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十三月の環暦士 ~季節の果てで鐘が鳴る~  作者: 久遠こよみ
第1章 冬を失くした村

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第15話 三鋲の影

 リュネ村へ戻る頃には、森の中まで夕闇が入り込んでいた。


 レイとロウはほとんど休まず走ったが、途中から三鋲の靴跡を追うのは諦めざるを得なかった。


 貯水池から続いていた跡は、村に近づくにつれて荷車の轍や森狼を追った猟師たちの足跡に紛れ、どれが目的のものなのか見分けがつかなくなっていた。


「村までは来てる」


 ロウは地面を見ながら言った。


「そこから先は?」


「無理だな。狼騒ぎでぐちゃぐちゃだ」


 レイは木々の向こうに見える村の灯りへ目を向ける。


 貯水池の点検箱に残っていた泥は新しかった。ロウの見立てでは今日か、せいぜい昨日。


 つまり、あそこを触った何者かは今も遠くへ離れていない可能性がある。


「急ぐぞ」


「もう十分急いでる」


「もっと」


「山道で俺より前に出るな。転げ落ちるぞ」


「今日、何回危ないって言われたかな」


「数えたくなるくらい言われてる時点で反省しろ」


 もっともだった。


 村の入口へ出ると、壊された南側の柵には荷車が横向きに固定され、その隙間を男たちが木材で塞いでいた。


 松明を持った猟師も数人立ち、森の方へ目を光らせている。


 もう誰も、戻ってきた冬を喜んではいなかった。


「レイさん!」


 村役場の前からフィアがこちらへ向かってくる。


 左腕はまだ首から吊られていたが、地下から戻った時より顔色は良くなっている。


「走るなって言っただろ」


「今それどころじゃないです!」


「腕は?」


「感覚は戻ってきてます。それより役場です。誰か入ったみたい」


 レイとロウは顔を見合わせた。


「いつ?」


「森狼が来た後。みんな南側に集まってた間です」


 フィアは答えながら、もう役場へ戻り始めていた。


「お父さんには話してあります。ロウさんも来て!」


「俺もかよ」


 文句を言いながらも、ロウは付いていく。


 レイもその後を追った。


◆


 村役場は、一見しただけなら荒らされているようには見えなかった。


 机も椅子も元の位置にあり、窓ガラスも割れていない。


 だが、記録棚の扉が開いている。


「気づいたのは?」


「戻ってきた村の人です。帳面を取りに来たら、棚が開いてたって」


 フィアは机の上へ数冊の帳面を並べていた。


「私とお父さんで確認しました。なくなってるのは、たぶん2つです」


「何がない」


「3年前の来訪者記録と、北西側の古い水路図」


 ロウの表情が変わった。


「貯水池が載ってるやつか」


「載ってます。村の北西側は、あれが一番詳しい地図でした」


 レイは開いた棚へ近づく。


 中はほとんど乱れていない。必要なものがどこにあるか、最初から知っていたような取り方だった。


「金や食料は?」


「触られてないと思います」


「他の記録は?」


「大事そうなのは移しました」


 フィアは迷いなく答えた。


「一ヶ所に置いとくのは危ないから、お父さんの家と薬師さんの家に分けてあります。塔の保守記録は私が持ってる」


 レイは少しだけ目を見開いた。


「もうそこまでやったのか」


「待ってるだけなの、嫌だったので」


「正解だと思う」


「素直に褒めた」


「俺だって褒める時はある」


「珍しいから覚えときます」


「忘れていい」


 フィアは小さく笑ったが、すぐ役場の奥を指した。


「裏の窓も見てください」


 窓枠の留め金には細い傷が残っていた。


 ロウが指先でなぞる。


「外から工具を入れて持ち上げたな」


「鍵を壊さずに?」


「ああ。音もあんまり出ねえ」


 レイも傷を見る。


 乱暴にこじ開けた跡ではない。


「慣れてるな」


 少なくとも、村の誰かが思いつきで忍び込んだとは考えにくい。


「見た人はいないのか」


「顔を見た人はいません。でも、子供が一人だけ、役場の裏にいた人を見てます」


「特徴は?」


「灰色の服。大人。男か女かまでは分からなかったって。北の方へ歩いていったそうです」


 灰色。


 レイは工具鞄へ目を落とした。


 中には、貯水池の点検箱から回収した布片が入っている。


