第七十九話 燈明
初めての襲撃を防いだが、真貴の心は重かった
セイは真貴の指示を守り、毎日、兄の頬の傷を紫紺の煎じ汁で拭った。傷を縫合し消毒を繰り返したおかげで、化膿することもなく傷口も小さく済んだ。重平もセイも、真貴の処置の効果に驚いた。
人々が病になる理をセイは真貴から学んだ。病は、口や傷口から病魔が体に入り込むことにある。ゆえに、食事の時や調理の前には手を清めること、怪我をした時には傷口をきれいに洗い、傷が大きい時には紫紺の煎じ汁で拭うよう教えられた。
セイは真貴の教えを守ろうと努めた。面倒がる兄の顔の傷を日に何度も煎じ汁で拭い、仕事の後は手を清めるよう、繰り返し頼んだ。重平はしぶしぶ従うようになった。
重平は実戦を経験し、武芸の取り組みへの意識が変わった。木剣を持っての型稽古では常に見えない敵を想定し、馬を駆っての狩りでは、より早く馬を駆りながら、より素早く弓を射ることを心掛けた。
村人たちは、傷を負いながら賊に立ち向かった重平に感謝し信頼するようになった。
大暑を前に梅雨が上がった。
佐閑の稲は力強く空へと伸びていた。村人たちは、今年はこれまでにない豊作にできると、楽しみで、疲れをものともせず田に向かった。
真貴は秀柾とともに野盗対策、特に大蜘蛛丸への対処に悩んでいた。
考えられる最悪の展開は、賊に騎乗のまま村に突入され、馬上から太刀や薙刀を振るわれる場合であろうと考えられる。ゆえに馬での突入を防ぐための柵の完成は急ぎたかった。
ただ、どうしても出入口は必要であり、それなりの開口幅がないと、普段の生活への支障が耐え難いものになる。大きな寺社の門のように分厚い扉と閂での施錠は現実的ではない。そこで真貴が導入したのが、馬防柵であった。柵の出入口の外側と内側に設置することで、騎馬の突入を阻むことができそうだった。
馬での突入を阻まれた野盗がどう行動するか。柵を引き倒そうとするかもしれないが、迅速にことを運ぶつもりなら、下馬して得物を取って村に乱入してくると考えるのが妥当である。そうなると近接戦になる。
近接戦で戦力となるのは秀柾、重平だけだ。真貴を加えても三人だけで、数と経験に勝る野盗との戦いは絶望的な状況になる。真貴は、答えの出ないまま、考え続けていた。
立秋が近づき、夏が盛りを迎える。
朝から蝉の声が響き、青空に入道雲が立つ。驟雨が田に水しぶきを上げ稲の葉に水玉を載せる。
逞しく育った稲が、いよいよ花をつけだした。これまで村人が見たこともない数である。村人たちは炎天下、田水を測り、雑草や害虫を駆除する。村人たちは自分らの努力と工夫が形になっていく日々に、ますます意欲を掻き立てられていた。
佐閑では、里山に近い畑で黍を育てている。黍は米より早く成長し実をつける。立秋には花が終わり、実が育ち始める。例年のことであるが、作物が育つと猪や鹿の食害が始まる。今年は猪の出没が例年より早く始まった。
秀柾は猪狩り隊を編成した。昨年は秀柾、重平に加え、投げ槍を持つ村人四人で編成したが、今年は礫縄の四人も加える編成となり、真貴も参加することにした。
猪狩りは月が明るい夜に行われた。犬たちが吠え掛かると猪の群れは逃げ散ってしまうので、犬たちは厩に繋いできた。狩人たちは猪が里山から出てくる獣道で待ち構える。
夏虫の声が盛んに聞こえた。月が中天を過ぎ西に傾きだした頃、六頭の群れが現れた。
予め決めた手順で狩りを進める。まず、秀柾と重平が大きな猪を弓矢で狙う。その弦音を合図に礫縄の村民が石を放ち、傷つき動きの悪くなった猪を竹槍で仕留める。
狩りでは二頭を仕留め、まずまずの成果になった。
