第五十六話 触書(ふれがき)
重平とセイは風間家に戻った
国府では凶作への対応でもめていた
風間家から佐閑の里に使者がやって来た。
経子に娘が生まれ、母子ともに健やかであるという知らせだった。真貴が看護学校時代に教わった所によれば、平安時代の出産では母子ともに無事な割合は半分程度とされていた。真貴は胸をなでおろした。
使者は、当主の風間清継と妻の静子がたいへん喜んでいること、清光が真貴に感謝していることを伝え、真貴には見事な巫女の装束を、秀柾には濃緑の地に蛟の模様が描かれた直垂を持参してきた。
使者が帰った日の夜、真貴は秀柾とともに米沢兄妹と話した。
「重平、セイ。ほんとうによく働いてくれました。おかげで、年貢を無事、納めることができました。冬支度もはかどりました」
兄妹は佐閑を離れる日が来たと知った。
真貴が続けた。
「佐閑の冬はとても厳しいです。冬が来る前に、諏訪にお帰りなさい。清光殿に手紙を書いています。二人を存分に褒めておきましたから、安心してお帰りなさい」
「ほんとうに二人ともよくやってくれた。ありがとう」
秀柾が、二人の顔を交互に見て、笑顔でうなずいた。
セイはこの日が来るとは分かってはいたが、実際に来ると、思っていた以上に辛かった。毎日、間近で見ていた秀柾の笑顔が見られないと思うと胸が苦しくなった。
重平は自分の心を見失っていた。佐閑に来る前は、血を流してでも勤めを果たし、武者として認められたいと考えていたが、諸への年貢移送の際、流民と向き合った秀柾のふるまいを目の当たりにし、帰路に話を聞いて以来、武者としてのあるべき姿は力を振るうだけの安直なものではないと思うようになっていた。
真貴の話を聞いた後、二人は寺に戻った。横になったが、なかなか寝付けなかった。
セイが重平に言った。
「兄様、この里とお別れなんですね」
「そうだな。お別れだな」
「兄様、諏訪に帰れることが嬉しいですか?」
「……そうでもないかな」
「やはり、兄様もですか。私は、あの武者長屋に戻るのが……嫌です。戻ると我らはどうなるのでしょう?」
「……我らの主は国興様だったから、この先は……時興様か」
「私は、このまま巫女様と秀柾様にお仕えしたいです」
「無理を言うな」
「兄様も、そう思っておられるのではありませんか?」
「……」
横になっているセイに、可愛がっている猫が体をすり寄せて来た。セイは猫を抱き寄せた。涙がこぼれて来た。
重平は眠れなかった。
翌朝、二人は佐閑を発った。真貴、秀柾、ユイだけでなく、多くの村人が二人を見送り、労いの言葉をかけた。
二人は秋色の濃い湖岸から谷あいへの道を、諏訪へと向かった。
信濃国府で、役職のある者をすべて集めての合議が開かれていた。議題は、いうまでもなく年貢の徴収状況の把握と善後策である。
首座の目代、中原兼経は苛立っていた。
税所(徴税の実務担当者)が話をまとめた。
「……というわけで、中信ならびに南信では、今のところ割り当ての八割を徴収できており、年内には一部代納となりますが、ほぼ集めきれる見込みです。問題は、北信と東信です。北信は六割程度、東信は五割にも達しておりません」
兼経が怒気を帯びた声で尋ねた。
「北信、東信の郡代どもはなんと申しておる。いかにして集め、いつまでに完納するともうしておるんじゃ?」
「……見込みが立たないと言っております」
「いったい、どうなっておるんじゃ!」
兼経は合議の参加者を睨め回した。殆どの者が俯く中、橘正季だけが兼経を見返していた。
正季が静かな声で言った。
「北信は野盗の被害がひどく、飯山や長野あたりの里からは逃散が相次いでいます。流民になった者もいますが、大勢は麻績、保科、千曲あたりの荘園に逃げ込み寄り人になっています。里に人がいなくなれば、米どころか雑穀すら集めようはありますまい」
兼経以外の参加者が、小さくうなずいた。
正季が続ける。
「東信は凶作です。凶作の気配は春先から漂っておりました。私は、幾度となく、早く手を打つべきだと進言いたしました。まったく聞き入れていただけなく残念です」
兼経の眉が吊り上がり、口元が震えた。
「春先の気配など、誰が分かるというのだ。実りは秋になるまで決まらぬ」
「東信でも、佐閑だけは完納しましたぞ。あの里では、春先に気配を察知し、大胆な手を打ち、日々、汗を流し収穫を守ったのです」
「たまたま上手くいった小里のことなどどうでもよい。北信、東信の郡代どもに代納をきつく言いつけよ」
「代納を無理強いすると、民が飢えて死にます、いや、その前に逃散してしまいましょう。先ほども言いましたが、里に人がいなくなれば、米どころか雑穀すら……」
