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第二五六段 関白殿、二月十日のほどに(その9)
「お二人は、このように、私を責められるのですね。春風ではなく、山田のせいかもしれませんよ。」とおっしゃって、
山田さえ 今は作るを 散る花の かごとは風に おおせざらなん(古今六帖)
(あのような山奥の田でさえも、今は人が耕して米を作る時期になったというのに、散っていく桜の恨み言を、春風のせいになさるのですか)
という紀貫之の和歌を吟じられるのは、とても上品で優雅で趣がある。(なんと優雅なやり取りでしょう。)
「それにしても、悔しくも見つけられてしまったものだ。あのようにひそかに取り払えと申しつけていたものを。私の所の侍の痴れ者であることだ。」とおっしゃる。
「『春風は』とは、空のせいにしてたいそうおもしろく言ったものだ。」などおっしゃって、もう一度和歌を吟じられる。
「言葉で聞いたのでは、気が利いているとは思いますが、今日の桜の様子はどのようだったのでしょうか。」と定子様が笑っておられると、小若君という女房が、
「けれどもそれは、清少納言がとても早い時間に見て、『雨に濡れた桜など、面伏せ(面目がない)だ』と言っておりました。」と申し上げたので、そんな桜を見られたことを、道隆様はずいぶんと悔しがられるのもおもしろいことであった。




