常報告が入った塔だ」


「全部か」


「ああ」


 六つの小さな円には、すでに淡い光が灯っている。


 第四十一季塔を含めれば七つ。


 だが、線はそこで終わっていなかった。


 さらに先にも円がある。


 まだ暗い。


 レイは数える。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 全部で十三。


「十三基……」


 グレンが低く呟いた。


 レイは地図を見つめる。


 十三月。


 十三本の環。


 そして、十三基の季塔。


 偶然とは思えなかった。


 その時だった。


 暗かった円の一つに、細い光が走った。


【第四十七季塔】


「グレン」


「ああ」


 まだ支局から異常報告は来ていない番号だ。


 光が円の輪郭を一周する。


 同時に。


 レイの耳へ、遥か遠くから細い響きが届いた。


 カァン――。


 十三番目の〈季音〉。


 新しい塔が、一つ増えた。


 グレンは光る地図から目を離さなかった。


「昨日始まったんじゃないな」


 レイが横を見る。


 グレンの声は低かった。


「まだ、始まってる途中だ」

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