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第五十五話 凶作

上田、諸の凶作が明らかになった 正季は対応に奔走していた

 橘正季は上田の屋敷で郡代の手塚信元と対峙していた。

 正季に年貢の徴収状況を質された信元は横を向いて答えようとしなかった。


「手塚殿、そのように黙られていては……」

「……年貢が集まっていないことは、橘殿はとうにご存じであろう」

「村の様子を見れば分かります」

「どうしたものかのう……」

「米が集まらぬとなると、代納を申し付かるのは必定です。代納に供する、麦や粟、稗などは、どの程度かき集められそうなのですか?」

「これほど作柄が悪くなるとは思いもよらなんだでのう。これから調べることに相成りまする」


 正季は腹立たしいというより、このような男が何故郡代なのだろうと不思議だった。


「手塚殿。こと、ここに至っては座って考えているときではありませんぞ。一刻も早く、領内をくまなく廻り、今、手元にある作物、畑でこれから獲れる作物を調べ上げてください。それなくして善後策の立てようがありません」

「やはり賦役を課すことになろうか……」

「今は、そのことを考えるときではございますまい。七日、いや五日のうちに調べてください」

「そんなに性急に申されても……」

「言いたくはないのですが、私は、凶作の恐れは何度も申しました」

「……」


 正季は上田の郡代屋敷を後にした。


 正季は、そのまま諸に移動した。

 諸の郡代、平賀忠景とは、前回訪問したときに、年貢の米が集められないときの対応をある程度練っていたので、具体的対策に踏み込むことができた。


 諸では集められた米は割当量の六割ほどだった。手元にある麦や昨年収穫した米の備蓄などを併せれば、八割強まで積み増せると判断できた。不足分を補うとすれば、これから収穫する大豆、蕎麦になる。ただ、代納を優先すると、村が冬を越す食糧が不足することは確かである。


 正季と忠景とは夜遅くまで議論を重ねたが、不足分を補う知恵は出なかった。忠景は、少し前に年貢を運んできた佐閑の里に言及した。


「橘様、この諸の一帯が、上田もそうだとは聞いておりますが、不作に苦しむ中、佐閑だけは、何事もなかったかのように割り当て分を揃えて持って参りました。どのようにして、収穫を守ったのか、まったく不思議でなりません」


 正季は秀柾の言葉、『姉の力は、不可思議なものではなく、知恵や観察に基づき、考えを重ねて現れているものだと思います』を思い出した。さらに巫女は言っていた。『少しずつでいい、たゆまず、賢く、強くなれ。そして来るべき時に備えよ』と。


「平賀殿。私が存じている限り、佐閑で行われていることは、不思議な事ではございません。ただただ、考えを重ね、小さな工夫をたゆまず積み重ねておるように見えました」


「そのようなことで、違いが出るものかのう……」


 翌朝、正季は国府に戻るつもりでいた。しかし、気付けば足は佐閑に向いていた。『風間清光が巫女殿に託した二人の様子を見ておこう』。正季は佐閑に向かう理由を見つけた。


 千曲川から湖岸へ続く道を進む。路傍の芒や茅の緑が衰え、秋が深まりつつあることがよくわかる。八ヶ岳の高いところでは、樹々も色づき始めているように見える。


 湖岸から佐閑の里に入ると、いつもの呼子の音が聞こえる。緩やかな畑の中の坂を上っていくと、上の方で二人の半裸の男が、丸太を組んで柵をこしらえていた。


「これは橘様」

 秀柾が汗をぬぐいながら正季に挨拶をした。


「そちらが、風間家からの加勢のものか?」

「左様です。米沢重平にございます」

 傍らにいた男が頭を少し下げた。

「重平、こちらは国府の橘様だ」

 重平は、驚いて膝を折って地面に座り、再度、頭を下げた。

「そんな挨拶はするな。巫女殿はどちらかな?」

「おそらく寺におると思います」

「そうか」


 正季が馬を停め、寺の境内に入っていくと、見覚えのある少女と新顔の少し年かさの少女が、かがんで、仔猫と戯れ、声を弾ませている。正季は、幼少のころ住んでいた京の橘家の屋敷で猫を見たことがあったが、それ以来であった。


 本堂に入ると、真貴が、村長、和尚とともに、木簡を並べ、何事か相談していた。真貴が正季に向き直って挨拶をした。

「お久しぶりでございます。橘様」

「うむ。あの娘が風間家からの?」

「左様でございます。あの娘の兄は、秀柾と一緒に柵作りをしていると思いますが、会われましたか?」

「先ほど会った。なかなか逞しい男だった」

「はい。秀柾をよう手伝ってくれます」


「娘達が仔猫と戯れていたが、私は猫を見るのは京を出て以来だ。よく入手できたな」

「さるところから分けていただきました。穀物の守にと思っています」

「犬で里を守り、猫で食を守るか……」

「上手くいけばいいのですが」


 正季は年貢を完納した佐閑が無理をしたのではないかと気になっていた。

「佐閑は割り当てられた年貢をすべて納めたと諸の郡代に聞いた。無理をしたのではないか?」


 これには村長が答えた。

「そんなことはございません。種籾を取り置いたうえで、一俵余裕がございました」

「春の、あの厳しさから、そこまで持って行ったのか」

「巫女様がお導きくださいました。来年は、倍の収穫を目指そうと、皆、力が入っております」

「なんと、倍とな」


 真貴が四枚の木簡を正季に示した。

「橘様、これは、些少ではありますが、この里が、諸の不作を補うために用意できるものです。村長と話し合いまとめました。来年にお返しいただければ結構です。諸で飢える者が一人でも減ればと思っています」


