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第八十六話 因縁解脱

真貴はユイを攫った大蜘蛛丸を追って湖岸に進む

ついに因縁を絶つときが来る

 大蜘蛛丸は、人質を取ったまま停めている馬まで行き、騎乗して一気に逃げようとしていた。逃げながら思った。

(ここで、すべて終わるはずだった……)


 先ほど短い時間、対峙した相手を思い出した。

(烏帽子を被らぬ、細身の姿、女……あれが龍神の巫女)


 大蜘蛛丸の十二年は、龍神の巫女にわずかな刻で砕かれた。大蜘蛛丸の中で、先ほどまで縮こまっていた怒りが再び噴き上がった。

(龍神の巫女を屠る――今一度、奪われたものを取り返す)

 大蜘蛛丸は、人質を使って、龍神の巫女を倒そうと決めた。


 真貴は一人で大蜘蛛丸とユイを追った。

 一人になったことは、ある意味、幸いだった。もし、正季や秀柾がともであれば、大蜘蛛丸は見境がなくなりユイを手にかけることも十分に考えられた。


 薄明が始まっていた。星々は煌めきを失い、上野側の山々の際が浮かび上がって来た。


 大蜘蛛丸は追跡者が一人であることに気が付いていた。そして、その一人は龍神の巫女であると確信があった。


 人質と巫女とを同時に屠る策が形になった。


 里から加勢が来てはまずいので、できるだけ里から遠く分かりにくい場所を求めた。湖岸こそが目的に適うと判断した。


 真貴は、意図的に姿を見せながら大蜘蛛丸を追った。ユイを絶望させないためと、大蜘蛛丸がユイを殺めて一気に逃亡するのを阻止したかった。

(この男を、ここで終わらせねばならない……)

 自分一人が相手なら、大蜘蛛丸は決着をつけようと、足を止めると考えていた。


 ユイは、殺されるかもという恐怖とともに、自分を引きずる男が「兄」ということにまったく納得ができないことに気が付いた。ユイの知る兄弟とは、真貴・秀柾であり、重平・セイである。「縁は人を縛るものではない」という真貴の言葉が、胸の奥でほどけていくのを感じた。


 大蜘蛛丸は湖岸に着いた。空は明るさを増し、明けの明星以外の星々の輝きは失せた。


 大蜘蛛丸は自分の前にユイを立たせた。

 ユイは背越しに大蜘蛛丸に問うた。

「巫女様を殺せると思っているの?」

 大蜘蛛丸は少女がさして怯えていないのが意外だった。

「……童女わらわめ、俺は、龍神の巫女を殺す。俺は玉葉だ」 

「玉葉……知らない」


 真貴が姿を現し、五間ほど間を開けて立ち止まった。真貴はゆったりと太刀を中段に構えた。


 大蜘蛛丸が低い声で問うた。

「来たか、龍神の巫女」

 真貴は静かに応じる。

「その子を放せ」

「うぬは、十四年前、俺の目を奪った武者の娘か?」

「そうだ」

「俺を討ちに追ってきたか」

「因縁を絶ちに来た」

「ほう……。では、望み通り、この子を返そう。童女、ゆっくりと前に進め」


 ユイが真貴の目を見た。真貴が小さくうなずいた。


 ユイはそっと、一歩を踏み出した。


 真貴はユイの肩越しに、大蜘蛛丸が左足を前に出し、薙刀を握る手に力を込めるのを見た。ユイが、自分の間近まで来たとき、薙刀で二人を斬り払う意図だと読んだ。ユイが近いと太刀を振るって応戦ができない。


 ユイはじっと真貴の目を見ながら、一歩、一歩を進んでくる。一間を空けて、大蜘蛛丸がユイの後に続いた。


 真貴は、ついに大蜘蛛丸がゆっくりと薙刀を振りかぶるのを見た。


 ユイは真貴の目が大きく見開いたのを見逃さなかった。

 真貴が叫んだ。

「ふせーっ!」

 ユイは瞬時に身を前方に投げ出した。


 真貴は太刀の柄尻を左手だけで掴み、膝抜きで大蜘蛛丸の左側前に低く飛び込んだ。伏せたユイの頭上をかすめるように太刀を振るい、大蜘蛛丸の構えた左足を払った。


 手ごたえはあったが、浅かった。


 大蜘蛛丸は、いきなり目の前の少女が消え、その向こうにいたはずの真貴が左前をよぎるように飛び込んできたのが分かった。振り下ろした薙刀が空を切り、左足に衝撃を受けた。