「こっちでも見つけた」


「何を?」


 レイは貯水池で起きたことを説明した。


 人為的に流量を変えられていた調整歯車。


 新しい工具跡。


 乾き切っていない泥。


 踵に三つの金属鋲が並んだ靴跡。


 そして、王立環暦局の紋章が入った灰色の布片。


 フィアは途中で口を挟まず、最後まで聞いた。


 やがて記録棚へ視線を向ける。


「それで、なくなったのが3年前の来訪者記録……」


「ああ」


「偶然にしては嫌ですね」


「俺もそう思う」


 ロウが腕を組んだ。


「村まで戻ってきた跡があった。ここに入った奴と同じなら、俺たちが貯水池にいる間に動いてたってことになる」


 フィアは少し考え込んだ後、通信室の方へ顔を向けた。


「もう一つあります」


 その言い方で、レイは嫌な予感がした。


「まだあるのか」


「あります」


「今日は豊作だな」


「全然嬉しくないです」


◆


 通信室の床には、細長い紙が途中まで垂れていた。


 機械は動いていない。


 レイが紙を拾う。


【レイ 応答しろ】


 それだけが印字されていた。


「誰から?」


「グレンさんです」


 レイがフィアを見る。


「名前、知ってたか?」


「前に通信した時、レイさんが師匠って言ってた人ですよね」


「ああ、それ」


「私だって全部忘れてるわけじゃないです」


「失礼した」


 ロウが紙を覗き込む。


「師匠って、例の一級環暦士か」


「ああ」


「何て言ってんだ」


「応答しろ、だけ」


「短えな」


「だいたいいつもこんな感じだ」


 レイは通信機を見る。


「返した?」


「返そうとしたんです。でも動かなかった」


 フィアは建物の裏へ続く扉を開ける。


「外を見たら、線が切られてました」


 三人で裏へ回った。


 壁沿いに伸びる通信線は、数メートル先の接続箱へ入っている。


 蓋を開く。


 中で一本の導線が切れていた。


 断面は潰れていない。刃物で切ったように綺麗だった。


「自然に切れたんじゃないな」


 ロウが低い声で言う。


「ああ」


 役場へ入り、必要な記録だけを持ち去った。


 さらに通信を切った。


 同じ人物なら、目的を持って動いている。


「グレンから通信が来たのはいつ?」


「レイさんたちが村を出てから、しばらくしてです。最初の一行が出たところで止まりました」


「なら、線を切った奴は通信が入った後まで村にいた可能性がある」


 ロウが周囲を見回した。


「今もいるかもしれねえぞ」


 レイは家々の方を見る。


 森狼の襲撃後で人の出入りは多い。灰色の服を着た人間が一人混じったところで、顔さえ隠していれば見逃されても不思議ではなかった。


「フィア」


「はい」


「バルガスさんに、知らない人間を一人で追わないよう伝えてくれ。村の人にも」


「分かりました」


「見つけても捕まえようとするな」


 フィアの表情が少し硬くなる。


「危ない人だと思ってる?」


「役場へ忍び込んで通信まで切る奴を、安全とは言いたくない」


 フィアは頷いた。


「伝えてきます」


 走り出しかけて、レイを見る。


「走りません」


「まだ何も言ってない」


「顔に書いてありました」


 そう言って、今度は本当に早歩きで去っていった。


 レイは接続箱へ向き直る。


「直せるのか」


 ロウが聞く。


「これくらいなら」


「何でも直すな」


「何でもは無理だ」


 工具鞄を開く。


 森狼に噛まれたせいで中身は悲惨だったが、細い鉗子と圧着具は無事だった。


「……よかった」


「何が」


「鉗子」


「お前、ほんと道具好きだな」


「触るなよ」


「触らねえよ」


 そこだけは即答だった。


 レイは切れた線の被覆を剥がし、内部の導線を繋ぎ直していく。


 昔、グレンの共鳴鉗子を壊した時よりは簡単だ。


 あれは3日かかった。


 思い出しただけで胃が痛い。


「これでいける」


 接合部分へ絶縁布を巻き、蓋を閉じる。


 二人で通信室へ戻ると、ほどなくフィアも戻ってきた。


「お父さんに伝えました。猟師の人たちにも回してくれるって」


「助かる」


「通信は?」


 レイが送信鍵を一度押す。


 カチ、と機械が応えた。


「直った」


「ほんとに何でも直しますね」


「だから何でもじゃない」


 ロウとフィアがほとんど同時に笑う。


