第12話 白い村
バルガスの家へ戻った頃には、リュネ村の景色がすっかり変わっていた。
屋根は白く、石垣には霜が張りつき、畑の土は踏めば硬い音を返す。空から雪が降ったわけではない。それでも村全体が、一晩で真冬へ放り込まれたようだった。
家の扉を開けた瞬間、バルガスの視線がフィアの左腕へ落ちた。
「……何だ、それ」
「ちょっと切っただけ」
「その腕で言うな」
季素遮断布を巻いた左腕は、肘の下まで白い霜に覆われている。進行そのものは止まっていたが、指先の色はまだ悪い。
バルガスは杖を置き、娘の腕を取ろうとした。
「触らないでください」
レイが止めると、バルガスの手が空中で止まった。
「触るとまずいのか」
「普通の凍傷じゃありません。傷口から季素が入り込んでる可能性がある」
「治るのか」
今度の問いには、レイもすぐ答えなかった。
「……治します」
「そうじゃない。治るのかって聞いてる」
バルガスの声が低くなる。
フィアが父親を見る。
「お父さん」
「黙ってろ」
「でも――」
「お前は怪我して帰ってきた側だ」
普段なら言い返すフィアが、そこで口を閉じた。
レイは遮断布の留め具を確認する。
「指は動いてます。感覚も少し戻ってきてる。今すぐ腕を失うような状態じゃありません」
「……今すぐ、か」
「適当なこと言って安心させる方が嫌でしょう」
バルガスはしばらくレイを睨んでいたが、やがて大きく息を吐いた。
「薬師を呼ぶ」
「お願いします。ただ、布は外さないよう伝えてください」
「分かった」
バルガスが立ち上がる。
「お父さん」
フィアがその背中へ声を掛けた。
「何だ」
「ごめん」
バルガスの足が止まる。
「帰ってきたんだから、それでいい」
それだけ言って家を出ていった。
フィアは少しだけ俯いた。
「怒鳴られると思ってた」
「俺も」
「レイさんも怒られると思ってたんですか?」
「そっちはまだ終わってないと思う」
「……確かに」
二人で顔を見合わせたところで、外から叫び声が聞こえた。
「フィアー!!」
休む暇はなさそうだった。
◆
村の薬師にフィアを預け、レイは外へ出た。
寒い。それも、普通の寒さではなかった。
風が吹くたび、露出した皮膚を細い針で刺されるような感覚がある。昼間まで秋の虫が鳴いていた土地とは思えない。
村役場の前には十数人が集まり、それぞれが被害を訴えていた。
「東の井戸も凍った!」
「牛小屋の水桶が全部駄目だ!」
「畑の豆が……」
「一度に喋るな!」
フィアがいない今、バルガスが杖を突きながら声を張る。
「水が必要な家は名前を書け! 家畜は南の共同小屋に集めろ、あそこなら大きい炉がある!」
脚を悪くしていても、村長は村長らしい。
レイは人の間を抜けて畑へ向かった。
冬豆。フィアが最初の日に見せてくれた作物だ。
本来なら冷え込みを経験してから春に育つ。ようやく必要な冬が来たこと自体は悪くない。
問題は、その冷え方だった。
レイが葉へ指先を触れた瞬間、ぱき、と乾いた音を立てて一枚の葉が砕けた。
「……やりすぎだ」
土も凍っている。表面だけではなく、測定棒を刺すと20センチほど下まで硬くなっていた。
これでは「冬が来た」では済まない。畑を休ませるための寒さではなく、根まで殺す寒さだ。
レイは工具鞄から季素計を出した。
冬季反応の針が上限近くまで振れる。
「3倍……いや、まだ上がるのか」
「何が3倍なんです?」
聞き慣れた声がして、レイは振り返った。
「なんでいる」
フィアが立っていた。
左腕は新しい布で固定され、首から吊られている。
「薬師さんに追い出されました」
「嘘つけ」
「ばれました?」
「寝てろ」
「村がこの状態で?」
そう言いながら、フィアは畑を見る。
さっきまでの軽い表情が消えた。
凍った冬豆へ右手を伸ばし、触れる寸前で止める。
「……駄目になってますね」
「全部じゃない」
「それ、慰めてます?」
「事実を言ってる」
フィアは少しだけ畑を見回した。
「じゃあ、残った分を助けます」
レイは止めなかった。どうせ止めても動く。
それなら片腕で無茶をさせない方法を考えた方が早い。
「村の畑、どこまで季脈が通ってる」