 木簡には、「古米二俵、麦四俵、大豆一俵、粟二俵」とあった。

 正季はありがたかった。さらに佐閑の蓄えの調べが整っていることに驚いた。


 村長が話を続けた。

「巫女様に教えていただき、穀物の蓄えを木札にまとめるようにしました。使えば木札を捨て、獲れれば木札を加えるようにしました」

「なるほど」


「それと、我らも不作への備えを引きあげることとしました」

「どのようなものか、示してくれるか?」

「はい。まずは、里山でとち(どんぐり類)の実を集めます。これは、殻を剥き、粉に挽いて、水で晒すと、食べることができます。巫女様に教えていただいたところ、滋養に優れているとのことなので、冬の間、数日に一度は食べようと考えています」


「他にもあるのか?」

「蓬、蕗、滑莧すべりひゆさらに茸を集め干しています。秀柾様が獲られた猪や鹿で干し肉を作っております。加えて、巫女様が諏訪からお持ち帰りいただいた竹籠の罠で、湖で魚や川蝦を獲れるようになりました。これらも干したり、(ひしお)(塩漬け)にしたりして冬に備えます。次の夏にはいなごの醢も作ることを考えています」


『見渡せば、山里にはかくも豊かな食べ物があるのか……』

 正季は、食べ物として、穀物ばかりを気にしていた自分に気が付いた。


「よきことを教えてもらった。今なら、まだ、食べ物を集められそうだ。上田や諸の助けになろう」


 真貴が居住まいを正して、正季に向き直った。

「橘様。上田、諸の不作の件で、僭越ではありますが、献策申し上げたいことがございます」

 珍しく、真貴が自ら策を示したいと言い出したので、正季も居住まいを正した。村長も顔を上げて真貴を見た。


「どういう策でございましょう?」

「はい。稲に白い斑点が現れて不作になった里については、種籾も含め、すべての籾を年貢としお集めください」


「種籾も含め?」

 正季も村長も驚いた。

「次の春の種籾は、国府で集められた年貢米の中から、できるだけ作柄が良かった里の籾を貸し付けてください」

「何故に、そのような手間を……?」


「不作をもたらした病魔は籾や藁、切株に潜み年を越します。このままですと、来年も不作が続く恐れが大きいです」

「そうなのかっ!?」

「はい。私は、そのように学びました。できれば、稲藁は土に戻さず、切株も掘り起こし、火をかけて燃やすことを勧めます」


 正季は奥歯を噛みしめた。今年の不作は、まだ乗り切れるかもしれない。しかし、不作が二年、三年と続けば、多くの民が死に、国力も損なわれる。ただ、どうやって村人と国府を説得するかが問題である。


「巫女殿の言われることに理があるのは分かる。だが、どうやって、ことを運ぶか……」

「おそらく理で諭してもお分かりいただくことは難しいと存じます。策が一つありますが、大変申し上げにくいです」


「是非に」

「この夏の、上田、諸の稲には、『夏祓いの際に流れた血による穢れがついた。ゆえに不作となった』とするのです」


 真貴が続けた。

「私が生島足島神社にうかがい、人々の前で、龍神様の声として伝えます。その前に国府の触れとして『いったん種籾まで含めすべて年貢に差し出せ。春に国府が種籾を貸し付ける』と告げておけば、上田や諸の人々を動かすことができるやもしれません」


 正季は鳥肌が立つのが分かった。この件について龍神の巫女は覚悟を決めている。


「巫女殿は凄まじい策を思い付いたな」

「これ以上無用の血は流さぬ。流した血も無駄にしない。心に決めました」


 真貴の目は正季の目を見ていた。正季の覚悟を問う目だった。

 正季はうなずいた。

「やろう。少なくとも、誰もこれ以上失うものはない。考えてみれば、村人が種籾まですべて年貢に差し出すとなれば、わずかでも年貢は増え、国府はできる限りかき集めたという言い訳もできる」


「そのことを踏まえた解状を、上田、諸の村長の連名で作り、代納の負担を減らすよう要請することはできないでしょうか?解状は、間を飛び越し、直接に国司様にでも、朝廷にも出すことができるとうかがっています。正本を京の国司様に送り、国府の目代様には写しを渡すというのは」


 正季は声を失った。今日この里へ導いたのは、きっと父であろうと、正季は思った。

民を救い、二年続きの凶作を避ける

真貴と正季の共同作戦が始まる

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