Ⅲ-ⅩⅢ.戦場の軽口
マーズ=グローバル=サーベイヤーについて話をしよう。
何故この探査機を最初にするか。言っておくが、断じて主人公の名前だからではない。主役という座は、己の手で掴み取るものだ。その点、彼は最も先に出てきたに過ぎない。
何故彼を最初に取り上げたか。其は、火星探査に於いても最も先に登場した画期的な探査機だからである。併し其は、打ち上げに成功した探査機に限る。打ち上げに成功した例をいえば、マリナー計画とバイキング計画があるが、マリナー計画はマリネリス峡谷の名づけ親となったマリナー9号の紹介までにとどめておいて、バイキング計画は後々のマーズ=リコネッサンス=オービターの項で軽く触れる事としよう。
マリナー計画は無人の惑星探査機を用いた火星・金星及び水星探査の総計画である。故に火星が関ったのは、10機打ち上げられたマリナー機の内6機であるが、2機を除いてフライバイ・周回・及びスイングバイという、人類史上初の試みを成功させた。3分の2の確率である。
併しこの計画はあまりにも昔すぎて教科書にすら掲載されない。マリナー4号の撮影した画像は非常に粗いし、姉妹機であるマリナー6号と7号はオリンポス山やマリネリス峡谷の発見を逃している。4号の姉妹機3号は到達できず、9号の姉妹機8号は墜落した。
最大の功績を遺したのはマリナー9号で、火星表面の80%をカバーし、風と水に因る侵食や堆積・前線や霧等の証拠を明らかにし、火星の衛星であるフォボス・ダイモスも撮影した。この探査機での調査結果は、のちのバイキング計画の基礎となる。
結局、マーズ=グローバル=サーベイヤーについては触れていないが、所詮その程度・・・否、次の講義で話すとしよう。彼が探査機として登場するのはマリナー計画から20年後―――サーベイヤー計画にてである。
「サーベス!?」
オポは心の底から愕いた。うわ、ほんとに連絡くれた―――!どぎまぎして携帯電話の通話ボタンを押す。
「貸しな」
「え?」
いつの間にか背後まで来ていたリコネスがひょいとオポの携帯電話を取り上げる。オポはびっくりして、電話の彷徨う先を振り返った。
「リコネス・・・・・・」
オポはまた、違った意味でどぎまぎする。まさか―――今の、聴かれていた―――?一瞬だけ眼が合ったがすぐに逸らしてしまい、再び彼の顔を見る事が出来ない。彼が今どの様な表情をしているのかもわからなかった。
{・・・・・・オポ?}
電話口からあのひとの懐かしきあの声が聞こえてくる。
リコネスは電話欲しさに自らに纏わりついてくる数珠繋ぎの子供達をべりっと剥してオポの頭に載せる。数珠繋ぎの子供達は辮髪の如くオポの背にひっついて連なった。
「・・・・・・え」
「子供さんの相手、ヨロシク」
今、くすりと聞こえた様な気がしたのは気のせいですか!?
リコネスは踵を返して何事も無かったかの様にオポの許から離れていった。オポは少し、心細くなる。
{―――リコネスか・・・?}
この箱型の向こうからサーベスが話し掛けてくる。
誰からもある程度離れた位置で、無表情に景色を見ると、リコネスは大画面のスイッチを入れた。久々に見る顔。
「リコネス!」
サーベスは運転中にもかかわらず、食い入る様に画面中のリコネスを見る。
「よぉ、サーベス―――何話ぶり?」
{28話ぶりだ!!}
サーベスが怒り心頭で言う。対してリコネスは穏やかで、というか寧ろとろんと垂れた目でバンダナの頭を押さえつつ言った。平地の方が、なかなかに強い風が吹く。
「―――よく憶えてるねぇ。てかそれなら離れてる話数の方が多いじゃん」
{だからだ!!}
あちらはあちらで頭を抱えている。本人は気づいていないであろうが、くっ・・・と嗚咽が漏れていたりもする。
「・・・てか、よく電話できたね」
いつも勿体つけた様な物言いをするリコネスが、ポロポロと流れる様に思った事を徒然なるままに言う。サーベスは顔を上げて
{・・・・・・どういう意味だ?}