「だいたい分かります」
「地図が欲しい」
「役場にあります」
「持ってきてくれ。ただし走るな」
「子供じゃないですよ!」
「怪我人だ」
フィアは不満そうな顔をしたものの、今度は素直に歩いていった。
少しは成長したらしい。
お互いに。
◆
村役場の机いっぱいに地図を広げる。
農地、井戸、家畜小屋、水路、季塔から伸びる季脈。レイは森で確認した保守口の位置も書き込んだ。
フィアは右手だけで別の紙へ被害状況を書いている。
「北の畑が一番ひどいです。東は井戸が2つ駄目。南はまだ水が使える家が多い」
「家畜は?」
「山羊が2頭弱ってる。牛は共同小屋に移しました」
「人は」
「転んで怪我した人が3人。凍傷っぽい人が1人。今のところ、それだけです」
「十分多い」
レイは地図を見る。
被害は均一ではない。季塔に近い場所ほど寒いわけでもなく、北側だけが特別にひどいわけでもない。
だが、季脈の位置と重ねると別のものが見えてきた。
「……季脈沿いだ」
冬の季素が強く流れている枝脈ほど、周囲の凍結が激しい。
「第四十一季塔が冬を配ってるんじゃない」
レイは先ほど地下で見つけた記録を思い出す。
【冬季回収路――停止せず】
十三月季環。
年間誤差補正。
冬季余剰調整。
断片だった言葉が、頭の中で繋がった。
「フィア」
「はい」
「3年間、この村に冬が来なかった」
「うん」
「でも冬そのものは消えてなかった。地下へ集められてた」
フィアの視線が地図から上がる。
レイは炭筆で3本の線を塔へ向かって引いた。
「十三月の設備は、季節のずれを調整するために使われてた。たぶん一年の最後に余った季素を回収したり、足りない分を補ったりしてたんだ」
それなら、十三月が十二月と一月の間に存在した理由も説明できる。
一年の終わりに四季の帳尻を合わせ、次の一年へ正常に繋ぐための調整期間。
「でも今は十三月がない」
フィアが言った。
「ああ。それなのに設備だけ残ってる」
しかも78年前の第七次改修で、現行の第四十一季塔と接続された。何十年も眠っていた古い仕組みが3年前から冬を回収し始め、昨日になって十三月季環そのものが起動した。
フィアは地図の上に引かれた線を見つめた。
「……3年分、溜まってる?」
レイは黙った。
同じ考えだった。
この3年間、村へ届くはずだった冬は完全に消えたわけではない。地下へ回収されていた。
それを今、一度に戻そうとしている。
「そんな馬鹿な機械ある?」
「機械からしたら馬鹿じゃないのかもしれない」
フィアが顔を上げる。
「3年かけて溜まった誤差を、ただ数字通りに直してるならな」
人間にとっては3年であり、作物にとっては3回の冬だ。だが設備からすれば、単なる不足量にすぎないのかもしれない。
足りなければ補い、多ければ減らす。その結果として村が凍ろうと、機械には関係がない。
「正しく動いてる……?」
「可能性はある」
「それ、壊れてるより嫌ですね」
「俺もそう思う」
故障なら直せる。壊れた部品を見つければいい。
だが、設計通りに動いて人を殺す機械は、何を直せばいい。
レイは工具鞄の中にある金属板を思い出した。
【環を止めるな】
止めれば何かが起きる。
だからといって、このまま動かしても村がもたない。
「止められないなら、流す場所を変える」
レイが言うと、フィアもすぐ地図へ目を戻した。
「冬を村の外へ逃がす?」
「ああ。3年分を消すことはできない。なら、人のいない場所へ流す」
畑、井戸、家畜小屋から遠ざける。
レイは地図の北西へ指を置いた。
森のさらに先、山の麓に小さな青い印がある。
「ここは?」
「古い貯水池です。今はほとんど使ってません。人家もないです」
「水は残ってる?」
「かなり」
悪くない。
大量の水なら、冬季素を受け止める緩衝材になる。完全に安全とは言えないが、村を直接凍らせ続けるよりはましだ。
「冬の流れを貯水池側へ逃がす。保守弁を何ヶ所か切り替えればいける」
フィアはすぐ地図を指で辿った。
「なら、ここと……ここ。子供の頃に鉄蓋を見た覚えがあります」
レイも位置を見る。
ちょうど季脈の分岐点だ。
「使える」
レイが立ち上がる。
「バルガスさんに話す」
