第七十七話 公事(くじ)
上野の関司への対応の後、国府の関心は未回収の年貢のこととなった
四日後、正季は国府で、目代の井上満実に接見の間へ呼ばれた。部屋には横川の関司、紀籐親頼が座っていた。正季が座ると、満実が話を始めた。
「先日の追分での追捕の件で参られた」
紀籐が正季に向き直って頭を下げた。
「少掾殿、先日はご加勢、ありがとうございました」
「なんの。私があの場を逃れた五人を追い南に走ったすぐ後に、諸の郡代が手勢を率いて現れ、残っていた全員を討ち果たしたと聞いています」
「はい、平賀殿にご加勢いただきました。この度は、関司とはいえ、国境を越えて追捕したことのお詫びと、信濃の方々のご加勢に礼を申し上げるため参りました。越境の件、平にお詫び申し上げます。繰り返しになりますが、少掾殿、郡代殿のご加勢に御礼申し上げます」
満実が言った。
「此度は越境の件は不問にしよう。あのような賊どもに信濃で暴れられては敵わんからな。今後は、関所で厳しく取り締まりいただきたい」
「ご理解のほど、感謝申し上げます」
正季が尋ねた。
「あの連中は僦馬の党で間違いありませんか?」
「僦馬の党だったというべきでしょう。今は野盗と化しています。国衙で略奪をはたらき、新田の荘園に逃げ込んでいましたが、そこでも荘官を殺して上野を横切るように逃げ回り、ついには信濃に逃げ込もうとしました」
「上野は荘園が多いとうかがっていますが……」
「はい。荘園に逃げ込まれると、不入の権を盾に取られ、手が打てず困っています」
紀籐が国府から帰った後、目代が正季に言った。
「少掾殿、少しいいか?」
正季は応じないわけにはいかない。
「そなた、五人を追い南に走り全員を討ち取ったそうだが、一人で五人を倒したのか?」
「いえ、在郷の武者の加勢を得ました」
「ほう、誰じゃ?」
「佐閑の里の望月秀柾とその郎党の米沢重平です」
「おお、評判の若武者よな。龍神の巫女の弟と聞いたが……」
「はい」
「巫女が現れ、術を使ったりはしなかったか?」
「そんなことはありません」
「そうか」
満実の右眉が少し上がった。正季は警戒を高めた。
「話は変わるが、そなたが巡察に行っている間に、国司様の使者が来てな……なに、毎年の諏訪のお社への寄進の件だが」
「はい……」
「お社に参進した後、風間の屋敷でもてなしを受けたそうじゃ」
「……」
「その折に出た菓子と湯が、たいそう見事だったそうでな。繰り返し、今一度食したいと言っておったわ」
正季は葛切りと桑の葉の湯であろうと思った。
「そなた、たしか風間の当主とは昵懇であったよな。食したことはあるか?」
「……ございます」
「ほう、それはうらやましい。わしも馳走になりたいものよ」
満実は立ち上がって、目代の席に戻っていった。
翌日、国府では合議が開かれた。議題は、北信、東信における夏成の年貢の徴収状況の把握と善後策である。
正季が先日の巡察の結果について、北信では逃散により廃村が出ていること、東信では夏成の年貢を納めきれそうにないことを報告すると一同は黙り込んだ。
大掾が口を開いた。
「少掾殿、収めきれない年貢については、いかなる策があろうか?」
「無理に集めようとすると、逃散が出るか餓死者が出るかしかないと存じます。私は、代納の料率を引き下げる、さらに、遅れる分は貸し付けにして秋成で集めるしかないと考えます」
「要は、夏成ではけりがつかず、先延ばしにするということか?」
「そういうことになります」
税所が見解を述べた。
「国司様は解状を容れて代納の料率を引き下げ、期限も夏成まで伸ばしました。これをさらに緩めることはできますまい」
議論は壁に突き当たった。
表情を変えずに黙っていた首座の目代、井上満実が口を開いた。
「年貢が集まらぬなら、公事(米以外の布や特産物)になるものはないか?」
正季は満実が冷静で発想が柔軟なことに少なからず驚いた。
大掾が答えた。
「なるほど。千曲、上田あたりからは、少ないですが絹布を徴しております。もしかすると……」
「作り置いてあるものがあれば、それを出させることもできよう」
税所が答えた。
「すぐに、調べさせます」
満実が続ける。
「先日、上野から僦馬の党が侵入したのを、諸の郡代が討ったが、連中が乗ってきた馬はどうなっておる?それを集めれば貢馬を牽ずることもできよう。まさか上野が返せとは言うまい」
税所が答えた。
「ははっ。それも、すぐに、調べさせます」
満実がさらに続ける。
「それで足りぬ時は夫役だな。千曲川の氾濫をいくらかでも減らす手立ても考えておけ」
大掾が答えた。
「かしこまりました」
満実が席を立ちながら言った。
「米や麦を集めることばかり考えていてはな……よき公事を探さねば」
満実の去った後の席を見つめながら、正季は、満実が自分の考えていた以上に有能であると気づいた。
僦馬の党との戦いで、重平は目の下を鏃で傷つけられた。傷口が深くなかなか血が止まらない。真貴は診てすぐに「縫いましょう」とこともなげに言った。
重平とセイは驚いたが、秀柾も「それがいいですね」と言って縫合が行われた。
重平は嫌がったが、目隠しをして口に布を咥えさせた。真貴は傷口を湯冷ましに塩を溶かした塩水で洗い、紫紺の煎じ汁で拭った。煮沸した針と絹糸で、真貴は、傷口を三針縫った。
セイは真貴の手際を、身を硬くし、目を丸くして見守っていた。
出血はしだいに止まってきた。
真貴は、重平に傷口に手をやらないように、セイに、日に何度か兄の傷を紫紺の煎じ汁で拭うように指示した。重平とセイはただうなずくだけだった。
僦馬の党との戦いは、真貴、秀柾、重平のいずれにとっても、佐閑にとっても初めての戦闘行為だった。真貴は実戦体験を踏まえ、秀柾と、今後の野盗の襲撃に備えての策を練り直した。
まず痛感したのは騎馬の敵を止めるのは容易ではないということだった。
秀柾は動きの速い野兎をも仕留める腕があると自負していたが、相手が武者だと、こちらの手を読んで向かってくる。一直線に逃げる兎を射るようなわけにはいかない。しかも、相手も弓矢を使えば、こちらも素早く動く必要があり、騎射は大変難しくなる。
予想外の効果があったのが、村人たちの礫縄の一斉攻撃だった。村長の話では、村に侵入した武者に対して、村の男、十数人が放った拳ほどの大きさの石のいくつかが、まず、命中し、さらに続けざまに放った石の一つが顔面を直撃したとのことだった。村の男一人一人は、到底、武者に敵わないが、離れて一斉の投擲で迎え撃てば勝機はあると分かった。
ただ、今回の戦闘は白昼の下で行われた。大蜘蛛丸は闇に紛れて襲ってくる。秀柾は、以前に正季が「夜間の戦いでは弓矢が使えないと心得よ」と言っていたことを真貴に伝えた。真貴は、戦う相手として、大蜘蛛丸の恐ろしさが理解できてきた。弓矢が使えない夜間の戦いは、太刀や薙刀を持っての近接戦になる。そうなれば、場数を踏み武器の扱いに長けた者のほうが圧倒的に有利になる。
佐閑が生き抜くためには、とてつもない課題を解決する必要があると、二人は理解した。
真貴と秀柾は先日のことを受けて里の守りを話し合った




