Ⅲ-Ⅵ.戦場で喰らうサトゥルヌス
「・・・なぁ、ピッチニーニ」
リコネスは目を細めた。眼の色に合わせて、彼の記憶での視界もヘーゼルに染まる。
「あん時エトルリアは、すっげぇ粗末な食料状況だったな」
それはリコネスにとっても最悪な記憶だった。
当時、ベルファストの後先考えぬ進軍の為にエトルリアは激しい飢餓状態に陥った。空っぽとなったサバ人湾の民家へ入って食料を略奪するが、その食料が少年達の口に入る事は無い。
『腹が・・・減ったよなぁ』
言うなりベルファストは生贄とされたミコーバーを断罪した。
ミコーバーの肉片がカーニバルを躍り出すのを歓声を上げ、スタンディング・オベーションしていた。
『おおっと。丁度いい所に食料が』
ベルファストはミコーバーの屍を掴み上げると、滴り落ちる彼の血を搾り出し、掌に塗れた血をピッチニーニに垂れ流した。
『これが裁きに依って得た葡萄酒だ。ユダがイエスを売る事によって買って来てくれた』
ベルファストが鋸を、サバ人の死体の山から拾い上げる。
『パンもあるんだ。豪勢な食事だと思わないか』
約束通りに骨も身も、好きなように全てパンや葡萄酒に変えた。それらは余りに立派なもので、腹を空かせた少年達にはもはやそれにしか見えなかった。
罪悪など微塵も感じなかった。もともと教育など受けていない。信じる神も存在しない。歯止めとなるものなんて無い。
ただ、本能の侭に、少年達はパンと葡萄酒に手を着けた。全ては自分が生き残る為に―――
ピッチニーニには途中までの教養と、信じている神が在った。しかしそれは、生き残っていこうとする本能の前には無力だった。ただ、それらはのちの後悔を作り出し、ピッチニーニを苦しめる材料となった。
ピッチニーニは貪った。パンと称したミコーバーの肉を。
ベルファストは子供の食欲のよさを見て悦ぶ親の様に、彼等が人間の肉を平らげるさまを満足そうに眺める。自分は決して手を着けず。それは少年等に対する侮蔑の象徴である事以外の何ものでもなかった。
やがてベルファストは鋸を片手に、その場から居なくなった。
「俺は夢中でシャッターを切った―――戦場での惨状を1枚1枚・・・・・・確かにアレは、真理だと思ったぜ・・・・・・」
ピッチニーニは激しく消耗していた。どちらが加害者か判らぬ程に。少年時代から脳が戻れないのだ。
「うるさい・・・・・・!!あれは・・・・・・あれは・・・・・・!!」
罪を犯すとはこういう事だ―――消せない罪にもがき苦しむそのさまが、オポの脳内にくっきり焼けつく。私もいつか、そんな罪を犯すのだろうか?
「・・・・・・」
オポはリコネスを見る事が出来なかった。見ないで判別できることは、彼の持つ間がいつもより少し長く多い事と、彼は今とても残酷な事をしているのだということくらいだった。
「―――・・・別に責めてる訳じゃない」
カサカサと、紙の触れ合う音が聞える。
「俺は今更そんなコトを気にする様なねちっこい人間じゃない。今のだって別の理由がなきゃわざわざ話したりなんてしてないぜ?」
紙の中から袋を出した―――ビニールの音が加わり始める。
「ああする以外にどうすればよかったと!?それに―――殺したのは「俺だよ」
リコネスは半ば尖った声で言った。
「互いに生き残るためにちょうどいい手法を択んだ。それだけのことじゃないか」
「!?」
あまりの呆気無さにピッチニーニは半ば呆然としていた。しかし目的を思い出した様に瞳に強い意志を宿すと、呪文の如くこう唱え続ける。
「あぁ・・・そうだ。生き残る為なら―――」
「そうそう。生き残るためには、ね」
リコネスは適当に寝言を呟く子供の相手でもすると、ビニール袋の中身を確認して、それを少年側に投げた。
「んでさ、今のこの状況、アンタ忘れてないと思うんだけど」
ピッチニーニが恐る恐るビニール袋を摘み、指で中を開く。中には写真が数枚と厚めの書類が入っていた。
「アンタが生き残れば俺が死んで、俺が生き残ればアンタは死ぬってコト」
「!」
―――写真に写るは、ピッチニーニと同じ金髪碧眼の老夫婦。
「これは―――!!」
「アンタそういや、誘拐されてこの地域に来たんだって?」
ピッチニーニが顔写真の貼ってある書類を引き出した。それは少年の頃の彼の顔。ピッチニーニに電撃が走った。怒りの炎が燃え上がる。
「何故―――!!」