真貴は、月明りで、弓矢や礫縄が、どの程度の精度で使えるかを測っていた。昼間ほどの精度はでないが、月明りでも矢は当たるとの結果を得た。
立秋を過ぎて三日後、鍛冶の里の男が現れた。
男を労って真貴が柿の葉を煎じた湯を出すと、男は旨そうに飲み干した。
「厳しい陽射しを浴びた後、この湯はほんとうにいい」
「暑い中、ありがとうございました」
「頼まれていたものが、思いのほか早く仕上がった。これでいいかな?」
男が葛籠から二つの鉄の輪を取り出した。真貴は手に取って確認する。
「はい。これで結構です。ありがとうございます」
「うまく使えるといいがな。これは秀柾殿にだ」
男が鏃を取り出した。
「諸に侵入した五人の賊を倒したそうだな」
「ええ。幸い橘様も居合わせて助かりました。お薬を用意しましょう」
「ああ、頼む」
傍らにいたユイが立ち上がり薬草の束を取りに行った。
男はいつものように、薬を待つ間にしゃべり始めた。
「小さい巫女殿が出向いた小屋は新しく建てたようだな」
「はい、薬や野草を干すところが手狭でしたし、他にもいろいろすることがあって」
「そうだ、諏訪の風間家の菓子が評判だ。巫女殿から教えられたという話になっているが」
「姫様の誕生祝に菓子を献上しました。その折に、材料と使い方もお伝えしましたので」
男の声の調子が変わった。
「大蜘蛛丸が動いたという話が入ってきた」
「是非、お聞かせください」
「奴が動き出した。奴は先日、上野の車の里を襲った。上野でも西側にある小里で信濃に近い」
「やはり、死んではいなかったのですね」
「そうだ。車の里は我々の里とも近い。我らは弓矢を揃え、見張りを立てて奴に備えている」
「そうですか……」
男は薬草を受け取り帰っていった。
真貴は、鉄の輪を箍に使い、菜種から油を搾りだす仕掛けを組み立て始めた。
まず、硬い樫の厚板で桶の側板と底を組み、外側から鉄の箍をはめて叩き締める。頑丈な桶ができあがると、それを太い台木の端に穿った穴へ、はめ込んだ。
次に、桶の内径に合わせて削った松の丸太を中に差し込む。丸太はきつく収まり、その先端は台木の上に渡した棟木の下にくるように据えられた。棟木の一端は麻縄で台木に縛り付け、もう一端には大きな石を吊るす。
圧搾機の用意が整うと、真貴は菜種の準備に取りかかった。
鉄鍋を熾火にかけ、菜種を入れて煎る。ほどよく火が通ったところで臼に移し、杵で搗いた。硬い外殻を砕くためである。やがて杵に油がにじみ始めると、桶の内側に粗布を敷き、その上に搗いた菜種を収めた。
丸太を差し込み、棟木で押さえ、石の錘を吊るす。石の重みで棟木がしなり、その力が丸太を押し下げた。桶の中の菜種は、梃子の働きによって、ゆっくりと、しかし容赦なく押し潰されていく。
ユイとセイは、真貴が「油を搾ります」と宣言してから、真貴の指示に従い、菜種を入れて煎り、臼と杵で搗くのを手伝った。村人たちも重い台木や棟木を運び、台木に穴を穿った。秀柾と重平は、大きな石を運び、縄をかけて錘として吊るす作業を行った。
真貴は桶を据えた台木の穴の下には壺を置いておいた。油は圧に押され、粗布を通り、桶の底からにじみ出て、ぽたり、ぽたりと、琥珀色の滴が壺へ落ちはじめた。はじめは一滴ずつだったが、やがて細い流れとなった。手伝った者たちからどよめきが起きた。
真貴は壺に落ちた初搾りの油を平たい小皿に取った。燈心となる麻のより糸を浸す。
夏の日が落ち、暗くなった妙泉寺の本堂に、皆が集まった。
真貴が油の入った小皿を本尊の前に置き、火を燈した。本尊が小さな明かりに浮かび上がる。真貴が下がり座ると、良真和尚が読経を始めた。
夏の夕暮れの里に、読経が静かに流れた。
真貴は菜種から油を採ることに成功した