 レイは椅子へ座った。


「送る」


◆


【グレン レイだ】


 送信鍵から手を離す。


 数十秒ほどして、通信機が動いた。


【まだ村にいるのか】


 レイは少しだけ眉を寄せる。


【いる】


 すぐに返ってくる。


【命令違反だ】


【後で聞く】


 一拍置く。


【先に報告する】


 返事はしばらく来なかった。


 やがて一行だけ出る。


【送れ】


 レイはこの2日ほどに起きたことを、できるだけ短くまとめて打ち始めた。


【地下旧設備で十三本の季環を確認】


【十三月に関する保守記録を発見】


【十三月季環が起動】


【村へ冬季素が急激に流入】


 そこで一度手を止める。


「十三月って、普通に送るんですね」


 横に立つフィアが言った。


「もう隠しても仕方ない」


「怒られません?」


「もう怒られること増えすぎた」


「それもそうですね」


 レイは続きを送る。


【旧保守室で遺体を発見】


【徽章に第四十一季塔 第七次改修班】


【氏名は一部判読不能 末尾ラウゼ】


 通信機が反応した。


【待て】


 レイの指が止まる。


【遺体の状態は】


 そこに反応するのか。


 レイは打つ。


【推定数十年以上経過】


【左半身白骨化】


【右半身のみ凍結保存に近い状態】


 今度の沈黙は少し長かった。


【触れたか】


【徽章のみ確認】


【素手ではない】


【ならいい】


 何がいいのか。


 そこを問い詰めたい気持ちはあったが、今は報告を先に終わらせる。


【その後 村で森狼複数が異常行動】


【負傷者あり】


【同行者1名も旧設備内で季素異常による負傷】


【現在は両名とも命に別状なし】


 ここでグレンから返事が来た。


【お前は】


【無傷】


 レイは少し考える。


【工具は壊れた】


 紙が止まった。


 数秒後。


【聞いていない】


 フィアが吹き出した。


「怒られてる」


「知ってる」


【俺も無傷】


【続ける】


 今度は貯水池でのことを送る。


【村の冬季素を逃がすため北西の旧貯水池を確認】


 通信機が止まった。


 レイはその変化を見逃さなかった。


 さっきまで一定だった返答が途切れた。


 数秒。


 十数秒。


【北西の貯水池か】


 レイは紙を見つめる。


 知らなければ、こういう返し方はしない。


【知っているのか】


 今度はすぐに返事が来なかった。


【古い設備図で見た】


【どの設備図だ】


 また止まる。


 答えの代わりに、別の文が返ってきた。


【貯水池で何を見つけた】


「逃げたな」


 レイが呟く。


「何がです?」


「質問から」


 フィアも紙を見て、納得したように口を閉じた。


 レイは報告を続ける。


【北側点検箱に新しい工具跡】


【内部調整歯車が人為的に変更】


【貯水池側を絞り村側へ流れやすくされていた】


【王立環暦局の紋章が入った灰色の布片を発見】


 通信機が動く。


【布は保管しろ】


【紋章だけで局員と断定するな】


 そこはレイと同じ判断だった。


【していない】


 次を送る。


【点検箱付近から村方向へ新しい靴跡】


【現地猟師が確認】


【踵に金属鋲3つ】


 通信機が止まった。


 今までで一番分かりやすい沈黙だった。


 ロウが紙を覗き込む。


「今の何かまずかったか」


「たぶん三鋲」


「知ってんのか?」


「向こうがな」


 ようやく文字が出る。


【三つとも横一列か】


 レイはロウを見る。


「横一列だったよな」


「ああ。少し弧になってた」


 レイが送る。


【踵に弧状で3つ】


 返事を待つ。


【……旧式の作業靴だ】


 次の行。


【現在の環暦局では使っていない】


【いつの規格だ】


 少し間が空いた。


【少なくとも俺が環暦士になった頃には廃止されていた】


 グレンが若い頃ですら、すでに旧式だったということになる。


 レイは続ける。


【第七次改修と関係あるのか】


 返事が止まった。


 数秒。


 十数秒。


【記録には残っていない】


 レイは眉を寄せる。


【ならなぜ知ってる】


 今度の沈黙はさらに長かった。


 やがて通信機が低い音を立てる。


【俺が知ったのは記録からじゃない】


 続いて一行。


【師匠から聞いた】


 レイの指が止まった。


