第11話:学園編:武道大会編(完璧な偽装)1
石造りの闘技場の中心、カドモスは完璧な角度で一礼した。
銀髪は陽光を反射し、非の打ち所のない執事服には塵一つ付いていない。
「お茶会以来ですね、ミント様。……私は運良く、ここまで勝ち上がることができました」
柔らかい物腰、整った容姿。だが、その瞳は笑っていない。
ミントは小太刀の柄に手をかけ、無機質な声を返す。
「……運だけで決勝まで進出できるほどの強運なら、執事より博徒に転向したら?」
ミントは以前、厨房のバックヤードで彼が白手袋を外した瞬間を視認していた。
その手は、皿を運ぶための繊細な指先ではない。執事の護身術というレベルではなく、騎士や剣士の方が近い。
厄介なのは、リング外の「政治的ネットワーク」だ。
貴賓席を見れば、アイリス王女とクロエ令嬢が親密そうに談笑している。
「……単なる勝利ではなく、観客と主人たちの心象を害さない最適解……あぁ、面倒な縛りプレイ」
「……どうかされましたか? ミント様」
カドモスは、執事らしい優雅な一礼の後、音もなく抜剣した。
両手で剣を顔の横に垂直に立てる構え。剣道の「八相」にも似た、後の先狙い。
ミントは無言でミラーグラスをかけ、腰の大小(刀と小太刀)を抜く。
「試合開始(実行)!」
審判の絶叫。だが、カドモスは微動だにしない。
ミントの脳内は、演算を開始した。
(……相手はカウンター狙い。なら小太刀を投擲し、物理的な目潰しを発生させる。
その隙に、逆手保持の刀で死角から最短の『切り上げ』を叩き込む。
……刀身が背後にあるから、相手は正確なリーチ(有効射程)を測定できないはず)
ふと一年前の記憶が脳裏をよぎった。アイリス王女の馬車を襲った賊の頭目。
……今、目の前のカドモスが取る、この完璧すぎる「構え」。
「――審判! 棄権させていただこう」
「……は?」
ミントの思考回路が、予期せぬ割り込みによって停止した。
カドモスは流麗な所作で剣を鞘に納めると、胸に手を当てて優雅に一礼する。
「淑女と刃を交えるのは、我が主の矜持に反する。
……主が友と呼ぶ方の、大切な『盾』を傷つけるわけには参りませんから」
その瞬間、会場を埋め尽くす貴婦人たちから、彼の「騎士道」を讃える割れんばかりの黄色い声援が降り注いだ。
優勝。
賞金獲得。
ミントのタスクは完了したはずだった。
だが……。
ミントは刀を乱暴に鞘に戻した。
主人同士の関係を考慮した、賢明な外交。
いや、一年前の「同一性」を悟られる前に逃走した、高度な隠蔽工作では?
試合を終えたミントを三人が迎えた。
「……あの隙のない構え、相当な使い手でした。ミント様との全力の交戦が見られなかったこと、心残りです」
ヘレンが真剣な面持ちで、惜しむように呟く。
一方、アイリス王女は満足げに目を細めた。
「ふふ、勝利よりも『紳士の道』を優先されたのね。
あるいは、我が国への外交的配慮かしら?
私のメイドには『実利の優勝』を、あちらの執事は『名誉の騎士道』を……。
双方にとって、これ以上ない落とし所ね」
つまり
実利の譲渡: ミント(およびアイリス王女側)に優勝賞金を譲る。
名誉の獲得: 自身と主が「名誉ある騎士道精神の持ち主」であるという高い評価を貴婦人たちから得る。
外交的均衡: 両陣営の面子を保ったまま、決定的な衝突を避ける「これ以上ない落とし所」として機能させる。
という意味だろう。
「なーにが紳士?試合前に棄権せずに、わざわざ見せ場を作ってから降りるなんて。
……『心証良く負けるため』の計算が見え見え。あざとーい!」
ラムが鼻を鳴らして吐き捨てると、ミントがジト目で横を向く。
「……彼だって、貴女にだけは『あざとい』なんて言われたくないと思うよ?」
「これは生存戦略! と、ミントは以前言ってた。人工と天然は違う」
軽口を叩き合いながらも、ミントの思考の底には、澱のような違和感が沈殿していた。
「……試合に勝って、勝負に負けた? いえ、そんな単純じゃないはず」
休憩室。
ティーカップから立ち上る湯気の向こうで、カドモスは完璧な執事の笑顔を維持していた。
「……優勝おめでとう、と私が言うのはおかしいですね。何か御用ですか、ミント様?」
その友好的な態度は、まるで事前に用意された定型文のようだった。
ミントの来訪を予感していたのだろう。
ミントは無言で彼の正面に座り、ミラーグラスのフレームを指先でなぞった。
「……あなたの淑女への配慮、貴婦人方には高評価の嵐だったみたいね。
でも、一つ確認させて。……ワタシがこの『ミラーグラス』を装備していなくても、
あなたは同じ結果(棄権)を選択したかしら?」
この世界で、ミントという個体だけが持つ特異な装備。
一年前の事件の中でこれを見た人間なら、これを忘れるはずがない。
カドモスの視線が、コンマ数秒、ミントの目元に固定された。
「……一年ほど前に、王女殿下の馬車が襲撃された事件があったの。
たまたま、その時の賊の頭目と、あなたの流派(八相の構え)が、一致していたわ」
カドモスの手が、ティーカップを置こうとした空中で停止した。




