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第六十七話 残雪(二)

秀柾と重平は膝まで雪に没しながら、東雲と風巻を励ましつつ和田峠を登る

籾の搬送が始まった

 三人は、いったん諏訪側へ寺まで下った。境内に積まれた種籾十俵を曳いてきた橇に載せ、藁縄で固定した。まずは、和田峠までの登り道を進む。秀柾と重平は馬には乗らず、各々馬の轡を取った。

 秀柾と重平は膝まで雪に没しながら、各々、東雲と風巻を励ましつつ登る。二頭立ての橇はきしみながらも雪に埋まることなく進んでいく。峠に着くと、馬の配置を、前後に一頭ずつに変えた。峠から菩提寺まで三人は、声を掛け合い進んでいった。

 

 菩提寺では、早朝に峠に向かった二人を皆が待っていた。二人が橇に俵を乗せ戻ってきたことに気付いた者が、寺に駆け込んだ。男たちが飛び出してきた。秀柾と重平は、出迎えた男たちと、肩を叩き合って喜んだ。


 秀柾が正季に告げた。

「橘様、試みが上手くいきましたので、今から、急いで、この橇と同様のものを五台作ります。明後日には、籾を運べるようになります。六台の橇で日に二回、二十俵を運べば、十日で千二百俵を運べるでしょう」


 正季は頭の中で計算を確認した。『天が許すかは別だが……算は合う』

「ありがたい。厳しいが何とかなるかもしれない。この『橇』なる物は……巫女殿の策か?」

「はい。『馬が雪に埋まり運べない』と姉に相談しましたところ、『では雪を使って運びなさい』と言って絵図面を描いてくれました」


「しかし、板や枠にする材木はどうした?」

「それも姉が策を出してくれました。『上田の郡代屋敷の広間は板張りではないのか?』と」


 正季は、龍神の巫女の考えは何ものにも捉われないものだと思った。同時に、あの俗物の郡代が、屋敷の床板を剥がされて呆然とする顔を想像し、笑い出したくなった。


「さすが、巫女殿だな」

「生島足島神社にも助けを借りました。板が雪の上でよく滑るよう油を塗るのですが、灯明に使う荏胡麻の油を出してもらいました」

「なるほど……そういう工夫もあるのか」


 秀柾と重平は、早速、菩提寺に集まった男たちと上田から持ち込まれた板や根太の木を使って橇を作り上げる作業を始めた。誰もが、ただただ自分ができることを懸命に進めた。


 正季は、その日は上田側の指揮を執る菅野紀久とこまごまと打ち合わせ、菩提寺に泊まった。温かい粥が五臓六腑に染み渡った。


 翌朝、正季は峠を越して、諏訪側に戻った。橇を一度曳いた後は、雪が押し固められ、雪の中に平らな道ができたかのようになっていた。


 諏訪側の寺に戻った正季は、国府にいる配下の者宛に、すぐに人足を十二名集め寺まで送り込むこと、二石の米と一斗の塩、さらに人足らが背負える限りの飼い葉を持たせ寺に運び込むことを要請する手紙を書き、使いを出した。目代が何を言っても構わず指示通りに進めよ、責は自分が負うと書き加えておいた。


 翌日、使いに出したものが食材と人足を率いて寺まで登って来た。正季は直ちに寺の者に頼み米と塩で大量の粥を用意させ、まず人足に食わせた。


 やがて、上田側から橇を曳いた男たちが次々にやって来た。正季は男たちに腹いっぱい熱い米粥を食わせ、その間に人足たちに橇に荷を載せさせた。それから、峠までの道を、人足に手伝わせて橇を押し上げた。


 残雪の上の搬送作業がはかどり始めた。


 橇が繰り返し通るうちに、雪の上にしっかりした道が出来上がって来た。男たちも馬も、足を取られることなく橇を曳くことができるようになり、一度に橇に載せられる俵を十二俵まで増やすことができた。


 男たちは田歌を歌いながら、荷を推した。陽が射しだすと、男たちの額に汗が滲んだ。自然と秀柾が橇隊の中心となり皆が指揮を仰ぐようになっていた。重平は自分の主が誇らしかった。


 状況は良い方向に動き出したように見えるが、正季は、毎日、祈る思いだった。男たちに怪我人や体調をこわす者が出たら、橇が使用に耐えられず壊れたら、道が崩れたら……悪い事態はいくらでも考えられた。