と怪訝な顔で訊いた。その言葉に、複数のニュアンスを感じたのだろう。複数の選択肢の中からその人間の発する言葉の真の意味を掴むのは結構難しい。裏の裏がそっくり返って表となってみえるか、裏があるか、それともそのまま表なのか。疑心暗鬼を生ずれば、単なる表も裏に見える。
リコネスは、なんでもない、という風に片手を上げて
「―――そのまんまの意味。ケータイ扱った事ないだろうと思って。てかキミ、深読みしすぎ」
と答えた。やはりまだ信用はされていない様だ。特に彼は、サーベスが勘繰りやすい性格だと知ってもなお、一つの言葉に多大なニュアンスを放り込む。
しかし今回は杞憂。彼もそうそういつも考えている訳ではない。寧ろ職業柄か、感じる事の方が多いくらいだ。
{説明書を・・・読んだ・・・・・・}
腸の様に細く長く押し込んである説明書を、ずりずりと携帯電話本体の蓋を開けて引っ張り出すサーベス。大画面とはいえ、音声も画像も元は携帯電話本体から流れている。ずりずりの音はやけにリアルにリコネスの耳まで届くという事だ。
ずりずり。
「・・・・・・」
ぎちぎち。
今度は出した説明書を、苦心して詰めている。
・・・携帯電話の扱い方自体より、そんな所に説明書が入っている事を発見する方が難しい気もするのだが、この男はそうでもないらしい。完全マニュアル型人間だとリコネスは思った。
「今ドコに居んの?」
{シドニアに向かっている}
サーベスはそれだけを言った。
「ふーん・・・」
リコネスは電話口から聞こえてくる別の音に耳を澄ませていた。
口と表情とが連動せず、サーベスとしてはいつにもましてやりづらい。
「じゃあ、今はシドニアに居ないんだ?」
サーベスはぎくりとした顔をした。・・・愛敬無く答える。
{・・・気がついたら、メリディアニに居た}
「メリディアニ―――?」
またご苦労な事で・・・とリコネスは呟く。カウンティ=マーシャルはわざわざ本部にまでこの男を運んだのか。シドニアの手近な刑務所にでも抛り込んでおけばいいものを。
言ってしまえば、シドニアからメリディアニよりも、メリディアニから今彼等の居るヘラスの方が距離的には相当に近い。
{君達は今、どこに居るんだ―――?}
「ヘラス」
{ヘラス!?}
案の定というべきか、意外だというべきか、向こう側にいる男は素っ頓狂な声を出した。
{ヘラス(そっち)に向かった方が、近いじゃないか―――}
ハンドルに頭を埋めるサーベス。
考えてみれば不思議な男だ。携帯電話の使い方を知らない割には、車の運転は器用にこなす。火星地理についても心得ていそうだ。
携帯電話は比較的新しい機器だ。引き篭りとの話なので、さては知識が旧かったりでもするのだろうか。
{!待て、ヘラスといえば―――}
しかしそうでもないらしい。サーベスははっとして顔を上げると、叱る様に怒気を込めて叫んだ。
{戦争地帯じゃないか!何故そんなところへ!?}
リコネスは別の事を考えていたのか半ば上の空だ。するすると普段の彼からは想像のつかない台詞が出てくる。彼自身はらしくもない事を然して気にはしていない様子で、何処か別の方向に眼を遣りながら言った。
「・・・そうね、嬢ちゃん風にいうと“墓参り”かな―――」
{・・・・・・}
微妙に日頃と違うだけの様に見えても、少々の事では顔にすら出さない彼を知る者にとってみれば、顕著な変化だ。心によほど大きな作用を及ぼさない限り、彼は揺るがない。
サーベスは敢えて触れない事にした。
{そういえば、オポは―――?}
「―――・・・子守?」
{はぁ?}
こう見えてもリコネスは一応言葉は択んだ。でもあれを子守以外に何と形容すればいいのやら。
「戦場なのにすごい馴染みっぷりでね。年長さんも心を開き始めてるから逃げるチャンスを掴めるかと思って」
ほら、とリコネスが携帯電話のズームを押しテレビ画面を遠くで戯れるオポ達に向けた。彼がサビウスの塔から下りて来たことにより任務を解かれたのか、少年兵達もグループに交っている。オポはあちこちからちょっかいを出されて、怒るわ顔を紅くするわ、ですよねー!と共鳴をするわ、三方向それぞれに合わせて器用に処理していた。
