表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
58/89

第五十七話 解状(げじょう)

東信の村々の主だったものが、ひそかに諸の寺に集まった

触書に示された餓死が避けられない年貢をどう回避するかが話し合われる

 郡代の呼び出しの六日後の夕刻、諸の村はずれの寺に、諸だけでなく、上田、千曲、長野付近までの村の長や、武者が集まった。秀柾は、良真和尚と村長を馬に乗せ、寺に連れて来た。


 集まった者は、皆、切羽詰まった顔をしていた。


 集会が始まった。


 まず、集会所となった寺の住職が、この集会を呼び掛けたのは、佐閑の妙泉寺の良真和尚であり、この秋の不作を乗り切るための話をしたいと語った。


 良真和尚が皆の中央に座った。和尚は静かに話しはじめた。


「先日、目代が出した触書を我らも見た。恐るべきことが書かれておった。あの触書通りに事が運べば、里から人は逃げ出し、流民が溢れる。そうなれば流民となった村人と里に残った村人とは食べ物をめぐり争うことになる。夏越の祓いのような地獄が北信、東信全体に広がるのは必定」


堂内がざわめいた。そのざわめきが静まるのを待って和尚は話を続けた。


「ゆえに佐閑は、かろうじて年貢を納めることができたが、今年の凶作を他所事とは全く考えてはおらん。我らは、ともに地獄の手前におる。どうすれば地獄を避けられるか……」


 堂内に沈黙が落ちた。


「滅多なことでは使うことが許されぬが、国府を、そして京の国司様を動かす『策』がある。ただ、それには皆の命を懸ける必要がある……解状だ」


 集まった者の多くは解状が何かを知らない。しかしながら、知っている者は息を呑み体を硬くした。


「我らは、目代の言う通りにすれば地獄が現れる、と国司様に訴え出る。ただ、国司様への書状を、先に目代が目するようなことになれば、握りつぶされ、連判した者の命は危うい」


 解状の意味が分かって来たものが、ざわめいた。


「国司様に願い出るにあたっては、助けてくれと願い出るだけでは済まない。我らはここまで力を尽くしますから、ここだけ、お許しくださいとはっきり記さねばならない」


 再び沈黙が落ちた。


「わしは、ここにおる多くの者の中で、おそらく最も長く生きておる。そして、これまで、二度、解状を書く場に立ち会った。一度は、願いは通ったが、今一度は、不埒な申し出とされ、連判人は命を落とした」


 沈黙が続く。


「この二つの経験をもとに、解状の案を練って参った。聞いてくれるか?」


 和尚の近くにいた何人かが黙ってうなずいた。


「では、読み上げよう」


 和尚は真貴とともに練り上げた文案を読み上げた。聞き終わった皆は沈痛な面持ちだった。


「いまここで返事をしろとは言わない。しかし、残された時は少ない。連判に名を連ねる覚悟ができたものは、十日の後に、ここに集おう」


 集会は、重たい空気のまま終わった。


 生島足島神社の例大祭は長月ながつき十九日に行われる。


 その日、真貴は巫女として舞を奉納することになっていた。

 祭典は修祓しゅばつに始まり、参進さんしん開扉かいひ献饌けんせん奉幣ほうへい祝詞奏上のりとそうじょう、さらに献幣けんぺいと続き、巫女による神楽舞の奉納となる。


 例大祭には氏子だけでなく、近隣の里、さらには諏訪や長野からも参拝者が訪れる。秀柾は太刀を佩いて姉の警護にあたる。正季も境内に詰めた。夏越の祓いの襲撃を念頭に、国府の武者数名を同行させていた。


 真貴は夏越の祓いの際には笹をもって舞ったが、今回手にするのはぬさ(榊の枝に紙垂しでを付けたもの)とした。


 神楽笛かぐらぶえの調べと鉦鼓しょうこの音がゆったりと流れ、真貴は優雅に舞っていく。観客の陶酔が最高潮に達したと判断し、真貴は動きを止め、舞台中央で幣を両手で握り、目を閉じ顔を伏せて、直立した。囃子が途絶えた。


 異常を感じて静まった観客が、ざわめきだしたその時、真貴は脚を鳴らしながら一歩踏み出し、顔を天に向け、幣を振り上げた。目を見開いて宣言した。


「龍神大神の宣り給うところを伝え聞く。

今年実りし籾は、余さず他所へ運び出し、稲わらと株とを焼き祓うべし。

夏越しに流れし死穢、これを清めざれば、来る秋の稔りも又、遂げがたし」


 境内が静まった。真貴はその場に崩れ落ちた。


 騒然とする中、秀柾が舞台に駆け上がり、真貴の肩を抱き支度の部屋に連れ帰った。


 正季は突発的な暴動を恐れていた。連れて来た武者たちに目配せをし、警戒を続けた。


 幸い、神社が次の儀式を速やかに始めたので、観衆に動揺は残ったものの、暴発には至らず事態は収束していった。


 危険な時間が終わったと確信した正季は神社の支度部屋に向かった。


「橘だ。巫女殿、大丈夫か?」

 正季が外から声をかけると真貴の声で返事があった。

「どうぞ、お入りください」


 少し青ざめた顔で、真貴が座っていた。傍らにふくべがあり水を飲んでいたようである。真貴の背後には秀柾が控えていた。


「よくやってくれた」

「これで民が動けば幸いです」

「動く。必ず動く」


 真貴が大きくうなずいた。


 佐閑に戻った真貴は、翌朝早く、鳩に文をつけ放った。

 

 例大祭の四日後、諸の寺で、解状への連判署名が行われた。二十近い里の村長が名を連ね、最後に佐閑の村長が名を書き込んだ。


 書きあがった解状の正本と写し、さらに控えを秀柾が預かった。


 翌日の夕暮れ近く、鳩の入った籠を手に、鍛冶の里の男が現れた。真貴は妙泉寺で和尚とともに男と話した。


 翌朝早く、再び手に鳩の入った籠を携え、男は海尻方面に向かった。


 佐閑に吹く風が冷気を帯びてきた。里山は紅葉した。村人たちは橡の実を拾い集めた。大きな叺四杯分を集めることができた。

 真貴はユイとともに、柿の実を採り、皮を剥いては縄で吊るし始めた。昨冬に干し柿の味を知った子どもたちが、ユイにいつから食べられるのかを繰り返し尋ねた。


 男が発って十二日目の昼、薬草の陰干しをしていた真貴のところに、ユイが駆けてきた。

「鳩が戻って参りました」


 真貴は鳩の足に結ばれた布切れをほどいた。布切れに「書渡セリ」と文字が並んでいた。


 秀柾は、すぐに国府を目指した。翌朝、国府に着き案内を乞うと、少目が現れた。秀柾は書を渡し、国府を後にした。


 正季は少目が門のあたりで書を受け取り戻ってきたのに気が付いた。開き読み始めた途端に目を剥いて立ち上がったのを見た。少目は手にした書を正季に突き出した。手が震えている。


「少掾殿、げ、解状でござる」



ついに解状が出された

正季と真貴の企ては東信の村々を救えるか…

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