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十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第1章 冬を失くした村

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第17話 遠鐘

 山の向こうから届いた二度目の鐘が消えても、誰もすぐには口を開かなかった。


 第四十一季塔の前に集まっていた村人たちは、暗い山並みを見つめている。


 あの音は近くない。それでも、はっきり聞こえた。


 一つは北東から、もう一つはさらに西から。


 レイには鐘の音だけではなく、その奥に重なった〈季音〉まで届いていた。


 十三番目。


 第四十一季塔で最初に聞いたものと、よく似ている。


「……他の塔でも?」


 フィアが呟いた。


「ああ」


 レイは目を閉じた。


 遠すぎて細部までは聞き分けられない。それでも、地下を伝ってくる微かな振動がある。


 一本ではなかった。


 第四十一季塔から伸びる季脈のさらに先で、別の何かが応えている。


 鐘と季塔、そして十三月。今まで一つの村の地下に眠っていたと思っていた謎が、一気に外へ広がった。


「何基だ」


 ロウの声が低い。


「分からない」


「聞こえたのは二つだぞ」


「鐘はな。その奥は、もっとある」


 レイは耳を澄ませたまま答えた。


 フィアが村の外を見る。


 灰色の人物が逃げたのも北だ。


 だが、追うという判断はしなかった。


「お父さん」


 フィアが振り返る。


「今夜、村の外に出る人は止めた方がいい」


「ああ」


 バルガスもすぐに頷いた。


「南の柵に4人。北と西にも2人ずつ置く。知らん奴を見つけても近づかせるな」


「森狼もまだいるかもしれない」


「それも込みだ」


 バルガスはすぐ村人たちへ指示を出しに向かった。


 フィアはその背中を見送ると、近くに落ちていた短槍を拾った。


 左腕はまだ吊られたままだ。まともには扱えないだろう。


 それでも持っていたいらしい。


 レイは何も言わなかった。


 自分も、森狼に噛まれて壊れた工具鞄をまだ手放していない。


「通信、もう一回直す」


「また切られません?」


「今度は見張りを付ける」


 ロウが嫌そうな顔をした。


「俺を見るな」


「頼んだ」


「まだ返事してねえ」


「頼んだ」


「……分かったよ」


 今日はずいぶん人に助けられている。


 少し前の自分なら、できるところまで一人で片づけようとしていたかもしれない。


 その結果が、森狼に工具鞄ごと噛まれかけた男である。


 学習は必要だった。


◆


 切られた通信線は、先ほどとほとんど同じ状態だった。


 通信機そのものを壊すつもりはなかったらしい。導線を一本、刃物で切られているだけだ。


 簡単に直せる。


 簡単に直せると分かった上で切ったのだとしたら、それはそれで腹が立つ。


「嫌がらせみたいですね」


 横で見ていたフィアが言う。


「時間稼ぎだと思う」


「役場の記録を持ち出すため?」


「それか、塔を触るためか。他にもあるかもしれない」


 レイは導線を繋ぎながら、灰色の人物の言葉を思い返した。


 確認だ、と言っていた。


 鐘が鳴ったこと。


 そして、聞こえる人間がまだいたこと。


 それだけなら、この村そのものに用があったとは限らない。


 十三月が動いたから来た。


 なら、他の塔で鐘が鳴った今、次に向かう場所は――。


「……もう村にはいないかもな」


「灰色の人?」


「ああ」


 フィアは少し考え、北の暗がりへ目を向けた。


「追わなくてよかったと思います」


 レイは手を止める。


「珍しいな」


「何がです?」


「追いたいって言うかと思った」


「追いたいですよ」


 即答だった。


「でも今追ったら、村に残る人が減るじゃないですか。それに私、今まともに戦えないし」


「自覚あったのか」


 フィアが睨む。


「怒りますよ」


 なら、これ以上は言わない方がいい。


 レイは最後の接合部へ絶縁布を巻いた。


「これでいい」


 通信室へ戻り、送信鍵を押す。


 カチ、と反応が返った。


 今度はロウが建物の外に残り、接続箱の周囲を見張っている。


 フィアは役場に残った記録を別の箱へ移していた。


 レイが何か言う前に、視線だけこちらへ向ける。


「聞きながらやってます」


「何も言ってない」


「言いそうだったので」


 レイは送信機の前へ座った。


【グレン 応答求む】


 返事は来ない。


 続けて送る。


【通信復旧】


【遠方の複数季塔で鐘を確認】


 待つ。


 紙は動かなかった。


「返ってこない?」


「まだ」


 グレンが通信機の前にいるとは限らない。


 さっきまで長時間やり取りしていたのだから、別の仕事へ戻っていてもおかしくはなかった。


