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第七十六話 僦馬の党(しゅうばのとう)

朝、正季が佐閑を発とうとしていた時、異変が起きた

 翌日、朝餉の後、正季は真貴の作った紙と、油の原料になる菜種とを見た。


 紙が丸く小ぶりな理由が、紙を漉くための、大きな竹製のが無いためと知った正季は、なんとか自分が入手するので、真貴には動かないよう注意した。

 菜種は一石程度あり、うまくすれば十六升ほどの油が採れる見通しだと聞いた。これだけで、佐閑の一年分の年貢、三石に匹敵する価値となる。

 正季は、現物を前に、これらを隠し通すことは容易ではないと、あらためて思った。


 正季は、この後は、いったん上田に戻り、郡代の手塚ともう一度、代納についての話し合いを持たねばと考えていた。


 出立の支度を整え、秀柾と真貴に見送られ、馬を引き出そうとしていた時、異変が起きた。

 里のあちこちから聞いたことがない強い調子で呼子が鳴りだした。


 重平が駆けてきて片膝をついた。

「諸方面に狼煙が上がりました」


 正季はうなずき、そのまま馬に跨り駆けだした。


 秀柾と重平に真貴が言った。

「あなたたちは胴丸を付けて弓を持って」

 二人はうなずいて駆けだした。


 正季は湖岸の道を諸へと急ぐ。頭の中で考えられる事態をいろいろと想定した。

 襲撃だとしたら、上野側から侵入された可能性が高い。大蜘蛛丸かと思ったが、明るい時間に、大蜘蛛丸が襲撃したという話は聞いたことがない。流民の可能性もある。

 ただ、まずいことに、自分の得物は太刀しかない。弓矢もなければ、鎧も身に着けていない。いざとなったら、馬上から切りつけようと、手綱から左手を放し、鞘の感触を確かめた。


 すぐに小田井の里に入った。狼煙は、その奥、追分に近い御代田あたりから上がっている。正季は畑を突っ切り、芒と低灌木の原を、御代田を目指し駆けた。


 ほどなく正季の目に、十数騎ほどが乱れて戦っている現場が目に入った。服装からして戦っているのは野盗の類と役人を含む武者のようである。

 正季は大声で名乗った。

「信濃国少掾、橘八郎正季である。その方ら何者かーっ?」

 役人らしい男が答えた。

「上野国、横川の関司せきし、紀籐三郎親頼である。関を破って逃げた者どもを追ってきた。ご容赦あれ」

「承知。ご加勢いたす」

 

 関司に追われているのは、どうやら僦馬のしゅうばのとうの者どものようである。もともとは荷役馬を使い年貢や国府の物資の移送を請け負う者たちだったが、次第に武装するようになり、群盗行為に及ぶものが現れてきていた。


 関司とその配下は十騎で、逃亡者十数騎を包囲しようとしている。正季もその包囲に加わろうと馬を駆った。関所破りたちは太刀を抜き、突破路を開こうと激しく動き回っている。


 正季が包囲に加わる直前に、未完成の包囲から五騎が抜け出した。五騎は、いったん芒の原に散開し、正季と行き違う形で南に駆けだした。佐閑の方角である。正季は馬首を巡らし、五騎の追撃に移った。


 秀柾と重平は胴丸を身に着け、太刀を佩き、弓矢を持った。それぞれ東雲と風巻に跨り、正季に続こうと駆けだしていった。


 小田井を過ぎたあたりで、秀柾は北側から数騎が駆けてくるのに気が付いた。重平が大声で誰何した。

「何者かーっ!」


 相手は無言で迫ってくる。手には抜身の太刀を持っている。

 秀柾は矢を番え、先頭の一騎に放った。秀柾に狙われていると気づいた男は、姿勢を低くした。一の矢は外れた。男は、そのまま秀柾の右に抜けようとしたが、今度は重平の矢が飛んだ。男は馬から落ちた。


 先頭の男に構っているうちに、二番目、三番目の騎馬が迫ってくる。二番目の男は騎乗が巧みだった。動きに緩急をつけ、秀柾に容易に狙いをつけさせない。三番目の男は弓矢を持っていた。重平と相互に射合う展開となった。重平が落馬した。秀柾が、重平に駆け寄る間に、二番目と三番目の騎馬は南に抜けた。


 秀柾が駆け寄ると重平が片膝をついて立ち上がろうとしていた。右の目の下が血が流れだしている。傷口を右手で抑え重平が叫ぶ。

「奴らを追ってください。私は大丈夫です」


 気づくと、もう一騎、南に駆け抜けた。さらに一騎が迫ってくる。身構えたが、その一騎の乗り手の男が馬から転がり落ちた。背後から、正季が追い抜きざまに切りつけたようである。


 正季が大声で指示する。

「秀柾、追うぞ」

「承知」


 二人は佐閑方向に向かった三騎を追った。


 秀柾と重平を送り出した後、真貴は寺に集まった村の者たちに指示を出した。まず、全員が柵の内側に居ることを確認させ、子ども、女、老人を寺の背後へと移動させる。ユイとセイとが彼らを率いる。戦える者たちは、柵を見下ろす丘の上に集まる。各々、礫縄、投げ槍、鎌などを手にしている。この者たちは、村長の指揮に従う。


 真貴自身は、胴丸を身に着け、太刀を佩き、弓矢を持って西風に乗った。


 村に攻め寄せるものが多い時には、柵の内側に戻り指揮を執る、少数の時には矢で対応するつもりだった。


 真貴は西風に乗り、湖岸まで出た。諸の方向に少し進むと葦や茅が茂った場所が続く。真貴は西風に乗ったまま、湖の浅瀬に入り水際の茂みの背後に隠れ、弓を手にした。しばらく待つと、西風が首を上げて耳を動かした。少し落ち着きをなくしている。真貴は敵の接近を悟った。