 六日目、橇を曳いていた馬の一頭が脚を痛めた。正季は自分の馬を荷役に提供した。


 七日目、ついに上田側に千俵が渡った。


 八日目の朝、気温が上がり、雲行きが怪しくなった。雨か霙が降るかもしれないと、寺のものが言い出した。


 正季は、寺に頼み込み、ありったけの蓑を出してもらった。屋根の補修用に保管されている茅の束も提供してもらった。


 上田側から秀柾が移送隊を率いてやってきた。六台の橇に加え、二十人近くの男たちを連れて来ていた。橇には、多くの蓑も積まれていた。


 秀柾が進み出て言った。

「橘様、雨が降る恐れが出てきましたので、一気に運べる手配を整えてまいりました。一台の橇に十五俵載せれば、二往復で運びきれると思います。雨を避ける蓑も持って参りました。峠まで押し上げるための人手も連れてまいりました」


 正季は秀柾の配慮に涙が出そうになった。大きくうなずいて答えた。

「よくぞ、そこまで考えてくれた。さあ、腹が減っているであろう。まずは粥を食べてくれ」


 男たちは椀に盛った粥を瞬く間に平らげ、荷造りにかかった。俵を藁縄で固定して、その上に蓑を被せる。


 秀柾が移送隊の先頭に立った。振り返って、大声で告げる。

「皆の衆、行くぞ!やり切るぞ!」

「おおっ!」

 男たちは鬨の声をあげて応え、橇を推しはじめた。


 三俵の追加は大きな負担になる。橇がきしみ、橇板が沈む。男たちはうなり声をあげ橇を峠へと押し上げていく。


 橇隊は峠に着いた。馬を繋ぎ変える間、秀柾は西の鉢伏山の方に目をやった。飛騨の山々はすでに厚い雲の中にあった。自分らの頭上の雲も厚さを増してきている。雨がひどくなる前に、あと一往復しなければならない。

「重平、急ごう」

 秀柾は、重平とともに菩提寺に橇を曳いた。


 正季は朝の橇隊が運んだあとの俵を数えていた。残りは九十八俵であった。橇がすべて無事に戻ってくれば、九十俵近くは運べる。残り、八俵だが、朝の橇の様子からすれば、もう積み増すことはできそうにない。ここしばらく好天に恵まれたことを考慮すれば、この後、しばらくは雨模様になることを覚悟しなくてはならない。そうなると移送は困難になる。


 昼を回ったころに、橇隊が戻って来た。全員の顔に疲労が色濃く表れている。男たちは粥を大急ぎで喰らうと、すぐさま荷造りに入った。橇の一台に損傷があり、詰めるのは八十五俵までとなった。十三俵残る。


 秀柾が言った。

「諏訪の人足の方々、橇を推すのは我らがやります。申し訳ありませんが、俵を一俵ずつ背負い、峠まで持ち上げてください。そこからは、概ね下りなので、何とか我らで運びます」


 人足たちは顔を見合わせたが、首領がうなずくと藁縄で俵を縛り背に負う用意を始めた。

 十二人の人足が一俵ずつ背負ったところで、一俵が残った。重平が背負おうと進み出たが、正季が制して言った。

「これは私が背負う」


 男たちの最後の力を振り絞っての峠越えが始まった。


 人も馬も連日の重労働に疲れ果てている。

「そーれ!やーれ!ほーれ!」

 男たちは、自分と馬を励ますために声をあげていた。


 正季は肩に食い込む藁縄の痛みに耐え、這うように峠を目指し、歩を刻んでいく。座り込み休みを取りたいと思うが、もし立ち止まれば、二度と立ち上がれないだろうともわかっていた。


 峠が近づくころ、周囲は霧が出て暗くなってきた。雲の中に入ったのである。


 数間先が見えない程、霧が濃くなった。何度も通った道であるにもかかわらず、自分がどのあたりにいるのか見当がつかなくなってくる。考えることをやめて、次の一歩、次の一歩にだけ集中する。


 少し雨が降り出した。


 正季は歯を食いしばりよろめきながら進んだ。


 気が付くと、目の前に皆が立ち止まっていた。峠だった。


 秀柾が告げる。

「橘様、ここからは下りです。私らだけですべて運ぶことができます。ご苦労様でした」

「そうか……秀柾、後は頼む」


 正季は荷を下ろし、立ち上がろうとしたところで、ふいに視野が狭くなった。まずいと思ったが、あたりが暗くなり膝がくだけた。


正季は膝がくだけた

意識が遠くなっていく

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