 レイは北方支局の共通線へ回線を切り替える。


 通常なら、実務生が緊急時以外に使う回線ではない。


 今日は十分すぎるほど緊急だった。


【第四十一季塔より緊急報告】


【第三級環暦士・実務生 レイ・セイン】


【遠方複数塔より十三回目と思われる鐘を確認】


 送る。


 数秒後、通信機が突然動き始めた。


 レイは紙へ目を落とす。


 自分への返答ではない。


【第四十三季塔 冬季環出力異常】


 続いて別の報告が流れる。


【第三十八季塔 十二月輪停止】


【第五十二季塔 塔鐘十三回確認 原因不明】


 共通線へ、各地からの報告が次々と流れ込んでくる。


「レイさん」


 フィアも手を止めていた。


「これ……全部?」


「北方支局管内だ」


 まだ止まらない。


【第三十九季塔 春季素流入】


【第五十季塔 季脈圧上昇】


【第四十四季塔 外環発光】


 一つ一つは短い。


 詳しい状況までは分からない。


 それでも十分だった。


 第四十一季塔だけではない。


 複数の季塔で、ほぼ同時に異常が起きている。


 レイは通信紙を押さえながら、頭の中で北方の地図を思い浮かべた。


 第三十八、第三十九、第四十三、第四十四、第五十、第五十二。


 隣接する塔だけではない。かなり離れた場所まで含まれている。


「広すぎる」


「村だけじゃないってことですよね」


「ああ」


 しかも、異常の内容が違う。


 冬季環の出力異常。


 春季素の流入。


 月輪の停止。


 季脈圧の上昇。


 そして十三回の鐘。


 同じ現象が順番に広がっているわけではない。


 十三月に関わる何かが、それぞれの場所で別の形を取って現れている。


 通信機が一度止まった。


 すぐに新しい文字が始まる。


【北方支局より管内全環暦士へ】


 レイは背筋を伸ばした。


【各季塔の停止操作を禁ず】


【季環・月輪への大規模操作を禁ず】


【現地住民の安全確保を最優先】


【詳細確認まで現状維持】


 フィアが横から紙を見る。


「止めるなって」


「ああ」


 地下で見つけた金属板と同じだった。


【環を止めるな】


 偶然なのか。


 北方支局も十三月について何か知っているのか。


 それとも、原因不明の異常が複数箇所で起きた以上、不用意に停止させるなというだけなのか。


 今の情報では判断できない。


 レイは送信鍵を叩く。


【第四十一季塔 冬季素過剰流入】


【住民生活に被害あり】


【局指示の現状維持は困難】


 返答を待つ。


 数分後、ようやく個別通信が返ってきた。


【第四十一季塔担当者へ】


【資格等級を送れ】


 レイは眉を寄せた。


【第三級環暦士・実務生】


 返答は早かった。


【大規模操作権限なし】


【上級環暦士到着まで住民避難を優先せよ】


「……簡単に言うな」


 思わず口から出た。


 フィアが通信紙を見る。


「避難?」


「ああ」


「どこへ?」


 その一言で、指示の雑さがよく分かった。


 外には森狼がいる。


 道は凍り始めている。


 子供も老人もいる。


 近隣の村が安全だという保証もない。


 何より、他の季塔でも異常が起きている。


「今夜は無理だ」


 レイは再び送信する。


【現時点で村外避難は危険】


【森狼異常行動を確認】


【道路凍結】


【近隣季塔にも異常報告あり】


【第四十一季塔は冬季素出力を暫定低下済み】


 そこまで打ってから、指が止まった。


 冬季素の出力を下げたのは、自分だけの判断でも操作でもない。


 灰色の人物が旧式の鍵を使い、レイが補助した。


 報告から外すべきではない。


【旧式鍵を所持する身元不明者が操作】


【当該人物は逃走】


 返答はすぐには来なかった。


「書くんですね」


 フィアが言う。


「隠す理由がない」


「怒られそう」


「それはもう諦めた」


 しばらくして通信機が動いた。


【身元不明者への接触を禁ず】


【追跡するな】


 レイの眉が寄る。


 グレンと同じだ。


「また追うな、か」


「局も知ってる?」


「まだ分からない」


 単に身元不明者だから危険と判断しただけかもしれない。


 旧式の鍵で季塔を操作したから、警戒している可能性もある。


【特徴を送れ】


 レイは簡潔に打つ。


【灰色作業服】


【顔不明】


【三鋲の旧式靴】


【三本爪の鍵を所持】


 通信機が止まった。


 一秒。


 二秒。


 十秒。


 さっきグレンへ三鋲を伝えた時と似た沈黙だった。


 レイは無意識に通信紙を握る。


 やがて、一行だけ返ってくる。


【待機せよ】


「それだけ?」


「それだけだ」


 明らかに何かある。


 だが、この共通線で問い詰めても答えは返ってこないだろう。


 その時、役場の扉が開いた。


 バルガスだった。


「何か分かったか」