「逃げて!」

 真貴の声に、ユイは四つん這いから立ち上がり駆けだした。


 大蜘蛛丸は、一瞬呆然とした。足を斬られたのは分かった。次の瞬間、憤怒がみなぎった。痛みに屈辱が勝った。


 振り返ると、真貴が太刀を構えなおして立っている。


「おのれーっ!」

 大蜘蛛丸は薙刀を振り回し、真貴に迫った。


 真貴は薙刀の威力を知っている。太刀が届かない薙刀の間合いは死地になる。大蜘蛛丸は足の傷をものともせず、薙刀を振り上げては打ち下ろし、左右に払って真貴を追ってきた。真貴は、十分な間合いを取り動き回ることで、重い薙刀を振り回す大蜘蛛丸を倒す機会をうかがった。


 大蜘蛛丸は痛みも疲れも忘れた。もはや龍神の巫女だけしか目に入らなかった。必ず切り飛ばし、神殺しを成し遂げるという高揚感に恍惚となった。


 真貴は、大蜘蛛丸が「常ならぬもの」の気配を放ちだしたのが分かった。理性を保っている自分の方が先に力が尽きるかもとの恐れがよぎった。


 あたりが明るくなってきた。夜明けが間近となった。


 真貴は弧を描くように動き大蜘蛛丸の薙刀をかわし続けたが、徐々に水辺の方に追いやられた。真貴は片足が水に入ったところで、足が滑った。膝をついた。逃げるのが、一手、遅れた。


 大蜘蛛丸は、真貴の動きが遅れた瞬間を見逃さなかった。


「終わりだーっ!」


 首を斬り飛ばす高さで、右から大振りに薙刀を払った。これを受け止めても龍神の巫女は転倒する。勝ったと思った。


 真貴は大蜘蛛丸の構えを見て、とっさに太刀を立てた。凄まじい衝撃を覚悟した。


 薙刀の刃が真貴の太刀に当たった瞬間、高い金属音がした。真貴は左頬に何かがかすめたのが分かった。衝撃は来たが受け止めきれるものだった。


 大蜘蛛丸は、奇妙に軽い、おかしな手ごたえに戸惑った。構えを戻そうとして薙刀の重さが変わっていると気づいた。先端が一尺なくなっていた。


 大蜘蛛丸の怒りは沸騰した。薙刀を放り出し、腰の太刀を抜いた。足場が悪い真貴を今度は真上から切り下そうと右手で振りかざした。


 真上からの打撃に真貴が備えようとしたその時、鈍い音がした。


 大蜘蛛丸は激痛が走る左のこめかみに手をやり、左を見た。先ほど逃げた少女が四間ほど先に前かがみで立っていた。その手は縄のようなものを掴んでいる。


 真貴は、左からの礫が大蜘蛛丸の動きを止めた隙を逃がさなかった。


 全身の力で低い姿勢からまっすぐに飛び出し、左片手突きを放った。切っ先が大蜘蛛丸の喉に吸い込まれるように刺さったが、浅いと思った。


 大蜘蛛丸は少女から正面の真貴に向き直った。真貴の手元から黄金の閃光が走ったのが見えた。のけぞってかわそうとしたが喉元に光が突き立ったのが分かった。


 大蜘蛛丸の血走った右目が真貴を睨んだ。真貴は太刀を抜き、右に踏み込みながら、大蜘蛛丸の顎の下から首を切り上げた。すぐに、太刀を中段に構えなおし、大蜘蛛丸に向き直った。


 大蜘蛛丸の首筋から血が吹き上がった。大蜘蛛丸はなおも太刀を振り上げようとしたが、そのまま前に倒れた。 


 八つの峰々が朝日に輝きだした。


 真貴はゆっくり立ち上がり、大蜘蛛丸に近づいた。もう、動くことはなかった。


 ユイが恐る恐る近づいてきた。真貴は跪き、ユイを抱きしめた。長い抱擁が解けると、二人は、大蜘蛛丸だった男の亡骸の傍らに膝をついた。二人とも合掌し目を閉じた。


 少し離れたところから、秀柾の「あねうえー、ユイー」と呼ぶ声が聞こえてきた。二人はゆっくり立ち上がり、声に向かって手を振った。


 朝の光が、二人の影を長く引いていた。


大蜘蛛丸は果てた

十四年越しの因縁を絶つことができた

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