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第五十八話 飛駅

目代の中原兼経は解状に怒った やがて京から飛駅が国府に届く

 解状は、下々の者が、上位の為政者に、自分らを直接差配する役人に対する不満や不正を訴えるものである。解状が出たということ自体が、不手際があったことになる。


 目代の中原兼経は怒りを爆発させた。

「解状とは何事か!これを起こしたものは誅さねばならぬ。そうだ、すぐに木曽に馬を出し街道を塞げ。怪しいものを捕えて調べよ。解状を破り捨てる。誰か参れ!」


 部下の官吏たちの目は冷ややかだった。写しが届いたということは、正本はすでに京の国司のもとに届けられたに相違ない。後は国司の源重時がどう反応するか次第である。重時も、解状を無視はできない。自分を飛び越し、朝廷に解状が出されることもありうるからである。尾張の村長が国司の不正を朝廷に訴え出た解状で、国司が罷免された例が実際にある。


「少掾。触書を見せよ。そなたの不手際ではないのか?」

 兼経は正季に責任を押し付けようとした。


「触書を出す前に、御裁可いただきましたが、今一度、検めまするか?これにございます。大掾殿にも予めご覧いただき、そのうえで御裁可いただきましたものです」


「触書を一枚ずつ見ることなぞできるか!上手くやるのが、その方らの任であろうが!」


 兼経は正季から触書の写しを奪い取るように手にした。読み進めると、書かれていることは、確かに自分が口にしたとおりであるが、言葉遣いが微妙に挑発的である。しばらく読んで、自分の指示から外れていると思えるところを見つけた。


「少掾、そなた『春に必ず種籾を低い利率で貸し付ける』と言ってなかったか?」

「はい、申しました。その後、利率をいくらにするかお尋ねしましたが、国司様の指示を待てと申されましたので『貸し付ける』とだけ書きました。国司様への上申書には低い利率で貸し付けることの裁可をお願いしております」

「……」

 兼経は言葉を失った。


 七日後、京より飛駅が届いた。


 兼経は開封して中身を検めた後、書状を投げつけるように正季に渡し、足音を響かせて部屋を出て行った。


 書状の前半は、兼経の行政手腕への失望が書かれていた。秋になって初めて凶作の知らせを上申したこと、立冬りっとうも近いのに年貢の収納量の把握ができていないことに加え、流民による夏越の襲撃を防げなかったことまで書かれていた。


 後半の解状への対応については、すべて願い出どおり許せとあり、加えて、夏越の死穢を残さぬため東信の籾を一粒残らず回収せよと念が押されていた。農民が種籾を隠すことを避けるため、春には籾を無利子で貸し付けよと書かれていた。


 正季は真貴の企てが今更ながら恐ろしくなった。


 正季は、国司からの書状に基づき、解状への回答となる触書の草案を書いた。大掾に諮ったうえで、目代に裁可を仰いだ。目代は裁可を渋ったが、遅らせるなら理由を国司に伝えねばならないと正季が迫り、裁可を引きだした。


 新たな触書が各郡代の屋敷に届けられた。

 事の成り行きを、身を縮めながら見守っていた連判者たちは息をついた。 


 小雪しょうせつが過ぎた頃、正季は巡察として長野、千曲、上田、諸を廻った。籾の回収は順調に進んだ。あちこちで切株を焼く白い煙が広がっていた。上田、諸の作柄が悪かった地域も、代納を次の夏まで先延ばしできたので、厳しくはあるものの飢え死にの恐れは遠のき民心は落ち着きを取り戻した。


 日が傾き、八ヶ岳を越して吹いてくる西風が冷たい中、正季は佐閑の里に入った。

 百姓姿の真貴と秀柾とが正季を迎えた。真貴が笑顔で挨拶した。

「橘様、よくお出でいただきました。昨晩、秀柾が猪を仕留めましたので、夕餉は猪と茸、野菜の鍋です。ほんとうにいいときにお出でくださいました」

「それはありがたい。湖岸の風ですっかり冷えてしまったからな」


 和尚、ユイも交え、夕餉がはじまった。

 この夕餉の鍋は、これまで正季が食べたいかなるものよりも美味しく感じられた。


 ユイの傍らには縞模様の猫がいた。ユイが抱きかかえながら紹介した。

「この子を小虎と名付けました。普段はすごく可愛いのですが、獲物を追うときは小さな虎です。先日も鼠を捕らえました。里の食べ物のまもりです」

「それは頼もしい」

「はい、いつも私と一緒に寝ます。とても暖かいです」

「よき連れができたな」

 ユイが得意げにうなずいた。


 その夜、正季は寺の本堂で寝た。


 ふと気づくと、本尊を拝んでいる者が二人いる。

 起き上がると父と母であった。


「父上、母上……」

 正季が声をかけると、二人が振り返り、母が言った。

「久しぶりね。元気なようでよかった」

 見ると二人とも旅装である。

「いずこに行かれるのでしょう?」

 父が答えた。

「うむ、そろそろ京へ戻ろうと思う」

 母が続けた。

「今宵は、この里にそなたが来ると思い待っていたのよ」

 父が微笑んでいた。

「もう、信濃のことはお前に任せてよさそうだからな」

 母も微笑んだ。

「よき伴侶も見つかったことだし」

 父母は立ち上がり本堂を出て行った。


 正季は目を覚ました。夜明けの少し前であった。天気が良く、かなり冷え込んでいた。境内に出てみると八ヶ岳に朝日が当たりはじめ、山々は黄金色に輝いた。


正季は佐閑の里の妙泉寺で目を覚ました

八ヶ岳が朝日に輝いていた

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