第三幕:生身の「猿」、異世界をハックする
大河をロックオンしていた巨躯の武将――権六と呼ばれた男が、機械の腕を引いて一歩下がった。
「――おっと、殿か」
権六と呼ばれていたということは今の武者が『鬼柴田』と謳われたかの猛将、柴田勝家か――などと考える暇もない。
サイバー足軽たちの列を割り、ゆったりと進み出てきたその男を見た瞬間、大河の身体は恐怖とは別の、圧倒的な格の差によって硬直した。
男が身に纏う漆黒の南蛮胴具足。それは、周囲の兵たちのような無骨な鉄錆色とは一線を画す、流線型の美しさを湛えたミリタリーグレードの超高級義体だった。肩から掛けた漆黒のマントの裏地には、まるで夜空の星のように、電脳世界のバグノイズを模した光の粒子が静かに流れている。
間違いない。この男が、織田の軍勢の頂点。
「権六よ、何を騒いでおる」
低く、しかし驚くほど澄んだ声。男が発した言葉の残響に、周囲の空間が一瞬、ピリッと静電気を帯びたように震えた。
「はっ。街道の脇に不審な熱源を感知いたしまして。生体スキャンを施したところ、奇妙なことに電脳の形跡が一切ございませぬ」
権六の報告を受け、織田信長とおぼしき男の切れ長の目が、ゆっくりと大河へと向けられた。その双眸は、深淵のような漆黒のレンズだ。
「ほう……。おい、十兵衛」
信長が軽く顎をしゃくると、彼の傍らに控えていた、白銀のスマートな甲冑を纏った端正な顔立ちの武将が歩み出た。その頭部には、戦場全体をホログラムの戦術マップとして投影する、異様な形状のバイザーが装着されている。
「スキャン致します」
冷徹な声と共に、十兵衛と呼ばれたその武将――明智光秀のバイザーから、細いグリーンのレーザーが放たれ、大河の頭部から足先までを往復した。
数秒の静寂の後、光秀は信長に向かって淡々と告げた。
「報告します。この男、脳内に電脳チップの形跡なし。四肢をはじめ、内臓に至るまで1ミリも改造されていません。ナノマシンによる強化の痕跡すら皆無……完全な、生身です」
その報告がシステムスピーカーから漏れた瞬間、静まり返っていた街道が、ドッと爆発的な笑い声に包まれた。
「ハハハ! 完全な生身だと!?」
「この時代に、電脳すら持たぬ人間が生きているとはな!」
「まるで野生の獣、いや、ただの原始人ではないか!」
サイバー武士たちが容赦ない嘲笑を浴びせてくる。
このサイバーパンク化した世界において、全身が生身のままの人間というのは、それほどまでに異常で未開な存在なのだ。
だが、彼らの中心に立つ織田信長だけは笑わなかった。
彼はバイクのシートから音もなく降り立ち、大河の目の前まで歩み寄ると、値踏みするように見下ろしてきた。
「面白い……」
信長が、その薄い唇を不敵に歪める。
「サイバーウェアのノイズを一切纏わぬ、真の『未開の猿』か。機械のノイズで満ちたこの世において、その何も持ち得ぬ静寂さは、むしろ新鮮ですらあるな」
信長はマントを翻し、背後の巨大な戦闘用バイクを指差した。
「おい、猿。命が惜しくば、俺のバイクの生体バッテリーでも磨いてみせろ。そのアナログな手垢で、俺の義体の熱を少しは冷ませるか試してやる」
――猿。
その言葉が鼓膜に触れた瞬間、大河の脳内に、文字通り電撃のような衝撃が走った。
(生身だから、猿……。織田信長に拾われて、バッテリーを温め、磨くことに……。ああ、そういうことか!)
歴史オタクの脳細胞が、一瞬で全てのパズルを繋ぎ合わせた。
彼はこの歪みきった電脳戦国時代において、現代の知識で無双するチート主人公などではない。
最低辺の猿として這い上がり、やがて天下を統一する存在――木下藤吉郎の役割を、この世界のシステムから与えられたのだ。
恐怖は、完全に消し飛んでいた。代わりに、胸の奥からドロドロとした熱い野心が湧き上がってくるのを感じた。
「……ハッ」
大河は地面に膝をついたまま、信長を見上げ、彼の不敵な笑みに負けないほどの笑みを返した。
ただの歴史知識なら、このバグった世界では通用しないかもしれない。だが、全員が電脳で繋がったこの世界だからこそ、完全なアナログである生身の人間にしか突けないシステムの穴が、ハッキングの余地が、絶対に無数にあるはずだ。このわずかな時間で、大河はそれを理解した。
「仰せのままに、織田の殿様。この『猿』、殿の御義体の熱からバイクのバッテリーまで、完璧に管理してみせましょう」
「フッ、減らず口を叩く。気に入った、連れて行け」
信長の命令で、プラズマのレーザー照準が一斉に消える。
大河は立ち上がり、油臭いサイバー武士団の列へと歩き出した。
――やってやろうじゃないか。この猿めに、お任せあれだ。
身なりはみすぼらしいままだが、青年の瞳は今や爛々と輝いていた。
ただの歴史オタクだった青年、豊田大河は、この歪んだサイバー戦国時代を根底からハッキングし、天下人まで成り上がることを心中で固く誓った。




