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第七十四話 半夏生

正季は北信、東信の巡察を始めた。

第七十四話 半夏生


 正季は年貢の夏成の徴収実績と今年の稲の成長の状況、さらに野盗への備えを調べるために、国府を発ち、北信の飯山、長野から巡察を始めた。


 梅雨の最中で、時折小雨が降る中を、笠を被り蓑をつけて、青柳、麻績と山中の道を善光寺へ進む。いったん善光寺に詣で、さらに北進し、飯山に至った。


 昨年、野盗の襲撃を受けた村では、逃散した村人の一部が戻った村もあったが、山深いところにある村の多くは放棄されたままになっていた。村人が戻った村も、復興は緒に就いたばかりだった。このような村に隣接する地区では荘園の開拓が目立っている。放棄された村や復興が遅れた村は、いずれ荘園に取り込まれる可能性が高かった。


 昨年、年貢を米で収めきれなかった里の雑穀による代納の見込みは、良いとは言えなかった。かろうじて冬を越した村から、初夏に収穫した麦を強引に集めると、春窮に耐え抜いた村民たちを餓死させることになりかねない。正季は代納の比率を引き下げるか、形の上で貸し付けにして凌ぐ策を考えざるを得ないと思った。


 飯山から千曲川を遡るように南下して長野に入る。

 この辺りは信濃には珍しく緩やかな流れの川の両岸の平野に田が広がっている。目代の井上満実の本拠地も近い。一見豊かな穀倉地帯に見えるが、水害に悩まされてきた土地でもある。東にも西にも広い山岳地帯を備える千曲川には山々から多くの小河川が流れ込んでいる。長雨が続いた後、降り方が急に激しくなると、周囲の山々から大量の雨水が千曲川に流れ込み氾濫がおきる。収穫が近づいた田が水没すると、収穫は激減する。

 梅雨に入ってからの雨で増水し、濁った千曲川を見て、正季は危うさを感じざるを得ない。


 正季は更級さらしな埴科はにしなを見廻り、上田へと進む。

 上田は、千曲川の流れがゆるやかな開けた土地である。かつては信濃国府が置かれていた地であり、依然として東信の中心になる。

 正季は田に育つ稲を丁寧に見て回った。生育は順調に見える。昨年のこの時期に現れていた白い斑点は現れていない。春先にこの田の籾を雪の和田峠を懸命に越して運び込んだことが、遠い昔のように思われる。


 正季は上田の郡代屋敷に手塚信元を訪ねた。

 屋敷の小さな部屋に通された。信元は正季を見て露骨に嫌そうな顔をした。

「見廻り御苦労様です。広間の床がありませんので、このような狭いところで申し訳ございません」

 明らかに、床板を剥がされた恨みを述べているが、正季は相手にする気がない。

「田を見て廻った。今年は昨年のような白斑点も見られず、稲の生育も順調と見たがいかがかな?」

「左様にございますな」

「昨年、先延ばしにした年貢の夏成の集まり具合をお聞きしたい」

「ほぼ半分くらいでしょうか」

「残りはいかがいたす?」

「さて……どうしたものか」

 信元は相変わらず他人事である。

「では、この屋敷の倉を見せていただこう」

 信元の表情が一変した。目が見開き焦点を失った。

「それは……橘様の手を煩わすまでもなく……」

「見せよ」


 正季は強引に倉に入った。

 想像していた通り、米や雑穀の俵が積まれていた。ざっと見渡しただけでも、未徴収分の二割を超える量と見当がついた。郡代屋敷で秋までに使う分以外はすべて年貢として徴収する旨を言い渡し、正季は上田を後にした。


 正季は諸に入った。

 諸の田は千曲川沿いに集まっている。ここでも、稲を丁寧に見て回る。上田同様に白い斑点は現れていない。正季は胸をなでおろした。

 田の西側には緩やかな起伏のある土地に畑地広がっている。畑地では麦を育てていたようで、刈り取られた後の切り株だけが、雨に打たれていた。


 正季は、まずは、諸の郡代屋敷に平賀忠景を訪ねた。質問は上田で行ったものと同じである。

「昨年、先延ばしにした年貢の夏成の集まり具合をお聞きしたい」

「はい。麦の出来が良く、お納めすべき年貢の八割までは目途が立ちました」

「それは良かった。残りはいかがいたす?」

「できましたら、貸付ということでお願いしとうございます。夫役を申しつけられてもやむを得なきところですが、生業が忙しい時期に人手が不足しますと、思わぬことで収穫が減る恐れもあります」

「たしかに……今年の稲の出来はいかがか?」

「今年は、春先の冷え込みや寒の戻りも少のうございましたので、昨年よりは良いとみてます。どうか秋成まで、お待ちいただけるようお願い申し上げます」

「そうか……」

 正季は目代を説得できるかどうか考えることにした。


 正季は諸で気になっていることがあった。野盗対策である。諸の東三里に信濃追分があり、その東側は上野である。浅間山が噴火した直後、信濃追分辺りは火砕流と火山灰に埋まり、行き交うことができなかったが、十数年過ぎるうちに新たな道が踏み固められてきて、以前のように上野側との主な街道に戻りつつある。言い換えれば、諸は上野側から侵入しやすい状態になりつつある。


「ときに郡代殿、野盗への備えはどうなっておる?」

「狼煙台はなんとか里々に用意させるところまで進みましたが、それ以外の策となると、何をすればいいのかもわからず、そのままです」

「左様か……」


 翌朝、雨が上がった。正季は信濃追分に行ってみることにした。


 諸の中心部から東に向かって進むに従い、緩やかに標高が高くなっていく。これまで雲に隠れていた浅間山が左手奥にその威容を現した。その裾野の奥が追分である。


 進むに従い畑はまばらになり、叢と低い灌木の台地が広がっている。追分が近づくと、唐松、岳樺、白檜曽などの若い木が人の背丈より高い林になっている。見通しがきかない。


 追分当たりは峠といっても緩やかで幅は広く開けている。その間にいくつもの道がある。


 (上野側からここを経由して侵入される恐れが高い)


 正季は、ここで騎馬の敵を迎え撃つには、その数倍の味方が必要だと判断したが、同時に、数十名の騎馬武者を常にここと留め置くことはできないとも思った。



正季は上野側からの野盗対策に頭を悩ませていた

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