 東雲や風巻の軽やかな足音とは違う、重く荒い蹄の音が聞こえてきた。


 真貴は弓に矢を番えた。音がする方に目を凝らす。男が黒毛の馬に跨り駆けてきた。胴丸を身に着け、腰のあたりに毛皮を巻いている。


 五間の間で真貴は矢を放った。男はもんどりを打って馬から落ちた。しかし、動きを止めるまでの深手を負わせるまでには至らなかった。男は立ち上がり、湖に走り込み、太刀を振り上げて真貴に迫ってきた。真貴は二の矢を放つ。男の喉の下あたりに矢が付き立った。男は太刀を振り上げたまま、後ろに倒れた。

 

 秀柾と正季は、逃げた三騎を追い続け、湖岸近くまで来た。三騎の最後尾が見えてきた。秀柾は東雲を全力で駆り距離を詰め、騎乗の男を射た。矢は胴丸の上から男の右肩の下あたりに突き立ったようだが、男は落ちない。


 なおも追い続けると、先行した弓矢を持った男が見えてきた。秀柾と正季は、弓矢を持った男がいきなり湖に馬を乗りいれるのが見えた。その先には、真貴が西風に乗り、湖岸から走り出てきた男を射ようとしている。秀柾は、弓矢を持った男の意図が分かった。西風に乗った真貴の右の背後、騎乗の射手が対処できない死角に入ろうとしていた。


 秀柾は標的を最後尾の男から、姉を狙う弓矢の男に切り替えた。矢を番えながら迫るが、距離が遠すぎる。弓矢の男が馬を止め、右背後から、姉に向かい弓を構えようとしている。秀柾は絶叫しつつ、矢を放った。

「姉上―っ!」

 秀柾の矢は外れたが、男が秀柾を見た。

 次の瞬間、男が馬から転がり落ちた。真貴が矢を放ったようであった。


 正季は、秀柾が矢を当てた最後尾の男を追いつつ、右手で繰り広げられている戦闘を目にした。真貴の背後を取ろうとした弓矢男がしぶきを上げて湖に落ちるのが見えた。正季は、向き直り最後の一騎を討ち取ろうと、馬を駆った。


 秀柾は湖に入り真貴に駆け寄った。落馬した男は、ずぶ濡れのまま立ち上がろうとしていた。秀柾は二の矢で男を倒した。

「姉上、ご無事で!」

「大丈夫です。一騎、里の方に向かいましたね。追いましょう」


 正季は最後の一騎を追っていた。距離を詰め切れないまま、佐閑の里が近づいてきた。先行する男は、街道から里への道に入った。


 正季は焦った。弓矢が欲しかった。里に突入されて、人質を取られるようなことになれば、村民も無傷では済まない。


 追われる男は全速力で里への緩やかな坂を駆け上がっていく。そして、里を囲う柵の未完成箇所から里へと侵入した。


 正季も男を追って里へと入ろうとしたところで、男の叫び声が聞こえた。続けざまに何かがぶつかる激しい音がする。馬の速度を落とし、柵の内に入ったところで、正季は呆然とした。馬と男が倒れてもがいていた。男には竹槍が突き立っている。村の男たちが、礫を収めた紐を振り回していたが、二人目が正季だと分かり、手を止めた。


 真貴と秀柾は、逃げた男と正季を追って里に戻った。

 追っていた男は倒れ、傍らには正季が立っていた。正季が言った。

「もう、死んでいる」

 真貴がうなずいた。

 正季が続けた。

「この者は僦馬の党のものだ。十数名で上野から横川の関を破って信濃に逃げてきた。私は諸に行く。関所破りの顛末を確かめねばならん」

 秀柾が言った。

「私も諸までお供します。重平を迎えに行かねばなりませんし、まだ、こちらに逃げてくるものがいるかもしれませんから」

 真貴がうなずいた。

「二人とも、お気をつけて」

 

 正季と秀柾は諸への道を引き返した。

 湖岸に真貴と秀柾が倒した二人の男が倒れている。少し離れたところで男たちの馬が草を食んでいた。正季が男たちに近寄り、持ち物を改めた。


 二人は、諸への道を再び辿った。正季が秀柾に尋ねた。

「先ほど湖で倒れていた男だが、あれは、そなたが倒したのか?」

「とどめを刺したのは私ですが、その前に、姉が射た矢が当たっていました」

「あの者は、巫女殿の、右後ろに位置を取っていたのではないか?」

「はい。私にも、そう見えました」

「では、巫女殿はどうやって射たのか……」

「わかりません。ただ、私には、姉が右手で弓を握り、左手で矢を番えていたようにも見えました」

「なんと……そのようなことが、あり得るのか……」


 小田井の近くまで進むと、諸の方から重平が風巻に乗って現れた。顔を手で押さえている。

「賊はいかがなりましたでしょうか?」

 正季が答えた。

「安心せい。すべて倒した。里の者はだれ一人傷ついてはおらん」

「それは……ようございました。私は役に立たず、まことに申し訳なく……」

 秀柾が言った。

「何を言うか。そなたは、一人目を倒した。見事であった。傷は大丈夫か?」

「まだ血が滲みますが大丈夫です」

 秀柾は、正季に向き直って言った。

「橘様、私はここで重平と佐閑に戻ります。もう、佐閑に向かってくる賊はいないようですから」

「うむ。それがいい。重平、しっかり養生せよ」

「ありがとうございます」


 正季は二人と別れ、御代田の現場へと向かった。


真貴、秀柾、重平は佐閑を侵入者から守った

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