Episode 19 エンデスオールの悪魔
教室から遠く離れた、王立エスタール学園・職員室。
他の教師が昼食に出ているためか、室内はしんと静まり返っていた。
ハイアス・ノーズリーヴは、自分の席にどっかと腰を下ろし、額を指で押さえる。
「……はあ~~~~~~~~……朝から疲れた」
机の上には、生徒指導記録、副担任からの連絡メモ、提出物の束。
その端っこに、さっき三人へ渡した反省文の予備用紙が数枚挟まっている。
「王子、公爵、次期公爵……三バカ共、朝から人の心臓に悪ぃんだよ……」
ぶつぶつ文句を言いながら、ペンをくるりと回した。
だが、ふと、目が止まる。
目を留めたのは――職員証の裏側。
肌身離さず持ち歩くそのカードの裏には、一枚の小さな写真が差し込まれていた。
――ボロボロの制服。
――赤髪の少女と、短い竹刀。
――「エンデスオールの悪魔」なんて呼ばれていた頃の、笑っていないハイアス。
ハイアスは無意識に、写真の角を撫でる。
「……私も昔は、ロクでもなかったよな」
軽く笑って、しかしその笑みはどこか苦かった。
◆ ◆ ◆
――二十数年前。
王都の端、治安最悪の地区──エンデスオール。
路地裏に響く怒号。
鳴り響く金属バットの音。
そして、それを蹴り飛ばす少女の姿。
「なめてんじゃねぇぞコラァァァ!! 路地で縄張り争いとか時代遅れなんだよ!!」
髪を結ばず、目つきは鋭く、服は破れ、血の匂いも珍しくなかった。
「“強いから偉い”とか……そんなくだらねー価値観、ぶっ壊してやる……ッ!」
幼い頃のハイアスは、まさに“元ヤン”の原型――いや、ほぼ本物だった。
貴族でも平民でもなく、家もなく、守ってくれる大人もいない。
それでも喧嘩で負けたことはほとんどなかった。
だけど。
ある日、氷のような瞳をした青年が、倒れた不良たちの間から歩み寄ってきた。
「君……名は?」
「……名前なんか忘れた。どうせアタシには、一生縁のないもんだ」
そうか、とつぶやき、青年は無表情のまま、言葉を続けた。
「私は教員。学園の視察で、偶然この路地を通ってね。君に強さがあるのはわかった。だが……使い方を間違えている」
「はぁ!? てめ――」
胸ぐらを掴もうとした少女の腕を、青年は軽く指一本で止めた。
「君の力が、人を護くことに向いていたのなら……どうだろう」
「…………は?」
「学園が欲しがる才能だ。ただの暴力ではなく、“未来を変えるための力”として使う道がある」
「……そんなの、知らねぇよ」
「知らなくていい。だが、知る機会は与える」
青年――後にハイアスの恩師となる人物は、ポケットから一枚の紙を出した。
「奨学生として学園へ来ないか? 君に教える価値は、ある」
そのとき、初めてハイアスは、自分の人生が“選べる”のだと知った。
◆ ◆ ◆
今のハイアス先生は、椅子に背中を預けながら深いため息をつく。
「……“身分の壁を壊す女教師”なんて呼ばれてるけどさ。私がぶっ壊してーのは、昔、お前らみたいなやつに潰されてた子ども達なんだよ……」
王子だから偉い、公爵子息だから何しても許される。
そんな価値観が、どれだけ人を潰してきたか。
先生はゆっくり目を閉じる。
「だから私は、誰であろうと叱る。……殿下でも、公爵でも、関係ねぇ」
そして――ふっと笑った。
「……まあ、生徒は可愛いんだけどな。あいつら、素直だし」
その時、声をかけられた。
「ハイアス先生、今いいですか?」
ハイアスに声をかけたのは、生徒指導部の副主任。
「あの、例の三名……また廊下で言い争ってまして……先生を探してます」
「………………は?」
数秒の沈黙。
「はぁ!? さっきの反省どこ行ったあの三バカァァァ!!」
椅子を蹴り上げ、ハイアス先生は職員室を飛び出した。
ヒールの音が、戦場へ向かう軍靴のように響く。
――“元ヤン教師、再び戦場へ”
学園に、嵐が再来する。
発覚の事実。
「ハイアス・ノーズリーヴは元ヤン」。




