第二四八段 賀茂へ詣ずる道に
賀茂の神社に参詣する。その道に、女たちが、新しい板でできた盆のような折敷のようなものを笠にしてかぶってたくさん集まっている。歌を歌い、立ったり座ったりしながら、何をする様子もなく、後ろに向かっていくのはどういうことだろうか。
(おそらく、田植えをしているのだと思われます。)
「おかし」と思って見ていると、ほととぎすをひどくけなして歌っているのを聞いて不愉快だ。
『ほととぎすよ。お前よ。きさまよ。きさまが鳴くから、我は田に立ってるのだ。』と歌うので、聞いていることができない。
(優雅に暮らす貴族の女房と、重労働の農民とでは、ほととぎすの鳴き声ひとつでも違う意味を持つなど、せいしょうなごんには、わからないだろうなあ。)
いったいどんな人が、『いたく鳴きてぞ』と歌に詠んだのであろうか。
(ほととぎす いたくな鳴きそ ひとり居て いのねられぬに きけばくるしも
拾遺集
ほととぎす いたくななきそ なが声を 五月の玉に あいぬくまでに
古今六帖)
宇津保物語の主人公 仲忠の子供時代の生い立ちをけなす人と、
『鶯にはほととぎすは劣っている』という人は、とても恨めしく、憎らしい。霍公鳥は、夜に泣かないのが、ひどく好ましくない。すべて、夜鳴くものは素晴らしい。ちっとも鶯など素晴らしくない。
(『推し』のほととぎすをけなされたので、清少納言は、我を失うほど怒っています。仲忠・涼論争まで、何の関係もなく出てきてしまうほどに。実は鶯も好きなのを忘れるほどに。ちょっと笑ってしまいます。 葉月)




