Ⅲ-ⅩⅥ.バサースト
マーズ=エクスプロレーション=ローバー―――名の意味は『火星探求の放浪者』―――何とも言い難いヒロインの名前だが、まぁ、合っていると思う。之は私の独自翻訳で、マーズ=グローバル=サーベイヤーの韻を踏んだものであるが、直訳すると『火星探査車』となる様だ。いまいち可愛げが無い。こちらの方が可愛いに決っている。
・・・さて、話が過ぎたが、マーズ=エクスプロレーション=ローバーは全く同一の名で2機が打ち上げられている。一つがMER‐Aと名づけられた『スピリット』、かれは赤道近くの、嘗て湖だったと考えられるグセフ・クレーターに着陸した。火星地上のカラー写真を撮影した最初の機器である。
のちにかれは車輪の一つをやられ、引き摺りながら移動するという苦渋の事態を強いられるが、その不幸が逆に功を奏し、車輪が深く食い込んだ火星の土壌から二酸化ケイ素が発見された。スピリットが自身で搭載された分光計を使って分析し、突き止めたのだ。
その形成原因については、温泉の様な環境や火山性の活動に因って酸性の蒸気と土が反応した為ではないかと考えられており、地球に似た、生命に優しい環境が火星に存在していた事が示されたと誇らしげに訴える学者もいる。自分の手柄でもないのに。スピリットを造ったのも先人であって、彼等ではない。
スピリットの話はこれくらいにして・・・というのも、双子のマーズ・ローバーと呼ばれるMER‐B『オポチュニティ』と比較すると、遙かに資料が少ないからだ。決して、かれが作品に関わっていないからではない。
『オポチュニティ』を重点的に講義する心算が、マーズ=エクスプロレーション=ローバーと1号機『スピリット』のみでこれほど用紙を費やしてしまった。こうして私の講義はずれてゆくのだ。
アマチュア作品の講義は無限だから気楽でよい。次回は丸々1時間取って、MER‐B『オポチュニティ』について解説しようと思う。
通話を終えて、サーベス一行は改めて車に乗り込んだ。ボロ=マーシャルのシューティング‐ブレーク。名前の通りボロボロである。
「・・・・・乗って」
サーベスがトーンの低い声で言う。車内のレバーやペダルが傷んでいるのはともかく、外観まで損われているのはあまりに扱いが荒いからか。シェリフは彼の本来の属性を垣間見た気がして、またも別の誰かが恋しくなった。絶対にリコネスではないが。
・・・大人しく車に乗る。そして何故か助手席に乗る。乗っておいて
「なんであたし助手席に乗ってんだよ!!居心地悪いじゃないか!」
と、ひとり自分自身に対してキレた。相手は存在しないのに暴れ、車体は弾力よく上下し、天井からはひび割れた塵が落ちてくる。果たして車体の損傷が激しいのは彼だけのせいなのか。
止まらないワイパーを折ったりエア‐バッグをパンクさせたりと忙しかった彼は直したばかりのバック‐ミラーで自らの眼を映すと、アクセル‐ペダルをいつぞやの様に思い切り踏む。ブレンダが破目を外し始めた。
「えっ・・・ちょ・・あんた・・・・・・」
シェリフが急に弱気になる。ブレンダがぐんぐんと成長するさまを見て、彼女は眼どころか顔色まで蒼くした。
「あ、あんた、それ、スピード違反だよ・・・っ。だから緩めなっっ;;」
そう、か弱い声で言って、縋る様にサーベスの腕に手を回す。例の『男を惹っ掛けるカオ』で懇願してみせるが、彼女の本性を既に身を以て痛感している彼には効かなかった。
「・・・黙っててくれる?」
「あ・・・・あ・・・・」
シェリフが奇声を発する事は、もはや当り前だ。だが
「あーーーーーーーーーー!!」
ブレンダは一気に200程まで上昇し、窓の外は延々と続く緋色の空と赤い土だけが遺された。
シェリフの青だった顔と眼の色が、両方とも白くなる。棒然と真直ぐ立ち尽すと、棒の如くカランカランと中の詰まっていない音をさせて音がしないハズのリクライニング‐シートに真直ぐのまま倒れ込んだ。
サーベスは今までは見せなかった全く光の入らない、冷徹な黒い眼でシェリフを見下ろす。それは、以前ボロ=マーシャルがカウンティへの陰での称賛を彼女の前でした際の眼と、とてもよく似ていた。
通話中、何が目的かは判らないがずっと彼の背後に張りついていたバサーストが、通話が終わり、電話を片手に手持無沙汰となっていた彼と暫し睨み合う。
しかし不意に、バサーストの張り詰めていた表情に、不安が滲んだ。
「プロメテウスに、兵は来ていないか―――?」
それは最後の望みの様だった。己に対する警戒が弛むのではなく、無となってゆくのを感じた。
信用しているのではない。捨身なのだ。
「・・・・・半々というトコロですかねぇ」
リコネスのその言葉は、信用に値しない。逃げ易くする為の嘘かも知れないし、そうではないかも知れない。
「・・・来ていないとは、言ってくれないのか」
「言っても気休めにもならないぜ。現にアンタは誘拐された。うろついてることくらい、容易に想像つくでしょ」
この口がいつでも真実を語るとは限らない。嘘などわざわざつかなくても、見解で話をすれば、もうそれは真実ではないのだ。
「・・・・・・そうか」
バサーストは表情を曇らせた。
「・・・・・・でもね」
リコネスが口を開く。バサーストが顔を上げた。カチッと点火の音がして、彼の眼前で焔が燃え上がった。
「・・・・・・危ないの、北だから」
リコネスが紙を取り出して、1枚1枚焔に近づけてゆく。火星の薄い大気に耐えうる焔だ。威力が違う。
「・・・アンタの住んでたバーロー(中央)には、まだ侵攻し切ってない」
あっという間に紙は黒炭に変り、彼が軽くスナップを利かせると、粉々になってヘラスの砂に混じった。何と書いてあったか、それ以上にそれが紙であったかさえも判らない有様だった。
「父さんと母さんは、まだあの地域に住んでいるのか?」
リコネスは手を動かしながら、無言でバサーストを暫く視ていた。バサーストは驚きと期待を籠めた眼をしている。
「・・・・・・訊いてどうすんの」
ぶっきらぼうに聞き返す。焔は彼の顔付近まで高く大きく成長していた。弁に手を掛ける。
燃えかけの紙の断片は、家族三人が家庭の庭で幸せそうに立ち並んでいる写真だった。その写真が、バサーストの瞳に映った。
―――もう、あの頃の様に慎ましくも平和な中で生きる事は出来ない。
「・・・・・・逃げて欲しい」
両親はきっと、いつ自分達の地域も戦場と化するか分らない恐怖に脅かされながらも、自分の帰りをずっと待っているのだろう。しかし、自分はもうあの頃とは大きく変わってしまった。無差別に沢山の人間を殺したし、生きる為ならば何でもした。
―――もう、両親には顔を合わせる事は出来ない。あの頃には、戻れないのだ。
「・・・・・・」
リコネスがライターの弁から手を放す。焔の大きさは然して変わらなかった。今にも彼をも捲き込まん勢いで燃え上がっている。
彼はもう1枚、紙を出した。
「きっと俺は、戦場から生きて還る事は出来ない」
それは弱音ではなく宣言の様なものであった。リコネスは瞳孔を開いてバサーストを視る。眉を寄せたのが判ったが、すぐに顔を逸らしたので横髪で隠れてその後の表情はわからない。
「――――・・・」
リコネスは今の言葉で、総てを察した。




