第七段 うえにそうろう御猫は
一条天皇のお側で暮らしている猫は、五位の位を頂いて『命婦のおとど』と名付けられて、大変かわいらしいので、みんなで大切に養っていらっしゃる。命婦のおとどが、端近に出ているのをお守り役の馬の命婦が見とがめて、
「まあ、お行儀の悪い。御簾のうちに入りなさい。貴族の娘は、人前に出たりしてはなりません。」と呼ぶのに、日当たりのいいところで昼寝をしているのを脅かそうとして、
「翁まろ(犬です)、どこにいるの。命婦のおとどを食べてしまいなさい。」というと、
犬は本気にして、はしってとびかかる。命婦のおとどは、びっくりして、こわがって、御簾の内側に入った。
朝食をとる部屋に、一条天皇がいらっしゃって、この様子をご覧になって、驚いておられた。命婦のおとどを懐に入れられて、誰かいるか、と呼ばれると、蔵人の源忠隆が参上したので、
「この翁まろを打ち据えて、犬島に島流しにせよ。さあ、すぐに。」と命令されたので、大騒ぎして捕まえる。馬の命婦も叱られて「お守り役をかえよう。任せておけぬ。」とおっしゃる。翁丸は、みつかって、滝口の武士に追放させられた。
「ああかわいそうに。翁まろは、いつも堂々と歩きまわっていたのに。三月三日には、頭の弁の藤原行成が、柳の髪飾りや桃の花を頭に飾り、梅を腰に挿して歩かせていたのに。こんな目に合うとは、思ってもいなかったことでしょう。」
「定子様が朝ご飯をお召しになる折は、向かいに座って見守っておりましたのに。」
など言い合って、三四日が経った。
昼頃、犬がひどくなく声がして、女官が、
「犬が来たので、蔵人が打ち据えて、死んでしまうでしょう。追放になっていたのが帰ってきたということです。」という。止めに行かせたが「死んでしまったので、捨てに行きました。」と、報告する。
その夕方、体を腫らし、おびえた様子の犬が、ぶるぶる震えながら歩いているという。これは、翁まろであろう、いや違う、と口々に騒いでいると、定子様が、
「女房の右近を呼びなさい。あの人なら、分かるだろう。」とおっしゃるので、部屋に下がっているのが呼び出されてやってきた。
「『翁まろ』と呼んでも、来ません。ちがうのでしょう。」と言う。
夕方になって、ものを食べさせようとするが、食べない。
朝になって御手水が来たので、定子様に御鏡を待ってお顔を映して差し上げる。すると、柱の陰に、犬の姿が見えた。犬は、涙をこぼしている。やはり、翁まろであったのか。昨夜は、隠れてものも食べずに、我慢していたのかと、その気持ちが「あわれ」で「をかし」。
定子様も、微笑んで、右近を呼ばれて「やはり、翁まろでしたよ。」と皆で笑いあっていると、一条天皇もいらっしゃる。
「翁まろ」と呼ぶと、今度こそ、起き上がって近寄ってくる。
「手当をさせたいですね。」と、私が言うと、
「清少納言は、命婦のおとどより、翁まろびいきなのを、白状してしまいましたね。」と、定子様がお笑いになる。
こうして、翁まろは、お咎めや追放を許されて、もとのように過ごしている。震えて鳴きながら出てきた様子を思うと、しみじみと「あわれ」で「をかし」。
(犬派、猫派のお話でした。犬派の葉月としましては、翁まろの受難が気の毒でなりません。)