 グレンが自分の師匠について話したことは、ほとんどない。


 それどころか、グレンは昔の話そのものをあまりしたがらなかった。


 若い頃にどこの季塔を回ったとか、どんな失敗をしたとか、酒の席で笑い話にできる程度のことなら時々口にする。


 だが、自分が誰に教わったのか。


 何を見てきたのか。


 環暦士になる前後の話へ踏み込むと、いつも適当な冗談で話を逸らした。


 レイも、これまでは無理に聞かなかった。


【その師匠は十三月を知っていたのか】


 返事は短かった。


【知っていた】


【どこまで】


 しばらく紙は動かなかった。


【分からない】


 レイは目を細める。


【お前の師匠だろ】


【師匠が弟子に全部話すと思うな】


 その一文には、何も返せなかった。


 妙に説得力がある。


「レイさんも同じことされてません?」


 フィアが小声で言った。


「今それを考えてた」


 通信機が再び動く。


【第七次改修の後 十三月設備の封鎖に関わった者がいた】


【正式な記録にはほとんど残っていない】


 レイは紙を見つめた。


 78年前。


 第四十一季塔の第七次改修が行われ、その後に十三月の設備は封じられた。


 グレンは、その時代のことを記録ではなく、自分の師匠から聞いている。


 それ以上の繋がりまでは、まだ分からない。


【三鋲もその話で聞いたのか】


【ああ】


【他に何を聞いた】


 返事は来ない。


【グレン】


 しばらくして、ようやく紙が動いた。


【レイ】


【三鋲の靴を履いた人間を見つけても追うな】


 レイの眉が寄る。


【理由】


 今度は比較的早かった。


【師匠に昔 一度だけ言われた】


 続く。


【三鋲を見たら近づくな】


 それだけだった。


「……理由は?」


 フィアが呟く。


「書いてない」


「聞かないんです?」


「聞く」


 レイは送信鍵へ手を伸ばした。


 その瞬間。


 通信機の音が途切れた。


「……何だ?」


 鍵を押す。


 反応しない。


 さっき直したばかりだ。


 嫌な予感がした。


「ロウ!」


 呼ばれたロウは、すでに通信室の出口へ向かっていた。


「裏だな!」


 三人で外へ飛び出す。


 接続箱へ走り、レイが蓋を開ける。


 繋ぎ直したはずの線が、また切れていた。


 今度は接合部分ではない。


 その少し先に、新しい切断面が光っている。


「……今だ」


 ロウが低く言った。


「さっき切られた」


 レイは周囲を見回す。


 家の灯りが届くのは途中までで、その先には夜の村が広がっている。


 フィアの顔から血の気が引いた。


「まだ近くにいる……」


 その時、表通りから声が上がった。


「フィア!!」


 バルガスだ。


 三人は同時に走り出した。


 通りへ出ると、バルガスが杖を突きながら季塔の方を見ている。


「お父さん!」


「塔だ!」


 村人たちも同じ方向を見ていた。


 第四十一季塔。


 夜空を背に、十三本の淡い光環を浮かべている。


 その正面に、一人の人影が立っていた。


 灰色の長い作業服。


 こちらへ背を向けたまま、塔を見上げている。


「誰だ!」


 ロウが叫ぶ。


 人影がゆっくり振り返った。


 距離があり、顔までは見えない。


 男なのか女なのかも分からなかった。


 それでも、逃げる様子はない。


 レイは無意識に工具鞄へ手を掛ける。


 人影が一歩だけ動いた。


 月明かりが足元を照らす。


 踵に、小さな金属が三つ並んでいた。


 ロウの声が低くなる。


「……あいつだ」


 グレンから届いたばかりの言葉が、レイの頭に残っていた。


 三鋲を見たら近づくな。


 灰色の人物は、こちらを見たまま右手を上げる。


 握っているものが、十三月季環の光を反射した。


 三本の爪が付いた、短い金属の柄。


 西側の壁。


 地下の門。


 氷の中で死んでいた環暦士。


 すべてに同じ形があった。


「……鍵」


 レイの口から言葉が漏れる。


 その直後。


 灰色の人物が、三本爪の鍵を季塔へ向けた。


 カァン――。


 誰も触れていない鐘が、一度だけ鳴った。


 十三番目の環が、夜の村を照らすほど強く光った。

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