 レイは机に積もった通信紙を見る。


 全部を説明するには長い。


 だが、村長には伝えなければならない。


「他の季塔でも異常が出ています」


 バルガスの顔が変わった。


「ここだけじゃないのか」


「少なくとも北方では複数です」


「局は何て?」


「塔を止めるな。住民の安全を優先して、必要なら避難しろと」


「必要ならって、どこへ逃げろってんだ」


「俺も聞きたいです」


 バルガスは通信紙を見下ろし、杖の先で床を一度叩いた。


「今夜は村に残る」


「俺もその方がいいと思います」


「朝になったら道を見る。森狼が戻るなら、子供や年寄りを動かす方が危ない」


 レイは頷いた。


 完璧な答えではない。


 だが、今ある情報で選べる中では現実的だった。


「北と西の見張りを増やす。フィア、お前は家に戻れ」


「でも――」


「戻れ」


 珍しく強い声だった。


 フィアは反論しかけたが、自分の吊られた左腕を見て口を閉じた。


「……分かった」


「レイもだ」


「俺も?」


「寝ろ」


「まだ仕事が」


「お前、いつから寝てない」


 レイは記憶を辿った。


 今日、昨日、その前まで遡ってみても、まともに眠ったのがいつだったか思い出せない。


「……覚えてない」


「寝ろ」


 反論できなかった。


◆


 バルガスの家へ戻る頃には、村はすっかり警戒態勢に入っていた。


 通りの要所には松明が置かれ、柵の近くでは猟師たちが交代で見張りに立っている。


 遠くの鐘は、あれから鳴っていない。


 少なくとも、人の耳には。


 レイにはまだ、遠方から伝わる十三番目の響きがかすかに残っていた。


 完全に消えたわけではない。


 部屋へ入ると、フィアが机に座り、右手だけで何かを書いていた。


「寝ろって言われてなかったか」


「レイさんもですよね」


「俺は今から寝る」


「私もこれが終わったら寝ます」


 紙を見る。


 今日起きたことを記録しているらしい。


 森狼の襲撃。


 負傷者。


 井戸と畑の状態。


 季塔。


 灰色の人物。


「盗まれても全部なくならないように、写しを作っとこうと思って」


「いいと思う」


 レイは椅子へ座り、工具鞄を膝へ乗せた。


 中には、灰色の人物が残した円盤がある。


【封環】


 三鋲。


 三本爪の鍵。


 十三月。


 グレンの師匠。


 北方各地で始まった異常。


 今まで一本ずつだった謎が、急に何本も絡まり始めている。


「レイさん」


「何だ」


「明日、どうするんです?」


 答えを求めるというより、フィア自身も今後の動きを整理しているような声だった。


 レイは少し考える。


「朝になったら村の被害を確認する。塔の出力が今のままなら、地下は触らない」


「灰色の人は?」


「追わない。今はな」


 フィアは少し意外そうにしたが、それ以上は言わなかった。


「じゃあ、何を調べる?」


「盗まれた来訪者記録」


「でも、もうないですよ」


「だから別のところから探す」


 3年前。


 村へ誰が来たのか。


 役場の記録が盗まれても、人の記憶までは持ち去れない。


 宿を使ったかもしれない。


 店で物を買ったかもしれない。


 猟師や村人が顔を見ているかもしれない。


 何かしら痕跡は残っている。


「それと、グレンが来るなら、その前に少しでも材料を増やしたい」


「来るんですか?」


「たぶん」


「連絡ありました?」


「ない」


「じゃあ何で」


「俺が命令を破って、十三月を見つけて、村を凍らせかけて、旧式設備を扱える身元不明者と接触した」


 レイはそこまで言ってから、少し考えた。


「来ない理由あるか?」


 フィアも考える。


「……なさそうですね」


「だろ」


 グレンが怒っている顔は簡単に想像できた。


 問題は、その後だ。


 今度こそ聞く。


 十三月のこと。


 三鋲のこと。


 師匠のこと。


 そして、なぜレイをこの村から遠ざけようとしたのか。


 その時だった。


 外から馬の蹄の音が聞こえた。


 一頭ではない。


 村の入口で見張りの声が上がる。


 こんな夜中の来客を、素直に歓迎できる状況ではない。


 レイとフィアは同時に顔を上げた。


「……まさか」


 レイは立ち上がった。


 外へ出ると、北側の道から三つの灯りが近づいてくる。


 馬が3頭。


 先頭の騎手は長い外套を羽織っていて、暗闇の中ではまだ顔までは見えない。


 だが、馬を降りるより前にレイには分かった。


 季音ではない。


 単純に、見慣れている。


 先頭の男がこちらを見た。


「遅い」


 聞き慣れた低い声だった。


 レイは思わず額を押さえた。


「……本当に来た」


 グレン・アルディスが、リュネ村へ到着した。

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