「・・・アンタの経歴を調べさせて貰った」
「どうやって!!」
「・・・・・・企業秘密」
「・・・・・・っ!!」
ピッチニーニが棍棒を持ち出しリコネスに迫る。オポは危ないと理解しながらも、その場から動く事が出来なかった。
「言え!!さもないと―――
「―――殺す?」
ピッチニーニの動きが止る。リコネスが新たな写真を出し、ピッチニーニの目前に呈示した。
「殺して、ミコーバーと同じ様に俺も喰うか?」
―――それは、ミコーバーを蝕したピッチニーニの写真。
「・・・・・・こんな戦場まで来てんだ。俺だって何の準備もしなかった訳じゃない」
ピッチニーニが棍棒を取り落した。客観的に見た自分の姿は―――人間とは思えないほど残虐で、ひずんでいた。
ピッチニーニが眼前で崩れ落ちる。リコネスはまたがさごそといわせながら、情けなど微塵も感じさせない猫撫で声で言った。
「プロメテウスの親御さん達は元気だったぜ」
携帯電話を取り出して、何やらボタンをいじる。
「・・・さすがにアンタがヘラスで兵隊やってますては言わなかったが、俺は別に言ってもいいと思ってる」
「ならば殺す!!」
ピッチニーニが泣きじゃくり、棍棒を拾い上げリコネスに向ける。リコネスは彼にしては長い溜息をつき、呆れた声で言い放った。
「―――キミ、命は平等ってハナシ、知ってる?」
「!?」
ピッチニーニよりもオポの方が寧ろ過敏に反応した。それは当り前の話ではあるが、弱肉強食の戦場に於いては綺麗事にしかならない。リコネスは何を考えているのか。
「弱肉強食なのは確かだけどね、ソレは兵隊サンに限ったハナシじゃないの。何も黙って殺される民間人ばかりじゃないし、ジャーナリストだって、武力を持たなくてもねぇ・・・?」
“平等”の解釈が違う。オポは気づいた。それは法律に包れた“優しい”平等の裏を縫う、法律すら介入しない“厳しい”部分の平等。
「現代の北半球の技術ってのはスゴイもんでね、こうやってこの機械のボタンを押すと」
リコネスが携帯電話のボタンを押した。大画面が出てくる。彼等にとっては普通であるこの光景も、南半球で竹槍を持つ者達には別世界の魔法であった。
リコネスが食肉写真をひらひら動かして示した。
「アンタのこの人肉を喰う写真が、プロメテウスの両親の元へ配信される」
ピッチニーニの好奇の眼が、一気に地獄へと叩き落された。
「少年兵達が持つのは、弓矢に竹槍に棍棒――そんなんじゃ、ヒトは即死にはならないぜ。それに比べて、こっちは一瞬――殺られてる最中でも送れる」
そう言って、掲げる様に携帯電話を上げて、じりじりとボタンに指を伸ばす。ピッチニーニはしがみつく様に、哀願の眼で訴えかけた。
「やっ・・・!やめろ―――!!それだけは―――!!」
「何回か会ってそれなりに信頼は得てるんでね―――俺の緊急事態だと受け取ってくれるだろう」
ピッチニーニにはただの一つも逃げ場は用意されていなかった。殺さねば自分が殺されてしまう。しかし自分が相手を殺せば―――
と、ジープのエンジン音が遠くで聞えた様な気がした。
「・・・・・・」
リコネスは書類を片づけると、ピッチニーニのすぐ近くまで移動し、地面に散ばった紙袋を拾い上げた。
「・・・・・・俺は、この嬢ちゃんを無事に送り届けないといけない」
ピッチニーニは傷悴し切っている。彼の口からは確かに絶望の詞しか引き出せなかった。この声はもう、届くかどうかわからない。
「嬢ちゃんを見逃してくれるってんならコレをプロメテウスに送るのはやめよう。どうする?」
リコネスは相変らずどっしり構えているが、何処と無く他所見が多い気もする。
「あっちに居る子供さん達は、すごくひもじそうだなぁ・・・・・・?」
ピッチニーニは頭が回らない。ひもじい以前に、目の前の男を殺せば己の死の報せよりも言いたくない最大の罪を露呈され、殺さなければベルファストに殺される。ベルファストは未だ猛威を振るっているのだ。
「・・・で、殺しておかないとアンタも実際どうなるかわからない」
オポは不安になってきていた。リコネスの言う事は、肝心な主旨、更にいえば主語が変ってきている様な気がする。
リコネスが次に言い放った言葉が、オポの許容の振り幅を大きく超えた。
「俺を殺して喰うか?」
「リコネス!!」
オポは思わずリコネスの前に飛び出していた。