{本当だ・・・・・・てか、遊ばれてる・・・・・・?}
サーベスは呆れた、しかし少し安心した様な笑みを浮かべた。
「・・・・・・」
リコネスもまた、自らの眼の焦点をオポ達に宛てている。
「・・・・・・リコネス?」
画面をオポ達に向けているため、リコネスの顔がサーベスには見えない。携帯電話を操作しているのは彼のハズだが、気配が感じられなくなってサーベスは思わず彼の名を呼んだ。
{・・・・・・わりぃ。ウトウトしてた}
リコネスは確かに寝惚けた様な声を出した。
「・・・・・・画面を元に戻してくれ」
サーベスは言った。
「・・・てかさ。何、この音?」
嫌がらせなのか、リコネスはズームは戻さないまま自らの顔を映し、わざわざ大音量で言った。
{でかっ!戻してよ!!「・・・・・・何かさ、さっきからウィーンウィーンて音がして気になんだけど」
あ・・・とサーベスは心境が微妙そうな顔をして、ステアリング‐コラムに眼を遣った。
ワイパーを操作するレバーが無い。
{ワイパーが・・・・・・}
サーベスはそれ以上台詞を続ける事が出来ず、意気消沈した。ワイパー‐システムは今でも元気に可動し続けている。
「ワイパー?」
今度はリコネスが怪訝な顔をする番だ。
「・・・・・・今そっち、雨降ってんの?」
奇妙だ。現在の火星には、殆ど雲が発生しない。ごくたまに何かの気紛れで雨が降ることがあるので完全に水が無くなることはないが、それでも降るのは酸性雨。火星人はその酸性雨を濾過して飲む。
酸性雨に因る被害は降れば毎回だが、それ以前に雨が降らないので対策はしていない車種も多い。昔は酸性でない雨も降っていたので、ワイパー‐システムは搭載していたが、現在はそれすら搭載していない車も多く、実際その必要性も薄い。
{いや・・・・・・}
サーベスは悩ましげな顔をして、やけに重々しく言った。
{壊れてね・・・・・・「あ、そ」
杞憂。リコネスは一杯食わされた様な気分になった。緑に染まった髪をいじる。どうも今日は、頭の回転が悪い。
「・・・・・・アンタ、運転すんだね」
腹慰せ混じりにそう言う。日頃は意外だと思っても当り前の事として受け止め、本人が当り前にしているさまの一連をキャッチして、週刊誌あたりに「意外」「密着」と名をつけて大々的に売り込むのだが、今回は別にその価値は無いらしい。
サーベスは眼を大きくした。
{・・・しないと思った?}
「箱入りだし車持ってなさそうだし、マニュアル読まないと出来なさそうだし」
{・・・・・・}
元々ズバズバ物言いをするタイプではあったものの、ここまで刺々しい揶揄をするのも珍しい。揶揄と解っていてもカチンとくる。
{・・・失礼な。慣れた車だ。マニュアルなんて読まなくても隅から隅まで使い方はわかる}
「・・・・・・・・・慣れた車?」
サーベスがはっと口を噤んだ。リコネス自身も驚く。全く意識しないところでビンゴだ。
「・・・・・・へぇ」
リコネスは意地悪な微笑を浮べた。こういう情報収集の仕方もあるのだという事を学ぶ。
「・・・ま、そちらさんもいろいろあったんでしょ。メリディアニ(本部)に運ばれたという事だしね。再会したら、土産話をたくさんしてもらうとしましょーか」
・・・・・・。サーベスが心底嫌そうな顔をする。しかしいい加減、慣れつつもあった。
{・・・・・・戦場という事だから、君もいろいろあったんだろうな}
サーベスが、堅く閉じた口を小さく開く。リコネスがいつもする様に微かに口角を上げて呟く。
一方、当のリコネスは冷めた様な上目遣いで彼がどう出るかを視ていた。
「再会したら、こちらからもたくさん訊くとしようかな。事情を知っていないとやりづらいのは事実だ」
せっかく何も訊かないでおいてあげたのに。リコネスも何気に秘密主義者だ。だが、余裕が無いのかは判らないが、そこまで心無い事ばかりされると反撃をしたくなる。
「それが交換条件という事なら{じゃ、いーわ}
え!?
即答。
何で!?
