ラクエン③
静かな高級街の路地を、ユリはただ無我夢中で駆けていた。
人工の青空の下、整然と整備されたアスファルトの上に、彼女のブーツの音が乾いたリズムを刻む。
綺麗すぎる街。穏やかすぎる空気。
小さな女の子がレースのスカートをふわりと揺らし、母親と手を繋いで笑っている。
道行く大人たちは光沢あるスーツやドレスに身を包み、どこか余裕のある足取りで通り過ぎていく。
「……ここには、飢えも、悲鳴もない」
思わず漏れた独り言。
脳裏に蘇るのは、HG住宅…スラムのあの空気だ。
煤けた壁、薄暗い通路。肩をぶつけて笑い合う子どもたち。
水の味は濁っていても、そこには確かに“生”があった。
「私が……守りたい世界って……何だったんだろう」
足が止まる。
ふと視線を上げると、ショーウィンドウに飾られた煌びやかなドレスの隣に、自分の姿が映っていた。
戦闘服。ブーツ。首元や頬に残る小さな傷痕。
この街の何者とも交わらない、異物のような存在。
そのとき、通りすがりの声が耳に入る。
「見て、軍人よ」
「まだ若いのにねえ〜」
「可哀想……うふふ……」
肩が震える。
歯を食いしばっても、頬を伝う涙は止まらなかった。
一方その頃――。
ダストハイブの食堂。
温かな湯気が立ち上るテーブルを挟み、タツヤとマントマンが向かい合っていた。
「うーん……今にして思えばさ、ユリちゃんをネオヨコハマに出向させたのは……ちょっと失敗だったかな〜なんて思ってさ」
マントマンは、チーズドリアをスプーンですくいながら、少し申し訳なさそうに呟いた。
「ネオヨコハマって……どんな場所なんですか?」
タツヤが首を傾げながら尋ねる。
「そうだね……一言で言えば、“特権階級の街”。
旧時代の価値観がそのまま残ってて、正直、住民の“質”はあんまり良くないんだよね」
「現代人とか軍属を、下に見てるんですか?」
「うん。差別っていうより……“見下ろすことに慣れてる”って感じ。
それに、ユリちゃん……昔の知り合いに会っちゃう可能性もあったし」
タツヤは少しだけ眉をひそめ、ぼそりと呟く。
「じゃあ、そういう場所なら……ナツキでも送り込めばよかったんじゃないですか?」
マントマンはスプーンの手を止め、少し重いトーンで返す。
「…そんなことしたら、僕らダストハイブは“反逆者集団”として即アウトだよ。
ネオヨコハマは“現体制の象徴”みたいな場所だから。国が本気で潰しに来る」
タツヤは何も言えず、スプーンでドリアをすくい上げた。
数秒の沈黙のあと、マントマンがにっこり笑って話題を切り替える。
「それよりこれ! めちゃくちゃ美味しいね、これ」
「P.Jさんが、“今月の自信作”って言ってましたよ」
タツヤも微笑んで頷き、ジャガイモの甘みとチーズのコクをゆっくり味わった。
だがその頃、
ユリの胸の中では、チーズもとろけないほどの違和感が、静かに、深く、広がり続けていた。