フィアも続こうとした。
「私も――」
「来るな」
「でも」
「今度は本気で来るな」
強く言うと、フィアが黙った。
レイは彼女の左腕を見る。
「昨日なら止めなかった。でも今日は駄目だ」
「……足は動きます」
「腕を一本失いかけた」
「それでも案内くらいなら」
「地図がある」
フィアの眉が寄る。
言いたいことがあるのは分かる。
レイは少しだけ声を落とした。
「村にいてくれ。バルガスさん一人じゃ全部は見られない。畑も水も家畜もある。俺が外で失敗した時、村の方を動かせる奴が必要だ」
フィアはしばらく黙っていたが、やがて椅子へ座り直した。
「……ずるい言い方」
「事実だ」
「そういうところ嫌いです」
「知ってる」
「まだ嫌いとは言ってませんでした」
「じゃあ今知った」
フィアが呆れたように息を吐く。
「絶対戻ってきてくださいね」
「工具置いてきてるから戻る」
「私より工具!?」
「冗談だ」
「分かりにくい!!」
少しだけ、いつもの調子が戻った。
その方がいい。
◆
「北西の貯水池へ流す?」
説明を聞いたバルガスは、地図を睨みながら唸った。
「村は助かるのか」
「今よりは」
「貯水池は?」
「凍るかもしれません」
「森は」
「周辺も冷える。山まで影響が出る可能性もあります」
レイは誤魔化さなかった。
「完全に安全な方法じゃありません。ただ、今のままなら村の畑と水場が先に駄目になります」
バルガスは黙って地図を見る。
村長として、土地を守る人間として、簡単に決められることではない。
森も村の一部だ。
狩り場になり、薪を取り、薬草を採り、水源にもなる。
そこへ異常な冬を押しつける。
「どれくらい時間がある」
「分かりません」
「またそれか」
「すみません」
バルガスは杖の柄を握ったまましばらく考え、やがて顔を上げた。
「やれ」
「いいんですか」
「村がなくなったら、森を守る人間もいなくなる」
決断は早かった。
「ただし、戻せるようにしろ」
「そのつもりです」
「あと一人で行くな。ロウを連れてけ」
レイは嫌な予感がした。
「熊追ってませんでした?」
「戻ってきた。ちょうど今、裏で飯食ってる」
山に詳しく、弓も使える。
理屈は分かる。
「俺、熊より設備の方が得意なんですけど」
「俺もお前を熊と戦わせるつもりはない」
「なら安心しました」
バルガスの顔はまったく安心していなかった。
「ロウ!」
家の裏から声が返ってくる。
「聞こえてる!」
「環暦士さんと貯水池行け!」
「今飯食ってんだけど!」
「持ってけ!」
「扱い雑じゃねえか!?」
フィアが笑い、レイも少しだけ口元を緩めた。
その直後だった。
村の南側から犬が激しく吠え始めた。一匹ではない。何頭も連なる鳴き声に続いて、家畜小屋の方から牛の声が上がる。
バルガスが顔を上げた。
「……何だ?」
フィアはもう立っていた。
左腕を庇いながら窓へ寄る。
外では村人たちが南の柵へ向かって走っていた。
レイも戸口へ出る。
冷たい風が吹き抜ける凍った道の向こうで、村を囲む木柵のそばを何かが動いていた。
一つではない。
低い影がいくつも、白い息を吐きながら柵の外を歩いている。
ロウが裏口から出てきた。
片手には食べかけのパン、もう片方にはいつの間に取ったのか弓がある。
表情だけは、さっきまでとは別人だった。
「全員、家に入れ」
バルガスが杖を握り直す。
「何がいる」
ロウは柵の向こうを見たまま、パンを地面へ落とした。
「森狼だ」
レイにも見えた。
1頭、2頭。そのさらに奥にもいる。
全部で何頭いるのか、木々の陰では分からない。
ただ、普通の狼とは明らかに様子が違った。
毛並みには霜が張りつき、痩せた身体のあちこちから白い息のようなものが漏れている。
先頭の1頭が柵へ前脚を掛けた。
触れた木材がみるみる白く凍りついていく。
「……あれも冬の影響か」
ロウが矢を番えた。
「考えるのは後にしろ」
ばきん。
柵の一本が折れた。
フィアが右手だけで弓を取ろうとする。
レイは止めなかった。
止める暇がなかった。
森狼が一斉にこちらを向く。
そして最初の1頭が、壊れた柵の隙間から村へ飛び込んできた。