兼経が吠えた。
「では、どうせよと言うのか!わしに郡代どもと同じように『見込みが立たない』と国司殿に上申しろというのか!」
沈黙が落ちた。しばらくして大掾を務める老武者が言った。
「ここは、秋成の完納は難しいが、次の春には追納できるよう努めると、上申するのはいかがかと……」
兼経が力なく呟いた。
「そのような言いぐさで、国司殿が納得されると思うか……」
正季は議論が煮詰まり行き場を失うのを待っていた。どうやら、その時と思えた。
「秋成の成果を少しですが上げて、国司様に申し開きできる策がなくはないです」
合議の場の全員の目が集まった。
正季は、一息吸い込み言葉を発した。
「村民どもから、種籾も含め、米という米を一粒残らず差し出させるのです。そのことを上申にしかと記すのです」
驚いた大掾が言った。
「そんなことをして、来春の種籾はいかがする?」
「国府から貸し付けます。国府でいったん預かった米は、すでに徴収済みとされているので、貸し出したところで、取れ高が減ったことにはなりませぬ」
兼経の目が一瞬泳ぎ、再度、正季に焦点が合った。
「策は良しとするが、村民どもに種籾までも差し出す策におとなしく従うと思うか?」
「『春に必ず種籾を低い利率で貸し付ける』と目代殿の名で触書を出すのはいかがかと」
「そうか……低くても利が取れれば、国司様も納得されるか」
正季はどこまでも保身しか頭にない兼経との議論が嫌になってきていた。
話をまとめることにした。
「大掾殿、上申書をお書きいただけますか?」
「いや……わしはかように難しい文は苦手じゃ。そなたの案である。そなたが書かれよ」
正季は兼経に向き直った。
「私にお任せいただけるのでしたら、目代殿の御触書も併せてしたためますが、いかがいたしますか?」
兼経は席を立ちながら言った。
「その方に任す。書き上げたら……大掾、お前が中身を検めよ」
合議は終わった。
真貴は解状の文案を練っていた。肝心なのは、何を願い出るかである。国司が「しかたがあるまい」と思える程度の要請にとどめなくては、水泡に帰す恐れがある。和尚や村長とも相談の上、まとめた内容は次のようなものになった。
「連判に名を連ねる里は凶作に苦しんでいる。このたび、国府の命令で米は種籾も含めすべて供出することになった。そこで、以下の処置を願い出る。
一、来年の春までに国府より、一反当たり二十斤の種籾を貸し付けてもらえること
二、貸し付けの利息を含め、秋の収穫時の返済は一反当たり三十斤とすること
三、秋成として不足した米の分は、麦、稗、粟、黍にての代納を認め料率は倍とすること
四、代納分については夏成での納付を認めること」
次の問題は、この解状の内容を上田や諸の村長や里の武者に理解させ、了解、連判を取り付けることと、解状を国府の目を盗み、京にいる国司源重時に届けるかである。
村長や里の武者を集めて説明する機会は、寺どうしの連絡網に頼ることにした。佐閑の良真和尚は上田、諸の寺々に文を出した。主旨は、この秋の不作を乗り切るための知恵を出し合おうではないかというもので、村長や里の武者の参加を呼び掛けた。場所は、諸の寺とし、期日は十日後を設定した。
京への解状の搬送は、村人や里の武者には困難であった。はじめは、いずれかの寺の僧が行うことも検討したが適当な人材はいなかった。真貴は、ひとつだけ当てがあった。
村長に、諸の郡代から、国府から大事なお触れが出たので、二日後の昼に屋敷に来るようにとの要請が来た。
秀柾は二人の村人の助けを借り、東雲と西風に支援物資を積み、村長とともに諸の屋敷に出向いた。
郡代屋敷に着き、支援物資を屋敷内に運び込んでいると、他の里の者が集まって来た。この穀物は何かと訊かれた村長が支援の主旨を説明すると二つの里が支援を要請してきた。
皆が、屋敷の庭に集まった所で、郡代が、信濃国目代の触れを読み上げた。
「仰せ下され候。
今般、年貢米の割当分につき、納入に障りありとして応ぜざる輩ある由、甚だ以て不届の至りなり。
仍て、割当分を完納せざる里においては、一旦、種籾に至るまで、所持の米穀悉く年貢として差し出すべし。
来歳の種籾の儀は、国府より貸し付くべきものとす。
なお不足の分については、麦・粟・稗・黍等の雑穀を以て代納することを許す。但し、その率、米一に対し三とす。
右、違背あるべからず。
信濃国守目代」
騒然となった。
村長や里の武者に詰め寄られた郡代は、ただ目をつぶり俯いていた。
ついに触書が出た 村人が呑めない過酷なものだった