サーベスは自分から仕掛けた策でありながら逆に彼に質問をしていた。
「なら俺も言わないよ?不公平だ」
{いーよ}
リコネスがまたも即答する。
{別に同意を得なくても、今まで通りアンタの身辺探っていきゃあ情報は手に入るし。そっちにするわ}
言いながら、興味を失ったかの様に彼の方は見ていない。サーベスの方も彼に幻滅した様な表情を浮べながら、軽蔑する様に言った。
「そんなに自分の手の内を明かすのが嫌?」
{別に}
リコネスは何も気に留めていない様にさらさらと答える。しかし、軽蔑のニュアンスには気がついている様で、暫くしてこう付け加えた。
{今回のは言ったトコロで、俺の手の内にも何にもなんない}
「・・・・・・なら、何故?」
サーベスは容赦しない。この男は一度、自分の秘密が露顕する恐怖というものを知っておいた方がよい。
しかし本当に容赦が無いのは、リコネスの方だった。
{めんどくさい}
「・・・・・・は?」
サーベスは度胆を抜かれた。画面上の彼は、嫌は嫌そうだが核心というよりは本当に億劫だという顔をしていた。もはや、何も言えまい。
{だってさっき話したばっかだもん}
「話したんだ!?」
サーベスは驚く。まさかリコネスが本当に話をするとは。それほど“秘密”では隠し通せない、大きな事件が起こっていたのであろうか。
{嬢ちゃんもその場に居たハズだから、訊きたかったら嬢ちゃんに訊いて。俺もう疲れた}
「訊いていいんだ!?」
なんだかサーベスは、自分が優勢だったこれまでの取引っぽい遣り取りが馬鹿らしく思えて恥ずかしくなった。
「・・・てか、めんどくさいって、俺の身辺探る方が遙かに面倒だと思うんですけど・・・?」
{ソレは仕事だから}
「は!?」
リコネスは今、結構めちゃくちゃな事を言っている。
{大体、ルポライターじゃあるまいし何度も同じコト言って飽きると思わない?しかも自分が体験して既に解ってるコトだよ?俺なんて一度言うだけでも嫌気差してくる}
戦場において何たる言い様。まぁ、確かに・・・と言い包められるサーベスも問題児。でも、彼がルポルタージュを著すればビャンビャン売れるのではないかとも思った。
{それに、探るの(シゴト)好きだしね}
・・・・・・もう好きにしてください。この頃はオポ以上にスパイじみているとの指摘がある彼。
「・・・じゃあ、俺らもシドニアに向かえばいいの?」
ようやく本題に入る。久々に会えば、仲があまりよろしくなくとも会話は続く。その間にオポが、少年兵等の心をがっつり掴んでいればいいのだが。
{一応、ランダーさんの所へ向かってるけど・・・来れるか・・・・・・?}
ポーラー=ランダー――彼は精神病院より共に脱出し、今は居ない。しかし、あの細い脚ではサーベスが到着するまでにシドニア地方から出る事はないだろう。だからリコネスは敢えて言わなかった。
{ヘラス(そちら)に・・・・・行こうか・・・・・・?}
サーベスが妙な提案をする。オポ達の様子やこれまでのリコネスとの切羽詰まらない会話の遣り取りをみて、戦場と謂っても大したところではないと判断をしたのだろう。しかし、問題は此処では無く出口―――外部の者からいえば入口―――駅周辺が最も危険だ。だからこちらも手を拱いて視ている。其処に―――サバ人が入って来ようものなら
「―――いい。そのまま学者サントコ行って」
{大丈夫か―――?}
サーベスが心配そうに訊く。正直なところ
「さぁ」
{!!}
オポと同じく、戦場に赴くにあたってそう覚悟なんてしていない。特に3年前なんて。何せ次元が違いすぎる。覚悟どころか想像さえもつかない世界。
「―――?」
リコネスは何故か、サーベスが息を呑むのを不思議に感じた。
「―――あぁ、嬢ちゃんなら確実に出られるから、安心しな。見たっしょ、さっきの」
{君は!?}
ジープの音。少年兵には、前方には敵の銃口、後方には脱走を阻む自陣営の大人の兵士の銃口があり、生き残るには前進しか方法が無いとも云われる。
要は殺すか殺されるか。ピッチニーニ(少年兵)が自分(敵)を殺さねば、ピッチニーニは大人に殺される。
ピッチニーニが択べばよいだけの話だが、気がつけば見逃しては貰えぬ程に、浅からぬ因縁を育んでいた。
ロイ=ベルファストが“観察”している。
「―――おい。これは君だけの問題じゃないぞ―――?」
サーベスは腹を立てる。らしくないにも程がある。
「俺は別に、オポがどうとか訊いてるんじゃない」
受け止め方の問題かも知れないと思わせるほど、リコネスの態度は普段と変わらない。それがまた腹が立つ。
「死ぬんじゃない!!」
「アンタこそ」
リコネスは不意に、くすりと微笑った。
「後ろ」
「後ろ・・・?」
サーベスが背後を振り返る。
「!!」
鈍い音がした。
「背後に―――・・・何か居るぜ―――」




